その恋百円-5

 ふたりの距離? 壬深視点

罰なんて…そんな事出来る訳ないよ…そんな事を思っても、仕返しする前に
僕の事 もっと好きにさせてしまうから…出来っこないじゃないか…ずるいよ。

ドアを開くなり大声で…ただいま!! と言って飛び込んだ壬深を見て
浦野は、驚いたように目をまるくして言った。
「お、お前…何処から帰って来たんだ?」

それはそうだ…電話を切ってから、5分も経っていないのだから、
いったい何処に居たのかと、疑ってしまうほどの速さで帰ってきた壬深は、ちょっと気まずそうな顔で言った。

「うん、隣のマンション。あのマンションに、学校の友達がいるから」
「隣? そうか、あんまり早いんで、ひょっとしたら外に居たのかと思ってしまったぞ」
浦野が言うと、壬深は…妙に慌てたように、
「なんの為に? 嫌だな、そんな事をする意味なんて、ないでしょう」 
笑いながらそう言って、何とか誤魔化す。

「そうだけど…でも 友達は本当にいいのか? 約束していたんだろう。
さっきも言ったけど…
お前が俺の事を考えてくれるのは、本当に有難いし、嬉しい。
けどな…その為にお前が、自分の事で我慢しなければならない事が有るとしたら
俺はその方が 辛いし…有難くも無い…その事だけは忘れるな」
そう言って、浦野は優しい目をして壬深を見つめた。


そんな事言われたら、抱き付きたくなっちゃうよ…などと思いながら、

「うん、解った。 でも、心配しないで。 僕は無理もしてないし 我慢もしてない。 
自分がしたいから…それが楽しいから やっているだけなんだ。
けど…ありがとう。 お兄さんに、そんなふうに言って貰えて…嬉しかった」
僕は笑って答える。 すると、お兄さんは

「そっか…それじゃ、今日は久し振りの休みだから、
お前の行きたい所…やりたい事…なんでも良い、お前に付き合ってやる」
なんて、僕が泣きたくなるほど嬉しい事を言ってくれる。
本当に…とっても嬉しいけど…

「そんな…急に言われても、思い付かないよ。
僕はお兄さんと一緒なら 並んで座っているだけでも嬉しいからさ」
僕がそう言って、思案げな顔をしていると、お兄さんは、何だか照れくさそうな顔で

「…お前って…女だったら、男殺しだな」 と言った。
僕には、それが、ちょっとだけひっかかり、

「女だったらってどういう意味よ…女じゃないと…駄目って事なの?」
僕が、少し膨れた顔をすると お兄さんは僕の言葉を無視して、

「よし! 温泉に行こう。 温泉に入って それから美味いもん喰って。
そうだ! 前に行きたいって言っていたカラオケ…それも付き合ってやる…な!」
お兄さんは、とっても良い考えだろう…と言うように僕を見る。

「温泉? いいけど・・今から? 日帰りで?
どうせ行くんだったら、泊まりで行きたいよ。
温泉一泊旅行…ねぇ それ良いんじゃない? 僕、行きたい」

お兄さんと お泊まり旅行。 誰も知っている人のいない山奥の温泉で、
お兄さんと二人っきり…・。 まぁ、今でも二人っきりなんだけど…
でも、温泉となると、また気分も違うと思うし…・

良いなぁ…そしたら、僕たちの間も、少しは進展するかも知れない…

僕の頭の中では もう いろんな18禁な光景が浮かんで…
ちょっと、恥ずかしい…なんて思っていると…お兄さんが

「バカ…温泉は温泉でも、俺の言っているのは スパの事だぞ。
今は、都心でも温泉に入れるらしい。
それが、結構人気があって、いろんな所に、でかいのが出来ているらしいぞ」
せっかくの夢も、無残に弾けるような事を言ってくれて…・

「スパ? なに、それ…銭湯じゃん」
僕の思い描いた、お兄さんとの18禁は…儚く飛んで行ってしまった。

「銭湯だっていいだろう…小さい時、爺さんとよく銭湯行ったなぁ…。
広くて…プールみたいで…・泳いで、知らない親父に怒られたっけ」
お兄さんは、懐かしそうに目を細めて、幼い頃を見ているような顔をしていた。
そして…
「お前…銭湯、行った事は?」  と、僕に聞いた。

「ない…温泉は、家族で旅行に行った時だけ」

「そうか…じゃ、スパで決定だな。 
実は…部長に貰った招待券があるんだよ。
部長は、何度か行って、それでえらく気にいって会員になってしまったらしい。
ゆっくり出来るから 一度行ってみなさいって 招待券を二枚くれたんだ」
と言って、やけに乗り気な様子のお兄さんが、ちょっと可愛く見えたりして、
僕は…

「お兄さんは 行きたいの?…スパ…」   と、聞いた。
するとお兄さんは、僕に向かって本当に嬉しそうに頷いた。

まるで、散歩に行く前の犬だな…と、思いながらも、
しょうがないか…あんなに期待した顔で頷かれたら…・
ずるいよ…僕は行きたくないとは 言えないじゃないか…と、観念して頷く。


確かに 高級スパ と云うくらいだから、その辺の銭湯とは比べ物にならない
大小様々な 風呂とサウナ…スポーツジムや ラウンジ 遊技場…
それらが一体となったリゾート施設…・そんな感じだった。

正直僕も、これほどの規模とは思っていなかったから、
ちょっと驚き…大人のリフレッシュサロンだ…そんなふうに思った。

受付を澄ませ ロッカールームの前で 
タオルやなんやらの入った、手提げを受け取り 中に入ろうとした時

「やぁ、浦野君。 君も来ていたのか」  後ろから、お兄さんを呼ぶ声。
え?…こ! この声は…。 ヤバイ!

「あっ、部長! 部長もいらしていたんですか。
早速、頂いた券を使わしていただきました。 ありがとう御座います」
お兄さんの、弾んだような声に

ぶ! 部長? うそ! まさか…。

恐る恐る振り向いた先に居たのは…・やっぱり…なんでだよーーー!
僕は 逃げようにも逃げられず、諦めて声の主を見つめた。
すると…そいつは、ニヤァ〜と、嫌味ったらしい笑を浮かべ

「ほぅ〜 これは、これは…・。 浦野君、この方は…・君の?」 
と、言ったが、その言葉に続けるように

「恋人ですか?」 
少し後方に居た、そいつの連れらしい男が、何の躊躇いもなく言った。

ゲッ! 日向さんまで…。

何という偶然。 いや・・これ以上無い運の悪さ…
そう…お兄さんの上司…部長という奴は…・・僕の叔父 宮田 学だった。
にやにやと薄笑いを浮かべて、僕をみていた叔父は、
これ以上無いと云う、ムカつくような優しい声と 例の嫌味な笑顔で、

「そうなんですか?」  と聞いた。
すると、僕の返事を待つより早く、お兄さんが慌てた様子で、

「えーーー!! ちっ、違います。 こ、恋人だなんて…違います!
親戚…そう…親戚の子供で…
今日たまたま、俺の処に遊びにきていて…そんで一緒に…」

お兄さんが、必死に 恋人ではない…と、否定するのが なんだか悲しい…けど
お兄さん…よりによってなんでそんな嘘を…。
ゲロマズじゃないか…だって、僕とこいつは 本当の親戚なんだから…
でも、それを口にすることも出来ないでいる僕に、

「そうですか…親戚の方…でしたか。 それは失礼をしました。
私は 浦野君と同じ会社の、宮田と言います。 宜しく…壬深クン」

叔父さんはそう言って、僕とお兄さんを交互に見てうっすらと笑う。
お兄さんではないが、本当に叔父さんの薄笑いはむかつく。
だから…僕は、お兄さんに合わせて、知らぬふりをすることに決めた。

「北沢 壬深です…・部長さんのお噂は 誠さんからいつも聞かされています。 
とても素晴らしい上司で 目標にしている方だと…
そんな方にお会いできて とても嬉しく思います」

と、しょうがないから 一応、挨拶をする…が、
今の様子では、僕がお兄さんの所に居る事を 知っていたようにみえた。
もしかしたら…お兄さんの再面接というのは…僕との事を知っていたから?
等と、あまり愉快ではない、想像までしてしまった。
だが叔父さんは、何食わぬ顔で

「浦野君、君たちはこれからなのだろう?
僕達は、食事をして帰るところなんでね、ご一緒できなくて残念だ。
ここのところ、忙しくて休みも取れなかったからね、
今日は ゆっくりとリフレッシュして 又、来週から頑張ろう。
それじゃ…お先に失礼するよ。 壬深クンも、又いつか」

叔父さんはそう言うと、日向さんを促し去って行った。
僕は、ほっと胸を撫で下ろし お兄さんは ボーッとした顔で二人を見送っていた。


どうする…どうすれば…・叔父さんが知っていると言う事は、いずれ親の耳にも入る。
別にそんな事は、どうって事無いけど、お兄さんを捕まえていないうちに 邪魔をされたら。
それだけは、阻止しなくては…
お兄さんと僕は、お互い全く別の事を考え込んでいた。

「どうだ? 感想は…」  お兄さんが僕に聞いてくる。
叔父さんの事を言っているのだと 僕にはすぐにわかったから、
身体は砂の中に埋まったままで、出ている顔だけ、お兄さんの方に向ける。
 
「やり手みたいだけど…性格に難有りって感じ…むかつくタイプ」
僕が言うと、お兄さんはくすっと笑い…・やっぱりな…という顔をしてから、

「部長と一緒にいた人…誰だろう。 会社の人間じゃないと思うけど」  と、言った。
日向さんの事だ…。
僕は心の中で呟く…誠、人の男に興味を持つんじゃない…と。

「いきなり、恋人ですか? なんて…変わっているよな。
けど…なんとなくあの人らしい…そんな気がする」 
お兄さんの言い方は、僕にというより 自分自身に問いかけている。 
そんな言い方だった。

「興味あるの? あの人の事…」 
僕が聞くと、お兄さんは小さな汗を滲ませた顔を、上に向けたまま

「うん? 別に…。 ただ…なんとなくそう思っただけだ」 と、言った。

「あの人は 止めたほうがいいよ。 あの人には…好きな人がいる」
僕がそう言うと お兄さんは、はっしと顔を僕に向けて、

「なんで お前に解るんだよ。 知っているのか? あの人の事」 と聞いた。
僕は、お兄さんのそんな様子が癪に触り、そっけなく、お兄さんと同じ答えをいった

「別に…ただ…なんとなくそう思っただけだよ」

 芽吹き?

まさかあの場で、部長の宮田に会うとは思ってもいなかった。
そして…連れの男は、壬深の事を…恋人ですか? と言った。 

自分は男だし、壬深だって、どこからどう見ても女に違いない。
それを…・恋人って…まさか、壬深を女と間違えた? と、一瞬思い、
そんな事、ありえないよな…自分で否定する。

それでも…壬深の事を変に誤解されたのでは…と、それが気がかりで、
そのせいでもないだろうが、家に帰ってからも、
妙に壬深の姿が、目に入ってくるような気がしていた。

確かに、あの時…・こんな男もいるのだな…そう思い、
長い睫毛の下の、物憂いあの目に…その色香に、一瞬見とれた。

それが後ろめたい、とかは思わなかったが、
壬深に言われた、「興味あるの?」 の一言が、頭に残って離れなかった。
あの男に見とれた自分を、壬深が見抜いている…そんな気がし、
同時に、自分の中の何かが、少しだけ動いたような気がした。

だが、それは…あの男に対して…というのとは違う…もっと別のもの。
ずっと壬深を側に置きたい…そんな感情も有りなのでは…そんな気持ち。
まだ高校生の壬深を…待っても良いのでは…そんな気持ち。

隣で寝ている壬深の寝顔を見つめ…今がずっと続けば良い…浦野はそう思った。


形ばかりのベランダで、吊るしてあるハンガーに、
靴下とかタオルとかを干している壬深の姿が、いつもより可愛く見えるのは気のせい?
やけに甲斐甲斐しく見えるのは…などと思いながら、ふと昨日の壬深を思い出す

それにしても 壬深の、物怖じしないというか、何と云うか…あの態度。
部長相手に、堂々と挨拶するのだから…恐れ入ったものだ。

自分など…あの銭湯とかけ離れた、高級そうな雰囲気に戸惑った上、
部長とあった事で、益々緊張してしまったと言うのに…
どんな場所でも どんな相手でも 何の抵抗も無く対応できるという事は…
もしかしたら、そういう生活になれているのか…と、そんな気さえして

考えてみたら 自分は壬深の事を、何にも知らないのでは…
昨日から、ぼんやりと感じていた疑問?を、緒方は口にする。

「なぁ、壬深。 お前は 俺なんかと違って 良い家の子供なんじゃないのか?」
すると壬深は、手を止め振り返ると、

「急にどうしたの? 変な事言い出して」 そう言いながら、じっと浦野を見つめた。
日の光を背負っているため、その表情までは判らなかったが、
それでも少しだけ、いつもと違う…浦野は何となくそんな気がした。

「う〜ん…何となくそんな気がするんだよな…」 
浦野が言うと
「昨日から、何となくが多くない? あの人に当てられた?」
壬深はそう言って、白い歯を見せた。

「あの人って?」 
「日向さん…」

「日向さん…って?」
「部長と一緒にいた人に、決まっているでしょ」
ちょっとだけ、壬深の声が尖った気がしたが、それよりもっと気になったのは
壬深の口から、はっきりとした名前が出たこと。

「なんでお前知っているんだ? あの人の名前」
途端に、光を背負って尚はっきりと判るほど、壬深の表情が変わった。

「えっ? 言っていたでしょう…日向って。 部長が…そう呼んでいたよ」
「……そうか?」
「…う・・うん…・」 
壬深は歯切れの悪い返事をすると、浦野に背を向け
残っているタオルを手に取った。

名前なんか呼ばなかった…・・絶対に断言できる。
それなのに壬深は、あの人の名前を知っている…・どうして?
それに…思い出した。
部長は…壬深が名乗る前に…・確か…・宜しく 壬深くん…と言った。