ピジョンブラッドの赤−7


上條を連れて部屋に戻ると、険しい10の目が一斉に、私と上条に注がれた。
夫を、息子を、孫を誑かし、このような騒動を起こさせた女は、いったいどれほどの女なのか、
興味津々と言うより、あわよくば粗をさがし、自らぼろを出させて追い払おう…
そんな気概?で待ち受けていたのだろう。 だが、上条の姿を見た途端、
「えっ?」
「はっ?」
「?????」
厳しい顔が…口を開いたまま目は点…に変わり、私と上條が並んで座っても、皆の表情は元に戻らず、
その反応は、やはり私に仄暗い悦びを感じさせてくれた。 そして予想通り、真っ先に口を開いたのは、義父で
「ま!学君。 お・・女は…どうしたんだね」
そう言いながら、視線は…というと、片方の目で私を、そしてもう片方の目で上条を…見ていた。

やはり政治家と言う者は、何とも器用な目をしている…私は腹の中で感心?しながら、
僅かに唇の端をあげた。 それから、ゆっくりと一同を見回し、
「皆さん、紹介します。 彼は、上條日向さん。 
私の大学時代の友人であると同時に、私にとって一番大切な人です」 
言いながら…多分今の私は、今までで一番誇らしげな顔をしているのだろう…そんな気がしていた。
そして、上条が…
「始めまして…。 上條…と申します」  思ったより落ち着いた声で言うと、ゆっくりと頭を下げた。 

「お…おと、おとこ…男? 女性じゃなかったのか?」  義父が、上条の性別を確認するかのように呟き。
「……」 
「…………」  父と母は、依然として言葉も無いままで。
そして、祖父は…口元にうっすらと笑みを浮かべ、じっと上条を見つめていた。

おそらく全員が、上条と私の関係を どう理解すれば良いのか考えているのだろう。
暫し沈黙の時が流れ、上条が少しだけ不安そうに私の顔を見つめ…それから、そっと目を伏せた。
そんな上条を、今此処で…人前も憚らず抱きしめたら…熱い口付けを交わしたら…
無為の8年間が埋まるのでは…そんな不埒な考えが頭を過ぎり、
私は、上条の手を握り引き寄せたい衝動にかられた…が、その時、

「みっ! み、みみ…認めん! 女ならいざ知らず、男など言語道断だ!」  義父が喚いた。
そして、妻の美鈴が義父をそっと制し、上条と正面から向き合うように身体の向きを変え。
「宮田の妻の美鈴です。 お目にかかれて、とても嬉しいですわ」  と言って、にっこりと笑った。
その艶やかな笑みは、祖父と同じように何処までも喰えない女だと、私を少しだけ不安にさせ。
本当に上条の手を捕ろうと、手を伸ばしかけたが…上条は、そんな私の心配を他所に、
「始めまして、上條と申します。 あぁ、聞いていたとおり、本当に美しい方ですね。
私の方こそ、奥様にお会いできて光栄です」  そう言うと、これまたにっこり笑顔で答えた。

沈黙が破られた事で、反対に安心したのだろう。 美鈴に勝るとも劣らない上条の笑顔に、
ひょっとしたら…一番私の手に余るのは、上条かも知れない…私は、チラリとそんな事を思いながら、
オ・・オイ! 敵を褒めてどうするんだよ! 
心で叫びながら、声に出す事も出来ず、下世話でいうところの、妻と愛人?の対面の様子を見つめていた。

「あら! わたくしのことを ご存知なのですか?」  美鈴が、少し驚いたような顔で上条に問う。 
そして上条は、私が上条に言った、美鈴に対する世間一般的な見解を、まるで私の見解かのように
「はい。 御主人様から…・美しく聡明な方だと 伺っておりました」  美鈴に伝える。

「まぁ! それは意外ですわね。 宮田が、妻の自慢をするような人とは、思ってもおりませんでしたわ」
「いいえ 奥様のような方を妻にしたら、男なら誰でも自慢したくなると思います」

「あら…。 それでは上條さん、貴方でも・・そうなさいますの?」
「はい・・おそらく…。 でも、残念ながら、私はこの先も妻を娶る事は無い…と思いますから」
上条のその言葉に、それは不味いのでは…私が思っていると、案の定美鈴が…
「貴方が、女性と同じ立場だから…ですか?」  普通なら言いにくい言葉を、すんなりと投げかける。

夫の浮気相手なのだから、遠慮などないのだろうが、私には上条を侮辱されているような気がして、
思わず口を開きかけた…が、その私の膝に上条の手がそっと載った。 その手は…私に、
『何も言うな!』 そう言っているように思えて、私は出かけた言葉を飲み込み、上条の顔を見つめる。
だが上条は、美鈴を見つめたまま ちょっと首を傾げる仕草をすると、 
「さぁ…私は男ですから」  そう言うと、少し寂しそうな笑みを浮かべた。 

「でも…男性を、相手になさるのでしょう? それは、本来女性のする事ではありません?」
美鈴の声は静かではあっても、その言葉は情け容赦なく、罵倒するより性質が悪い。
そのうえ、祖父が口を開いたら…そう思うと、
私は、自分の都合で上条をこの場に座らせた事を、僅かながら後悔し始めていた。
そんな私の心中を他所に、上条は穏かな声で美鈴に答える。

「そう…かもしれません。 ただ、私が生まれて始めて心から愛した人が、男性だった。
その人以外、好きになった人はいませんから…私が、男性しか愛せないのかどうか、判りません。
もし…その人より早く、貴方のような女性に出会っていたら、その女性を愛していたかもしれない。 
でも私は…誰より先に、その人に出会ってしまった。 自分と同じ男性のその人に…」

「それが 主人だと言われるのですか?」
「はい…そうです」

「貴方…お綺麗ね。 男性の貴方に言う言葉ではないかもしれませんが…とても、綺麗だわ。 嫉妬するほどに」
「ご…御冗談を…」

「いいえ 本当にそう思います。 だから宮田は、人を愛する心…を、貴方に預けたのね。
そのせいで、宮田は無意味な年月を 過ごしてきたというのに、
今また、全てを失っても それを取り戻そうとしています…それも、貴方ごと…。
あなたは、その対価として何を 宮田にあげるのですか?
地位も名誉も財産も…全てを捨てさせる代わりに…貴方は、なにを与えてあげるのですか?」

「私には、人に与えるものなど…何もありません…何も持っていない。
だから…ただ守る事しかできません。 学から預かったものを、大切に守って、
いつか 学が返してくれと云う日まで、それを守り続ける以外…何も出来ない。
私は…それしか、生きる道を探せないのです。
それが、学を苦しませ 奥様や皆様を不快にさせたとしても…捨てる事も、壊すこともできない。
温かいんです…。 それを抱いていると…温かくて…私は 凍えずに生きてこられた。

愛していたら 何かを与えてやらなければ、いけないのですか。
与えられる物を持っていない者は…人を愛してはいけないのですか?
私は…ただ…学を愛した。 許されないと判っていても、誰よりも…学だけを、愛してしまった」
上条はそう言うと、美鈴に向かって深々と頭を下げた。 その姿は、まるで美鈴に許しを請うているようにも見えた。 
そして美鈴は…無言のまま、そんな上条を見つめていた。

自分の思った事だけを言えば良い…私は、上条にそう言った。 
それは、私のために皆の思惑に合わせ、自分の心を閉じ込めた受け答えをさせたくない。
自由に言いたい事を言わせて…それで、全員の怒りを買ったとして、それはそれで構わない。
私の心は決まっているのだから、何があろうと揺るがない…そう思っていた。
だが…上条もまた、この部屋に入る前に私に言った。
「俺が、皆にどんな事を言われようと…俺を庇うなよ。 そして、相手を責めるような事は、絶対に言うな。
俺は…俺の全力で、学を捕りに行く覚悟だから…心配しなくて良いから」 と。

その言葉どおり…全員の前で、憚る事なく私への愛の言葉を織り紡ぐ上条に、美鈴に頭を垂れる上条に、
私は愛しさで胸が一杯になり…思わず、目頭が熱くなった。
そして、今度こそ上条を抱きしめよう…と、思って伸ばした手を、

「あんた 孫と寝たのは…いつかね 」  祖父の無粋な一言が止めた。
そんな事を聞かれるとは思っていなかった私は、思わず
「はっ?」  と、声を発し、上条もまた、その言葉の意味が理解出来なかったのか、
「え?」  と、言い…私たち二人は互いに顔を見合わせ、それから祖父に視線を移した。

「美鈴の言うとおり、男に言うのは申し訳ないが…あんたさんは、えらい別嬪さんだ。
その上なんともいえん色気がある。 女とは違う艶がある。 
儂がもう少し若かったら、手を出したかも知れん…と思うほどじゃから、孫が手を出さんはずがなかろう」
其処まで言われると、流石に上条も…怒るかと思いきや…ポッと目元を染め俯いてしまった。

『おい、日向! その反応は何だよ! 皆の前でそんな顔するな! 俺の前だけにしろ!』
私は、心の中では上条にそんな事を言いながら、口は…思わず祖父に向けて言葉を吐く。
「じいさん! つまらない事聞くなよ!! エロじじいが、自分を幾つだと思っているんだ?」
すると、間髪いれず、
「学! お爺様に向かって何という事を。 
それに、お父さんも…何もこんな所で、そんな事を聞かなくとも」
父が慌てふためいて 私と祖父をたしなめるが…その父を制して祖父は、

「爺か。 久しぶりだな、お前に爺呼ばわりされるのは。 
だがわしは、そっちのお人に聞いておるのだ。 口出しはするな! 
で…どうなのじゃ、孫と寝たのは学生の頃か?」  上條に、重ねて聞いた。
すると上条が、目元をほんのりと染めた顔をあげ、真っ直ぐに祖父を見つめた。
長い睫の下の瞳は、染めた目元の色を映し潤んでいるようにも見え、唇を開くと甘い吐息が漏れるのでは…。
私にはそんなふうにも思えた…が、上条の声は、穏やかながらも艶めいたものでは無く、
むしろ、上条の覚悟のようなものを含んで聞こえた。

「いいえ。 あの頃の私は、自分の気持ちは隠して…一生口にするつもりはありませんでした。
ただ…卒業も間近になった頃、学の私を見る目が、変わってきたのに気がつきました。
私は、そんな学の目が怖かった。 その目で見つめられたら…私は いつか、自分の心を曝け出してしまう。
心にある想いを、口にしてしまう…そんな気がして…学の前から逃げたのです。
 
最後の夜、学が私の髪をそっとなでてくれて…嬉しかった…涙が出るほど嬉しかった。
そして…唇が触れて…キスしたいと言われ、拒めませんでした。 
学は、ただ私を抱きしめて…。 学の温もりが、鼓動が私に伝わり…一つになって。
私はその時思いました。 この温もりを抱いて、一生一人で生きていけると。
そして…次の日には、連絡手段を全て断ちました。 あの日以来一度も会っていません。 
ですから…学と、本当に結ばれたのは再開した後です」

「あんたさんは、たった一度のキッスで…それだけで、10年近くも 孫を思い続けてきたという事かね。
確かに、昔は良い子だった。 明るくて、素直で、思いやりがあって…そのうえ、頭も優秀で…。
なんせ T大でも優秀なほうだったらしいからな。 本当に自慢の孫で、将来を楽しみにしていた。 
それが…いつの頃からか、人を人とも思わん態度や、顔をするようになってしまいおった。
仕事は出来るが…だからと言って、それと、人として優れているのは全く別もの。
それなのに…今では、そんな事も解らないばか者になってしまいおって。 
あんたさん程のお人だったら、いくらでも相手はおるだろうに…こんな孫を、8年も思い続けて…。
一体、こんな腐れ男の何処が良いのだ?」  祖父の問に、

「さあ…特に何処とは。 改まって考えた事もありませんから…。
そう言われれば、何処が好きなのでしょう…。 これは、とても難しい質問ですね。
学は…お爺さんの言うとおり、いつも明るくて、本当に優しかった。 
それなのに…学が変わったように見えるとしたら、
私の耳にある、この真っ赤な血の色をした石に、学の心を閉じ込めたせいなのかも知れません。
綺麗に澄んだ学の心を閉じこめた石は…何年過ぎようとあの頃と少しも変わらず…温かく。
私は…それだけで生きていける…そう思って生きてきました。
私に生きる力を与えてくれた学が、人として腐っているとか、劣っているとは思えません。
学は人間として、とてもすばらしい人だと思います。 けど…頭が、優秀だったとは知りませんでした」
上條はそう言うと、不審そうな顔で私を見つめた。 そして…

「大学でも…優秀だったの? 学って…」
どうにも不思議でならない…そんな表情と言葉に、私は苦笑いを浮かべ、
「い、いや…お前に比べたら…・まあ 大分落ちるけど…・」  
曖昧に答えを濁す。 すると上条の顔が、今度はすまなそう?な表情に変わり、
「そうだったのか…全然知らなかった。 学が、何も言わないから、俺…学の事Poorだと思っていた」
思いもかけない上条の告白に、私の口からつい大声が出た。

「Poorー!」  
「うん。 だって…いつも分野違いの俺に、自分のレポートを書かせたじゃないか。
だから俺は…学は、多分間違えて合格してしまったのだろう…そんなふうに思っていた。
漢字も知らないし…数式も…そう思ったら、なんだか可哀想になってさ。 だから…いつも手伝っていたんだ。 
でも…そっか、俺の勘違いだったのか。 学って、本当は優秀だったんだ。 良かった・・うん、ホント良かった」  
上条は、自分の勘違いだったと嬉しそうに言い、それを喜ぶ。 だから、私は…

「嫌味かよ…」  
つい拗ねた口調になるのは、あの頃に戻っているせいなのか、それとも相手が上条だからなのか、
多分…今の私は、妻には見せた事のない顔をしているのだろう…そんな事を、頭の隅で考えながら、
私は上条と二人の空間で、自分があの頃に戻っているような気がしていた。 
「そりゃ 万年首席 教授からも一目置かれていたお前からみれば、俺程度の奴は、
ただの馬鹿にしか見えないかも知れないけど、俺だって世間一般的に見たら、一応は優秀なんだよ。 
それを・・本当の馬鹿だと思われていたなんて…こっちの方こそ知らなかった」
そう言いながら、私はがっくりと肩を落とし大きなため息を吐く。 

それなにの上条は、私の言っている言葉の意味が 理解出来ないとでも言うように、
「えっ? 万年首席って?」  やはり、不思議そうな顔で聞く。
「お前だよ、お前…上條日向。 
T大始まって以来の頭脳の持ち主と噂され、IQ 200だか 300だか っていうお前の事だよ」
「違うよ…230だよ。 でも、あんなものは当てにならないんだよ。 鍛えれば誰だって上がるし、
ただ使わなかったら、すぐ退化するけど…因みに、今の僕は凡人以下だよ。 だって、頭使ってないからさ」
何でもない事のように、IQが230と言い、それが今は凡人以下だと言う。 
上条の言う凡人が、どの程度なのか判らないが、それを上条に問うのは意味のない事のような気がした。

「だったら…また、本を読めよ。 昔みたいに、俺には理解できないような、難しい本を沢山読んで、
俺に、いろんな事を話してくれよ。 お前が、本を読んでいるのを、側で見ているのが好きだった。
言っている事が理解出来なくても、お前から いろんな話を聞かされるのが楽しかった。
だから…お前は、お前の好きな事をすればいい。 そして お前の知った世界を、俺に語ってくれたら、
俺は最高に楽しいし…それだけで嬉しい、幸せでいられる」

「まなぶ…ありがとう。 俺の知識は、何の役にも立たないって判っていた。
ただ 自分の興味を満足させるだけの知識だって。 
でも、それでも良いんだって…そう思わせてくれたのが学だった。 役にも立たない知識を貪る俺を認めてくれた。 
学と一緒にいると、暖かいものに包まれているようで…とても幸せな気持ちになれた。 
そうか…俺は…そんな、大きな温かい心を持った学が、好きになったんだ。 でも今は、あの頃よりも…もっと大好き」 
上條は、嬉しそうに笑い…目を潤ませて言う。 あの頃は言葉に出来なかった想いを、今は互いに伝えられる。 
それが嬉しく、本当に幸せだ…と、思いながら…皆の前で相思相愛ぶりを晒す私たちに、
矢のように突き刺さるものは…周りの視線。
 
オイ…ヒナ…感じないか? 痛いぐらい、突き刺さってくる…この視線を…。
自分が、皆の前で上条を抱きしめたら…などと思った事も忘れ、覗うように見回すと、
呆れたような、奇異な者を見るような…そんな複雑な表情を浮かべた10の目が私たちに注がれていた。
そして…それに気付いた上條が、少しずつ少しずつ私の方ににじり寄り…ついにぴったりと寄り添い。
その後、上条の手は私の背広の裾を握り締めていた。 

無理もないと思った。 上條にとっては被告席と同じで、家の事 仕事の事、そして私と再開する8年間の事まで、
まるで尋問されているかのように問われ・・それでも上條は、その都度言葉を選びながら答える。
頭の回転の速さや、言葉の豊富さ、会話の内容の記憶力は、此処に居る人達の比ではない。
だが、如何せん人を疑ったり 貶めたりと云う言葉は、上條の頭の中には存在しない。
ましてや、自分を良く見せようなどという考えもない。 良く言えば純粋無垢。 悪く?言えば天然…ボケ?
上条の言う、自分の全力?で、有るが儘に、在るが儘の自分を曝け出す。

「あんたさんの、孫に対する気持ちは良く解った。
それに…孫もあんたさんと話している時は、昔の孫に戻ったかのように、素直な良い顔をしている。
その様子からも、一時の迷いごとで、好いただの惚れただのと、言っているのでは無いというのも、良くわかった。 
さりとて…孫は既に妻も子供もいる身、それを考えると…やはり難しいの」  
祖父の幾分温情めいた言葉を受けてか、母までが…一応気遣ってくれた?ように、
「本がお好きなようですが、普段はどのような物を、お読みになっていらっしゃるのですか?
何か面白いものがありましたら、教えてくださる?」  
などと、やんわりと問いかけるが…折角の母の問いかけに、上条の答えは、

「はい、本は大好きです。 活字を追っていると、時間の経つのも忘れてしまいますね。 
今は、仕事も兼ねて法律関係の本が多いですが、少し前に読んだ 『&%+$仝々における推論と考察』 
あとは…『深層心理と脳の関連性』が面白かったですね」
と、普通の人なら避けて通るような題名を並べたて、
「は? はぁ…??????? 」  母を始め、全員頭の上で鳥が飛んでいるのが見えるような気がした。

『だから…日向に本の事を聞いても無駄だって…それに、本の話をさせたら止まらないぞ…』
私の想像どおり…上条は嬉々として続ける
「それとですね 自然界における…の…は、人がどう生きるべきかを考えさせられる…云々…」  
そんな上條の言葉に、流石に不味いと思ったのか、父が遮った。
「いや…本はもう結構です。 どうも、私共には理解出来そうもない内容の本ばかりのようですから。
それより、君は…学が会社を辞めて、もし、次の勤め口が決まらなかったら どうするつもりですか。
男にとって、仕事が無いというのは想像以上に辛い事だと思うよ。
気持ちが荒んで、生活も荒れてくる…それでも君は、息子を支えて行けるのかな?」
まさに現実的と言うか、上条にとって一番苦手?な問いかけに、
「どうしましょう…。 でも 私は貧乏には慣れていますから、何とかなると思います。
ただ…二人でホームレス…とかには、なりたくないですね」

予想どおり?の、上条のホームレス云々に…確かにそれは…と、思いながら、
私は、上条と二人でホームレスをしている自分を想像するが、今の自分たちと何等変わらず。
それならそれも、気楽で悪くないかも知れんな…などと、バカな事を考えていると、
場の成り行きに、不満そうな表情で上条を睨むように見つめていた義父が、今とばかりに、
「きっ! 君は何を言っているんだ! 自分が学くんを助け、どうにかして養っていこうとは思わんのか! 
ふん・・女のように男に抱かれている君なら、一番手っ取り早い方法がある事も判っているのだろう!
一応は男の端くれだろう。 身体を張ってでも、学くんを支えようという気概はないのかね!」
上条に侮蔑の言葉を吐きかけた。 

正直…下種が…と、思ったが…今の私は、上条ならそんな言葉ぐらいで絶対に折れない…退かない。 
そんな確信にも似た思いもあって、上条を庇うとか、義父の言葉を遮ろうとかいう気持ちはなくなっていた。 
むしろ、上条がどう答えるのか…その事の方が楽しみ?…そんな気がして笑みさえ浮かんでくる。
そして、案の定…上条が、

「ええ・・私は男です。 でも…学は、もっと男としてのプライドを持った男だと思っています。 
その学が、ヒモのように私に養われる事を望むとは思えません。 
ですから…たとえ、その日の糧にも困ったとしても…私は、働かない学を養うつもりはありません。 
ただ…たとえ、アルバイトでも、派遣でも…学が働いているのなら、
私は…貴方のような方に、この身を売ってでも彼を支え続けます…と 言うのは冗談ですが、
最悪の場合は、ふたり手を捕りあって心中でもしますか」
幾分の揶揄を込めた、冗談とも 本気ともとれる上条の言葉に、私は大声で叫びたいと思った。

『日向!良く言った!! お前の言う通りだ。 俺は、お前に養われるくらいなら、死んだほうがましだ。
ましてや、お前を誰かに売るなんて…そんな事をさせるくらいなら、お前を殺し…俺も後を追う』
それでも…現実にそうなったら…おそらく上条は、私のためにどんな事でもするだろう事も判っていた。
だから、私は…何があろうと、この愛しい者を守りたい…その思いで、上條の手をきつく握りしめる。

だが…義父の言葉を不快に思ったのは美鈴も同様だったようで、美鈴は美しい眉を顰めると、
「お父様 はしたない言葉は謹んで下さい。 そして、これ以上私に惨めな思いをさせないで下さい。 
お父様が、上條さんに噛みつけば噛付くほど、私は 夫を奪われた哀れな妻です…と、言っているようなものです」
そう言って嗜めた声は険しく…なのに、その目には…哀しみの色さえ浮かんで見えた。
そして…可愛い娘の強い言葉に…義父は、存外だというような顔をしながらも おろおろといった様子で
「!美鈴・・。 儂は お前の気持ちを考えて…」  
そう言うとうな垂れてしまう。 そんな父親に美鈴は更に、

「私の気持ちを考えて下さるのなら、もうこれ以上、余計な事はおっしゃらないで下さい。
それと、上條さんに謝って頂けますか。 私が宮田の妻として、彼に多少の暴言を吐いたとしても、 
お父様が、彼を侮辱する権利はありません。 彼は、法の専門家ですのよ。 訴えようと思えば、いくらでも…」
結構な剣幕で言葉を続ける美鈴に、義父は見るも気の毒なほど消沈してしまい…
そんな義父に、救いの手?を差し出したのは、他ならぬ上条だった。

「奥様…もうそれ以上は…。 私も少し感情的になり、大変失礼な事を言ってしまいました。
お父上が怒られるのは当然です。 本当に申し訳ございませんでした。 お許しください」
そう言うと、義父に向かって丁寧に頭を下げる。 
流石に、侮辱した相手に其処までされると、義父とて…自分の愚かしさを認めざるを得ないのか、
「うっ…い、いや…儂も言いすぎた。 ついカッとなってすまなかった」  バツの悪そうな顔で謝罪の言葉を口にした。


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