指きり(3)    母親たちの苦悩?



「美佐江、何言ってるの? バカな事言わないで! 貴女だって知っているでしょう。
生垣の家がどんなに、古くさいしきたりや格式を重んじる家か。そのせいで、私が結婚する時だって、
家の両親や貴女の親にまでも随分嫌な思いをさせた。まさかあの時の事、忘れてないでしょう。
私は忘れていない。だって、生垣との結婚を諦めようとまで思ったんですもの。
でも、母や叔母さん、それに貴女が励ましてくれたから…あの人の事を信じて付いて行こうって思えた。

貴方のおかげで、私は結婚できたようなものだから…それは心底感謝している。
でも…もし透太が理玖と…なんて事になったら、もう私たちが離婚しただけじゃ済まないのよ。
人の幸せより血筋が…生垣の家を後世に継いでいく事が、何より重要で大切な人達なんだから。
私だって、理玖の事は透太と同じ様に可愛いと思っている…でも、それとこれは別だからね」

「解かっている。解かってはいるけど、理玖の気持ちを思うと…。
あまりにも真剣に透太を想っているから、せめて透太の気持ちだけでも確かめさせてやりたい。そんなふうに思っちゃうのよ。
今更こんな事を言ってもしょうがないけど、理玖は小さい時から透太が大好きだったの。そして、いつも言っていた。
「僕は、大きくなったら透ちゃんのお嫁さんになる」 って。だから私も子供の戯言だと思って、
「理玖は可愛いから、きっと透ちゃんも喜んでくれるね」 そんな事を言って相槌をうっていた。

理玖が心から望んでいた事に気付きもしないで、そのうち大きくなって異性に興味を持てば、
好きな女の子でも出来れば、子供の頃の戯言など綺麗さっぱり忘れる。そう思って、それほど気にもしていなかった。
それが…小学生になっても依然としてそんな事を言っているから、
そろそろ、それは出来ない事だと教えた方がいいかな…と思い始めた。
だから…あの事故の後、顔に傷が残るかも知れないと言われた時、それを言うのには丁度良いと思ったの。

でも…もう、お嫁にいけないね…私がそう言った時のあの子の悲しそうな顔。
そして透太が、理玖をお嫁さんにもらってやる…と言った時のあの子の嬉しそうな顔。
それに…理玖が意識を取り戻した時、最初に言った言葉。

「ママ…透ちゃんは?」
「大丈夫よ、透ちゃんは何処も怪我がなくて元気よ」
「そうか…良かった。僕…透ちゃんを守れたんだね」
「ん? 守れたって?」
「うん、透ちゃんが下に落ちそうになったから、透ちゃんが怪我をしないように守ったんだ。
だって僕は、透ちゃんを守るために、透ちゃんのお嫁さんになるんだもの。良かった…守れて」

正直…複雑だった。そこまで思っている理玖に、男はお嫁にはいけないのよ…と、はっきり言えなかった。
私が悪かったのかも知れない…あの頃、きちんとそういう事を教えなかった私が。
でもまさか、あの子の中であの頃の想いが、ずっと息衝いていたなんて。
だから、今回理玖の口から透太が好きだと言われて…あぁ、これは私へのしっぺ返し…そう思ったわ。

それでも、頭から反対しようなんて気持ちは湧いて来なくて…むしろ、理玖が可愛そうに思えた。
あまりにも真剣で、本気なのが判ったから…姉さんには申し訳ないと思いながら、何とかしてやりたいと思った。
それに理玖は、透太の気持ちを大切にすると言っていた。もし、透太にその気がないと判れば、その時は諦めて。
自分の気持ちに蓋をし、二度と透太に対する想いも口にしないと。
透太が、誰より大切だから…無理矢理自分の気持ちを押し付けるような事はしない…そう言ったわ。

だから…理玖の言葉を信じて、せめて自分の気持ちを整理する為の時間を作ってあげたいの。
仮にもし、透太も理玖と同じ気持ちだったら…私たちには、あの子たちを止める事は出来ないでしょう。
里見の家は、旧家でもなければ名家でもないからそんな事が言える。
姉さんは、そう思うかも知れないけど、名家でも旧家でも…そんなもの、子供の幸せには代えられない。

子供が何を選び、誰を選ぶか。それは子供の人生であって…親が常識を諭す事は出来ても止める権利は無い。
ただ後悔を残す選択だけはさせたくないの。その為に時間を…お願い、姉さん。
もしそれで、私と姉妹の縁を切ると言うなら、それでも構わないし、出来る償いならどんな事でもします。
だからあの子達に、自分の気持ちを見つめる時間を与えてやって…お願いします」

「……。名家も旧家も関係無い家で育って来た私たちには、子供の幸せが一番なのは当然だと思うわ。
でもね、夫の父が亡くなった今は、母が家を取り仕切っていて…その母が、透太の事をとても可愛がっている。
何しろ晃さん夫婦に子供がいない今、透太は生垣のたった一人の跡取りですもの。何があっても家を継がせようとする。
もし仮に…透太と理玖がお互いの気持ちに気付いてしまった後、透太を無理矢理生垣の家に奪われたら。
その時二人は、互いを諦める事ができるの? それとも…理玖は透太を守りきれるの?
たとえ二人で逃げたとしても…結局辛い思いをするのは本人たちなのよ」

「それは……。でも、姉さん…理玖はああ見えてしっかりしているから」
「しっかりしていると言っても、まだ子供でしょう? 正直言って、今だけの熱病みたいな恋って事もある訳だし。
理玖に預けて、傷物?にされた挙句、やっぱり女と結婚する事にした…なんて言われたら、嫁にされた透太はどうなるのよ。
男に戻れるの? 一生能無しって事もあるでしょう。私は、そぅいう事も心配しているのよ」
「女性と結婚? それは無いと思う。だって理玖は、自分がお嫁さんになっても良いとまで言っていたから。
透太と一緒になれれば、どっちでも構わないみたい。でもまぁ、どう見ても透太がお嫁さんって方が、しっくりくるけどね」

「あんたは、のん気でいいわね。そんなだから、理玖がホモだって事にも気付かなかったんでしょう」
「ホモって…それは言い過ぎよ。それに…理玖は別にホモじゃないわよ。一時彼女らしき女の子もいたんだから。
それに今だって女の子から電話があると、一緒に出かけたりもしているわ。
私だって本音を言えば、人並に女の子と結婚して…いつか孫の顔でもみせて欲しいと思うわよ。
だから、透太が相手でなかったら理玖と刺し違える覚悟で反対するわよ。けど…相手が透太じゃね。
まぁ下手な女を嫁にするより良いか…と思ってね。素直だし気心も知れているし、それに賢すぎないから」

「賢くないって、美佐江。まぁ確かに、理玖ほど賢くはないけど…下手な女と比べたら透太の方が可愛いわよ。
それにあんたの話じゃ、なに? 理玖には透太の他にも好きな女の子が居るって事なの? それって両刀の二股男じゃないよ」
「違うわよ。理玖が好きなのは透太で。女の子は単なる友人。言ってみれば社交辞令みたいなものよ…きっと」
「何だか怪しいわね。けどまぁ、透太にその気が無いとどうにもならない話みたいだから、そう心配する事もないかもね。
透太が鈍くて時間切れって事も十分ありうるし。それに理玖は、透太にはめちゃくちゃ甘いしね。
もし仮に、理玖がそこまで思っているとしたら、普通どんな事をしても手に入れようとするでしょう。
そう考えると…理玖も自分が思っているほどではないのかも。やはり、まだまだ子供なんだね。

どっちにしても私の一存では返事しかねるわ。一応お父さんとも相談してみるけど…あの人が良いと言ってくれたら、
その時は徳島に行く事になると思う。あんたも北海道に行ったら、物見遊山で遊んでばかりいないで、
最悪の場合どうするか、直さんとよく相談しておいてよ。これは、そっちが持ち込んだ話なんだからね」



   天の采配


母親たちの間でそんなやりとりが交されていたとは露知らず、理玖は理玖で母親が作ってくれた折角のチャンスを、
最大限に利用しよう…と密かに決意していた。
実際母親にはあんな事を言ったが、透太を手に入れるためなら多少の無理強いも止む無しとし。
そして、必要なら自分の尻も差し出す…その覚悟でいた。だからと言って、透太がそれで良いと言う筈もないし、
逆にドン引きされ、完全に愛想づかしされる可能性も無きにしも有らずだった。

その証拠に…あの日の約束をそれとなく匂わせてみると、案の定透太はすっかり、綺麗さっぱりと忘れていて。
それでもすぐに思い出したのか、慌ててそれを無かった事にしようとした。
それは予想の範疇ではあったが、その様子が見ていても笑えるほどあたふたと…なのに真剣で。
理玖にはそれが純情に可愛く見えて…自分の腹黒い一計を考えると、少しだけ罪悪感も覚えた。

本当はもう少しゆっくりと時間をかけて、透太の気持ちを自分に向けさせるつもりでいた。
だが…最近の透太は…と言うと。もしかすると、好きな子でもいるのでは? そんな疑いを理玖に抱かせた。
そしてその疑いは、先日の宮里真由里と会った事で明確となり…理玖は急遽、透太略取計画を実行する事にした。
それと、宮里真由里とは別に、以前塾の帰りに妙な男に声を掛けられたと言っていたのも、理玖の心配に拍車をかけた。

【透ちゃんは可愛い。背もそんな高くなくて、キュッと締った身体をしていて…ちょっと背の高い女の子ぐらいだ。
顔も小さく勿論パーツも小さい…唇なんかふっくらした受け口でマジ美味しそう。
なのに目だけは大きくて、笑うとちょっと垂れて…その辺の女より激可愛い。宮里真由里なんて目じゃない。
だから、彼女もしくは彼氏が出来るのもそう遠い事ではない気がする。そんな事になったら僕は……。
だから…透ちゃんの前も、後ろも…誰かに奪われる前に僕のものにしなくては。絶対、一週間で僕の透ちゃんにする】

本当に…恋は盲目というか何と言うか、普段は冷静で感情のまま行動する事など有り得ない理玖が、
事透太の事になると締りなく鼻の下を伸ばし、なりふり構わず透太を手に入れる為の知恵を絞る。そしてその策とは。

理玖の父親は単身で北海道に赴任していた為、長期休暇の時以外は家に帰って来ない。
その代わりではないが、母親が二月に一度ぐらいの頻度で旅行がてら父の処へ行く事にしていた。
その間理玖は、透太の家に泊まり世話になる…それが今までの当たり前になっていた。
だが今回は…透太を誘って自分の家で留守番をする…理玖はそう決めていた。
なぜなら…透太の家だと、叔父や叔母がいるから…計画を遂行できない可能性があるから。
二人きりで寝食を共にし、その間に透太の気持ちを捕えて…自分が理玖のものだと認識させる。
場合によっては、少しぐらい強引でも既成事実を作ってしまおう…と、密かに目論んでいた。

それでも母親たちの指摘どおり、理玖が透太にめちゃくちゃ甘いのも事実で。
拒否られたら…泣き付かれたら…理玖が頭で考えているほど、強硬手段に出られるとは思えなかった。
なのにその場合の対策も無いまま、日は過ぎ…高校に入って最初の夏休みとなり…その日は目の前に迫っていた。


その頃透太は、理玖の思惑も知らないまでも…何となく不安な浮かない気分でいた。
眼の前では、母親がリモコンを片手にもう片方の手を伸ばすと、テーブルの上のクッキーを摘み。
「あ〜ぁ、美佐枝は良いわね。二月毎にプチ旅行が出来て、ほんと羨ましいわ。
私なんか、もう何年も旅行どころか飛行機にも乗ってない。うちのお父さんも、どっかに赴任してくれないかな」
そんな無理無体な事を言いながら、摘まんだクッキーを口に放りこむ。

透太はそんな母親を横目で見ながら…自営業で赴任なんか有る筈ないのに…と思い。
それでも母親の言った、理玖の母親のプチ旅行というのが気になった。

理玖の父親は、夏季休暇には必ず家に帰って来る。だから、もし旅行に行くとしたら家族で…というのが、
今まで里見家の通例だった。それが…父親が帰って来ないで母親が北海道に行くと言う事は、理玖も一緒? 
そう思った途端、透太の口から出た声が何処となく弾んで聞こえた。
「えっ、理玖ん家の叔母さん北海道行くの? じゃ、理玖は?」
「そんなの、理玖は家に泊まるに決まっているでしょう。だからあんたも、部屋の中片付けておきなさいよ」
と、透太の淡い望みを打ち砕くような事を平然と言いながら、母親は二個目のクッキーを口に入れ。

「いけない…あるとついつい食べちゃうから、ほんと困っちゃう」
しげしげと自分の手を見つめ、またクッキーに手を伸ばした。
少しだけ膨らんだ透太の気持ちは、音を立てて空気が抜ける風船のように萎み、その反動で。
【だったら、見える所に置いておかなきゃいいのに。それより菓子なんて買って来るなよ】
八つ当たりのようにそんな事を思いながら、それよりもっと…なんとなく嫌な予感で別の事を考えていた。

今までは、叔母が北海道まで行くと言う事は…理玖が透太の家に泊まると言う事でもあった。
そしてそれは、両家の暗黙の了解で…だから今回も例外なくその予定になっているのだろう。
それでも今回の場合は、理玖も夏休みで学校も無い。それなのに何で…。
いつもは嬉しかった理玖の生垣家でのお泊りも【例の事があるから…理玖と二人だけになりたくない】
それまで一度も思ってもみなかった考えが、透太の頭の中でぐるぐると回っていた。


そして…理玖の母親が北海道に行く日が決まり。今回は夏休みを兼ねて、一週間ほどの予定だと言われた。
挙句にその時、いつもだったら家に泊まるはずの理玖が、今回は自分の家で留守番をすると言い出した。

「おばさん、僕も高校生だし母さんの留守の間ぐらい一人でも大丈夫だと思うんだ。
でも…完全に一人と言うのも少し心細いから、透ちゃんに僕の家に泊まってもらって良いかな。
透ちゃんと二人なら寂しくないし…それに、自分の事を自分でするいい機会だと思う。
だって、大学に入ったら家を出ちゃうかも知れないでしょう? だから、その時の為の予行演習だと思って、
透ちゃんと二人で頑張ってみよと思うんだ。どうかな…良い考えだと思わない」
理玖が優等生?らしい提案をし、透太の母親は事もあろうか諸手をあげて理玖の提案に賛成した。

透太はと言えば、少しだけ微妙な表情をしたが面と向かって反対もせず…と言うより出来る状況ではなかった。
何しろ理玖や母親に…高校生にもなって一人で留守番も出来ない…と思われるのも癪だったし、
それより何より、理玖と二人で残るのが嫌な理由は、とてもじゃないが口に出して言えるものでは無かった。
そして母親は、仏頂面でそっぽを向いている透太の心中などお構いなしといった様子で、どんどんエスカレートしていく。

「あら!それ良い考えね。だったら二人に留守番を頼んで、ちょっとした旅行ぐらい行けるかも知れないわね。
盆休み間近だから、観光地のホテルは難しいかも知れないけど、贅沢言わなきゃ何とかなるでしょう。
もし、駄目なら…久し振りにお爺ちゃんのお墓参りに行くって言うのも悪くないわね。
何年ぶりかしら…徳島に帰るのは。きっと、お父さんも喜わね」
「そうだよ…僕と透ちゃんがしっかり留守番しているから、安心して出かけて良いよ。ねっ…透ちゃん」
嬉々としている母親と、先まわってそんな事を言う理玖を相手に、

【良くねぇよ! お前と二人だけなんて嫌だよ!】 言いたくても言えない透太と。
【天は僕に味方した】 自分の思惑通りの展開にほくそ笑む理玖。
それは真に天の采配なのか、それとも数多の人の意志なのか…透太と理玖は二人で留守番をする事になり。
二人の人生を大きく左右する? 一週間が始まろうとしていた。

そして留守番初日…理玖がにっこり笑って…言った。
「透ちゃん、初夜に向けての準備をしようね」 と。
「初夜? 準備? なんじゃ、それは!! そんなんできるかぁーーー!」
又も透太の悲鳴のような声が、二人っきりの家の中に響き渡った。


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