その恋百円-4

 背に腹は?


本当に世の中というのは 摩訶不思議な事がおこるものだと感心する。
と言うのも、なんとこっちから蹴った会社から採用通知が届いたのだ。
正確には内定?らしく もう一度面接したい…そんな内容だったが、
なんで? 俺はその封書を何度も読み返しては 何度も頭を捻る。
あの嫌味な部長の顔が浮かんだ 何とはなしに関わりたくないタイプ。
苦手なタイプ…なのだが、良く考えると、そうも 言っては居られなかった。

何しろ未だ勤め先も決まらず その上居候まで抱えている身では、
一日も早く働かなくては 明日の糧に行き詰まるのも そう 遠い事ではないのだから。
俺は 意を決するおもいで 指定された日時に言われた場所に赴く事にした。

目の前の建物を見上げ、口をあんぐりと開け、間違いではないか?
もう一度、封書の中味を取り出し確認してみた。 

合っている…嘘だろう…・こんなでかい会社だったの?
指定された本社ビルは入口に社名を掲げた 5階建てのかなり立派な自社ビルで
正面入口には御丁寧にガードマンまで立っていた。

俺は何度かその前を往復すると 正面から建物を睨み付け、
意味も無く頷くと、入口に向かって足を踏み出した。

この前の面接を受けた部屋とは比べ物にならない、来客用の応接室に案内され、
面接ではなかったのか…と、少しばかり不安になりながら、
尻の下のむっちりとした椅子の感触に、どんな客用なんだ?と、要らぬ詮索をしていると
廊下側ではないところのドアが、音も立てず開いた。
そして…

「やぁ…すみませんね…来て頂けないかと心配していましたが、
良くいらっしゃいました…どうですか どちらかお勤め先決まりましたか」

あの嫌味な部長が姿を見せ、俺の顔を見ると 嫌みににこやかな笑顔で言った。
俺は そのにこやかさに、むっとしながらも、
悲しいかな、身体が勝手に起立姿勢をし、45度に頭をさげ…答える。

「決まっていたら 此処には来ていません」 
すると部長は、くっくっくっ と可笑しそうに笑うと

「それは それは…残念ですね。
しようが無いから、諦めてうちへ来た…と言う訳ですか」 
と、言いながら、俺の目の前の椅子に腰を下ろし、俺にも座るよう手で促した。

内心を見透かされている…そんな気がして…やっぱりこいつは苦手だ。
と思いながらも、失礼します…そう言って、俺も椅子に腰を下ろし、
真っ直ぐに部長の顔を見ると、此処へ来た理由、封書の内容について聞いてみる。

「別にそう言う訳では…それよりどういう意味でしょうか
俺は 面接でひどく横柄で失礼な態度をとって帰ったはずなのに、
再度 会いたいと云うのは 何か言いたい事でもあったのですか」

「いいえ 書面に記した通り 採用したい・・それだけですよ。
君は気に要らないかもしれませんが、私は気にいった…そう言う事です」

全く何を言っているのか…意味不明な事をしゃぁしゃぁと言う部長に
とても、再面接に来たとは思えない態度で、俺は尋ねる。

「俺は 英語も駄目だし 秘書の仕事など到底出来ません。
そんな私を採用して 何をさせるつもりですか」
何をさせるでは無く、何をさせて頂ける…なのだろうが、
させて頂けそうな仕事もなさそうなので…そんな屁理屈で、相変わらず横柄な俺に

「そうですね…私の秘書はどうですか…?
今の秘書は 社長付きに移動させます。 それで、君が私に付く…良い考えでしょう?」
って、お前…俺の言った事聞いていなかったのか! 心の中で喚きながら

「…・・だから…秘書は嫌だって…」
あくまでも勝手な事を言う俺に、普通なら怒って叩き出すんじゃないか? 
その事が驚きなのに…部長は意外な言葉で、更に俺を驚かせた。

「そんな 悠長な事を言っていられる場合ですか? 
いろいろと逼迫しているのでしょう? 余分な食い扶持も抱えているようですし」

「な! なんで そんな事!! 調べたんですか?」
俺の仰天ビックリの大声に、部長は至極当然とばかりに、取り澄ました顔で

「当然です…秘書は懐刀です。 簡単な身辺調査は当たり前ですよ」
そう言われて、俺は不覚にも
「そうなんですか?」  言ってしまった。

「はい…そうです」
にっこり笑う部長の顔を見ていると…・突然、誰かの事を思い出した。
あいつも 年とったら こんな大人になるのだろうな…

本当の姿?

「ねぇ…ねぇったら! 聞いているの?」 壬深の声に我に返ると 
箸で抓んだはずの里芋は、箸から落ちてテーブルの上で、所在無げに寝ていた。
だから
「あっ! 悪い…落した」 今度は その芋に箸を突き差し口に運ぶ。

「違うって…なにか合ったの? 変だよ。帰ってからずっと。上手く行かなかったの?」
壬深が、少し心配そうな顔でじっと俺を見つめて聞くから、
「何が?」 と、聞き返すと、

「面接…今日だったんでしょう? もう一度来てくれって手紙きた会社の…。
向こうがそう言って来たのだったら OKって事だよね普通。 違っていた?」
壬深に言われ、そういえば結果をまだ知らせていなかった事に気づいた。

「ああ…そうだった。 一応採用が決まった」 
俺はそう言うと、口の中の芋を飲み込んだ。

「ほんと! やったね 良かったじゃん。
それなら 早く言ってくれれば もっと御馳走を作って、お祝いしたのに、
お兄さん 何にも言わないから…」

壬深は、ひょっとしたら俺より喜んでいるのでは…そう思えるほど目を輝かせ、
満面の笑みで…少しだけ不満の言葉を口にした。

「別に 祝うほどの事じゃないよ…・」
俺は内心複雑な思いもあって、つい言ってしまってから、
しまった…と思ったが…壬深の反応の方が早かった。

「やっぱ、何か変…もしかしたら…その会社嫌なの?
でも…僕がいるから 我慢して就職決めたの?」
壬深はそう言って、また少し心配そうな顔で俺を見つめた。

「バーカ…・・余計な心配をすんじゃないよ。
まあ たまたま会社が倒産して失業してしまったけど、 
俺の年じゃ 働いているのが普通だろうよ。
それが 当たり前の事だから 祝うほどの事じゃないって言ったんだ
子供のくせに あんまり気を使うな…はげるぞ」

「だって…なんか様子が違うから…あんなに沢山 面接行って頑張っていたのに
仕事決まったら あんまり嬉しそうじゃないから」

本当に…ひどくあっけらかんとしているかと思えば、
こういう事には、意外と細やかな心配りをするんだよな…などと思いながら、

「そんな事ないよ…嬉しいというより ほっとしたって言うのが正直な気持ちだな。
ただ…上司になる奴が…ちょっとな」
「やっぱり嫌な奴?・・」

「違う…嫌なんじゃなくて、苦手なタイプだな…あれは」  俺が言うと、壬深は
「苦手?…」  ちょっと不思議そうな顔をする。

「いるだろう、そういう奴って…なんでも出来てエリートで
その上容姿端麗…人当たりもよくて人望もある…・
そのくせ 妙に人に絡んで嫌味を言う奴…」

まぁ、何でも出来るかどうか判らないし、人望もあるかどうか判らないが、
一応そんなふうに言ってみる…・すると、壬深は、益々解らない…そんな顔で

「??? いるの? そんな奴」  と、言った。
それが、何となく癪にさわり、
「いるんだよ! とにかくいるの…そういう奴が…」  俺は決め付けるように言う。

「ふ〜ン そうなんだ。 お兄さん反応可愛いから…遊ばれちゃうんだよ。 
駄目だよ、そんな奴相手にしちゃ」 と、きた。 
やっぱりなぁ…。

「…・お前なぁ〜…やっぱり…似ているよ、お前と…」
最後の言葉は小さくなり、壬深の耳には届かなかった。

狭くて、あまり綺麗でもないキッチンに立って、
エプロンなんぞかけて洗い物をしている壬深を、何とは無しに眺めていると、
う〜ん…正に掃溜めに鶴って感じだな…・などと、感心する。
そして…

大人になる前の、少年の名残のような…繊細さと、強かな伸びやかさが同居し、
柔らかな頬のラインが…細い首が…
ともすれば少年とも少女ともつかない奇妙な魅力で、心に漣をたてる。

ああ…そうだよな…まだ、高校生…・なんだ。
エプロンなんざしているから…口を開かないから…
俺はそう思うことで、自分の中に芽を出しそうな感情に覆いをする。

 公・私は矛盾する?

出社初日 俺は、第三営業部 人事部長補佐係。
なんて訳の分からない肩書きの入った名刺を渡されて、新入社員のくせに 部長室勤務になってしまった。
考えてみれば 部長に秘書など付く訳はない。 大体が専務か社長付きだろう・・
その為か、俺の所属は秘書課ではなく、第三営業部。 
そして…この宮田という上司が、実は部長の肩書き以上の力を持っている事を知らされた。
人事部長と言いながら、会社の大口の取引相手は ほとんどが宮田部長の担当で、
俺の初仕事は、その取引企業のデーターを、頭に叩き込む事だった。

部長は忙しい。とにかく忙しい。死ぬほど忙しい。
分刻みと言って良いほどのスケジュールを、あちこち飛び回りなんなくこなす。

その後ろを、あたふたと追いかけるだけの俺は、
秘書と言うよりただの鞄持ち。情けない…そんな気にさせる。
そして…この男の、手足になれなければ 俺のいる意味は無い。
その事を、改めて実感させられた。

今までの会社に比べ 桁違いの額の取引を纏める男の下で働くのだ。
正直 不安や恐ろしさがないと言えば 無い事もない。
だが俺は、始めて、男が仕事をするというのは、こういう事だったのだ。
この男に追いつきたい この男に認められたい…そう思った。

に、しても…なんで人事部長が、営業を?
俺はその疑問が、どうしても心にひっかかり…

今日も、名古屋の得意先まで出向いた帰り、新幹線の中で、
俺と並んで座る部長に…俺は、恐る恐る?聞いてみた。

「あの…部長は人事部…ですよね」
すると、部長は椅子の背に預けていた頭を、俺のほうに向け
「それが、どうした?」 と、言って、例の嫌な笑みを浮かべた。

はぁ〜 何だってこいつの笑い方は…こんなに嫌味ったらしいのだろう…
そんな事を思いながら、
「はぁ…普通人事部長は、営業周りをしないのでは…」  俺が言うと

「まぁ、そうだろうな。 でも、私の元々の部署は営業部だからね。
この肩書きは、この前の採用に当てて 特別に拝命したものだから、
直、返上する事になるだろう。 そうなると、君と同じ営業部に戻る」
部長は、事も無げにそんな事を言う。

「はぁ〜?採用の為の特別人事…って事ですか?」
「ははは…そういう事だな。 
だが、そのおかげで、君を採用できた。 そうだろう?」
部長はそう言って、またまたイヤ〜な笑みを浮かべた。

確かに、あの時…私が気に入った。 この人はそう言った。 
つまり…この人が俺を拾い上げてくれた。 そういう事なのだろう…
が、其処に何かひっかかりのようなものを感じ無い事も無く。

それでも、仕事をするには最高の上司…のような気もしないでは無く。
俺は、はぁ〜 そう言って曖昧に頷くと、
既に頭を元に戻している部長の横顔から、顔を逸らし
自分の椅子の背に頭を預け、目を閉じた。

「お兄さん…なんか変わったね…」
久し振りの休日の昼下がり…パソコンにデータを打ち込んでいる俺のすぐ側で、
やはり、のたばったままで、パソコンを弄くっていた壬深が言った。

「そうか? 毎日が忙しくて、ボーとしている暇もないからな」
俺は、画面から目を逸らさずに答える。
すると壬深が、もそもそと俺の腿辺りまで這い寄ると、俺を見上げ…聞く。

「仕事…面白い?」 

「……そうだな。面白くなったら一人前だろうが、今は まだそんな余裕は無い。
必死に足掻いていると言うのが正解だろうな」
俺はやはり、カチャカチャと手を動かしながら答える。

「上司は? やっぱり苦手?」
「あぁ…苦手だ。相変わらずな。でも……」

「でも?…・」
「尊敬はしている…・あの人に認められるようになりたい…
一日も早く、あの人の手足になりたい…そう思っているよ」
俺は、やっと画面から顔を逸らし、腿の辺りにある壬深の顔に、視線を移すと、
壬深は、なぜか不安そうな顔で、俺を見上げたまま

「手足に? そう…・・」 と言ったきり、じっと俺を見つめた。


「どうした? 心配するな。 大丈夫 絶対追いついて認めさせてやる。
それよりお前 毎晩俺の帰りを待って 起きていなくても良いぞ。
帰りはほとんど 夜中になるんだから…これからは先に寝ていろ。

それに…無理して俺の飯まで作らなくて良いから。
俺は外で済ませても良いし…弁当買ってきても良い。
お前は、学校だってあるんだから、自分の事を済ましたら さっさと寝ろ」
俺がそう言うと、壬深は幾分表情を変え

「それって…僕がじゃま…って事?」  と言った。

「そんな事いってないだろう…俺は ただ…」

正直、壬深の作る飯は美味いし、いろいろと世話?をしてもらえるのは、
本当に助かる、嬉しい…そう思う反面、
自分の都合で、壬深を利用し、扱き使っている…そんな気がしないでもなかった。

考えてみると此処には、学生の壬深が向かう机も無いのだ。 そして、時間も…
俺は、少しでも壬深が自分の事ができる時間が、出来たら良い…それだけで、
本当に…他に意味など無かった…それなのに壬深は、

「いいよ もう! わかったから…
僕ちょっと 友達と約束あるから、出かける…少し遅くなるかも知れない」
そういうと パタンとパソコンを閉じ、そのまま出ていってしまった。

俺は、呆気にとられ、壬深の出て行ったドアを見つめ…
何なんだ? あいつ。 せっかくの休みだと言うのに…
久し振りに一緒に…いっしょに…そう思って、はたと気づいた。
そうか…ずっと休み無しだった…その事に。

今の会社に勤め出してから、壬深と まともに顔を会わせて話もしていなかった。

毎日帰りは 深夜…ほとんど、日付が変わってから帰り、
朝も 部長の予定に合わせるため 幾分早めに家を出る。
それでも…朝食と、夕飯は…いつもきちんと準備されてあって。
必ず 行ってらっしゃい…の言葉で送られ、お帰り…の言葉で迎えられた。

確かに 早く仕事に慣れようという思いもあって 壬深の事を考える余裕もなかった。
疲れて帰ると、口を開くのも億劫で、食事を済ませると、そそくさと布団に潜り込む。
そんな日が、結構続いていたような気もする。

それでも壬深は…いつも嬉しそうに笑って…腹が立つほど、いつも嬉しそうで。
なのに…あいつの あんな…今にも泣きそうな顔…始めて見た。

 互いの想い?

飛び出して来たものの 行くあてなど無い…でも、あのまま あそこに居たら…
泣き出してしまいそうだった…何か 言ってしまいそうだった。
壬深は溢れそうになる涙を堪え 自分のマンションへと駆け込んだ。
部屋に入ると 堪えていたものが溢れ出し…

バカヤロー! 何が飯は要らないだよ…いつも全部喰うくせに。
早く寝ろだって? 僕が起きていないと、着替えもしないで寝るくせに。
朝だって‥・・起こさないと いつまでも寝ているのは誰だよ!

尊敬している? 手足になる? 上司の褌かつぎかーーーお前は!!
誠の、バカヤローーー! お前なんか…誠なんか……。

散々 悪態をつき、涙を流すと 
序所に 気持ちが落ち着いてきたのか、今度は逆に腹が立って来た。
誠の奴…僕を泣かせた罰は、きちんと払ってもらうからね…


正直言って、壬深は、浦野があそこまで変わるとは思っていなかった。
浦野の話から想像して 上司はただの総合職だろうと、勝手に思い込んで
たかを、括っていたのが間違いだったと気づいた。

もしかして…本当に出来る奴だとしたら…結構ヤバイかも。

このままだと…尊敬が、別の感情に変わる可能性も、無きにしも有らずだから、
なんとか対策を考えなくては…そう思って、肝心な事を思い出した。

そう言えば…お兄さんの会社の名前…聞いてなかった…最悪。
その時
ぷるるるるーーーー壬深の携帯の呼び出しが鳴った。
デスプレーの表示は…ラブラブハートマーク

「なに? なんか用?  僕、今友達ん家だけど…」


取り付く島も無いような、壬深の不機嫌な声が、耳に響いた。
あぁ・・やっぱり怒っているんだ…そう思いながら、浦野は少し間を置いて言う

「いや…別に用はないんだ。 そうか、友達の所か…。
壬深…・ごめんな…俺が悪かった。
お前のお陰で、今の仕事も、どうにか勤まっているって事を 忘れていたよ
お前が、いろいろ気を配ってくれているのが、当たり前のように思って
俺は、お前に甘えていた。 悪かったな…邪剣な言い方をして。

けどな…お前の事が、心配だったのは本当だからな、それだけは信じてくれ。
壬深…いつも有難うな。 それだけ言いたかったんだ。
今日はゆっくり 友達と羽伸ばして来い…じゃぁな」
浦野が言い終わる前に 壬深の叫ぶような声が聞こえた。

「帰る! 今から・・帰る!!」 

「えっ…だって友達と一緒だろう? いいんだぞ 無理しなくて」
浦野が言うと、

「無理じゃない! お兄さんと一緒に居る方がいい。 
すぐ帰るから! 即行帰るから待ってて!!」 

壬深は、電話を切ると急いで洗面所に行き、顔を洗う。
泣いたせいで 少しだけ目が赤くなっているのが気になったが、
そんな事、構っていられないとばかり…バッグを引っさげると、部屋を飛び出した。