その恋百円-2

 新たなる船出?

クリーニングをしたワイシャツに、ネクタイを締め背広を着ると、
先日もらった、紹介状と履歴書を内ポケットに入れた。
鏡の中で、少しだけ緊張した面持ちの俺を見ている俺に、俺はにっと笑ってやる。
すると鏡の中の俺も、にっと笑い…そんなくだらない事でも、幾らかは緊張が解れたような気がした。

畳半分ほどの玄関には、俺の靴がきちんと揃えてあり…壬深が、
「 はい…」 と、言って、
靴を買った時に貰った、ビニール製の靴ベラを俺に差し出した。

そんな事をされた事もない俺は、何となく気恥ずかしさで…戸惑う。
見ると、俺の靴はピカピカとまではいかないが、汚れは綺麗に拭われてあり、
「靴…磨いいてくれたのか?」  俺は、壬深に聞いた。

すると、壬深が
「うん…だって げろが撥ねて汚れていたから」 と、笑いながら言う。

俺は心の中で、げろを強調すんじゃねぇよ…と、思いながら
黙って靴ベラを受け取ると きれいに磨かれてある靴に足をいれた。

「行ってらっしゃい…頑張ってね・・」
半分だけ開いたドアから 顔を覗かせ、ヒラヒラと手を振る壬深に、
俺は 一応片手をあげ カツカツと音をたて階段を下りた。

塀際の 醜態の跡は水で流したのか きれいに消え去っていた。
これも 壬深がやったのか? なんて思うと…
俺って ガキのあいつに世話をやかれている? と云うより 
あいつに、良い様に振り回されている…・ような気もした。

昨日だって あの後、話しはしたものの 結局壬深が居座るつもりに変わりなく
俺は 記憶にない承諾を盾にとられ かなり不利な状況ながら
なんとか諦めさせようと、目下失業中だという事まで打ち明けたが、 
壬深はアルバイトで自分の口は養えると言い張った。

家や両親の事を聞いても 適当にはぐらかされ 行く所が無い、の一点張り…
もし それが事実なら、追い出すのも少しだけ薄情な気がして…。
おそらく プチ家出の類であろうと考えた俺は 何日か泊めてやれば、
そのうち 家に帰るだろうと思い黙認する事にした。

少し落ち着いたら、よく話を聞いてやれば良いだろう。 
第一今は 人の心配より 自分の心配をしなければならない状況なのだから・・
そう思って 暫く様子を見る事に決めた。


広い敷地の入口にある 守衛室で記帳用の用紙に、
訪ねる相手と用件 そして自分の氏名を記入すると 奥に見える建物に向った。

綺麗に手入れをされた、植え込みの緑が、やけに目に眩しく
都心から少し離れた郊外のせいか 日差しや空気の色までが違うような気がした。

建物に近づくと一面ガラス張りの其処は 何処かのショウルームを思わせた。
ただ 違うのは幾つものテーブルと椅子 が置かれてあり
来訪者の待機場所 あるいは面談室といった所なのだろう。

円柱の回転ドアの正面奥に 受付カウンターがあり、
左右は 外から見えた面談スペースになっていた。
俺は真っ直ぐに進み 受付カウンターの前に立つ。

「いらっしゃいませ」  まるで デパートの案内嬢のような制服を着た
若い女子社員が 俺を見て頭を下げた。

来訪の目的を伝えると 女子社員はにっこり微笑んで
少しお待ち下さい…と言って何処かへ電話をかけ 一言二言 話すと電話を切った。
そして、
「御案内いたします」  と言ってカウンターから出ると 俺の先にたって歩き出した。

フロアーを進むと、奥は個室になっているようで、ドアがいくつか並んでいた。
女子社員はその一つを開けると
「只今 担当の者が参りますので 此方でお待ちになってください」  と言った。

部屋の中には、テーブルとそれを挟んで 椅子が四却…
俺は 入口に近い椅子を引くとそれに腰を下ろし、 
ポケットから、紹介状と履歴書を取り出すと テーブルの上に置いた。

妙に喉が渇くのは 緊張しているせいなのか、 
俺は ゴクリと唾を飲み込むと 大きく息を吸い込み それからゆっくりと吐いた。

 

早くも沈没?

ガチャ…ドアの開く音がして 俺はそれに合わせたように立ち上がると、椅子の横に身体を移動させた。
男が二人 一人は 30を少し出た位だろうか。 もう一人は、それより少し上といった感じに見えた。

「浦野 誠 と申します。 宜しくお願いいたします」
俺は二人に向かって 45度に近いお辞儀をした。

「こちらこそ 宜しく。
明日から出張でして 今日此処でしか、お会い出来なかったものですから、
すみませんね 遠くまで足を運んでいただいて・・」
そう言いながら 二人は それぞれの名刺を出した。

俺はそれを受け取ると、名前と顔を見比べる。
えっ 若い方が上司? 人事部長…宮田 学。 すると…俺の内心を、見てとったように 宮田部長が
「秋元は 社長秘書ですから…今日は 社長代理です」  と言って笑った。

椅子を勧められ 俺は二人が座るのを待って再び椅子に腰をおろすと、
徐に、ハローワークでもらった紹介状と履歴書を差し出す。
部長は 「失礼するよ」 と言って、それを広げ、目を通すと社長秘書に渡した。

「今回の採用面接は 浦野さんで38人目です。
面接に来てくださった方は、皆さんそれぞれ素晴らしい方ばかりで、
私共としては 正直、決め兼ねているところです。 
採用面接は、一応今日で終了になりますが ざっくばらんに言いますと、
当社としては 即、戦力となる者を二名採用したいと考えております。
第三営業部に一名。 これは、できれば英語の堪能な者を希望しています。
もう一名は この秋元の後任 つまり社長秘書と言う事になりますね」
宮田部長は、そう言ってちらりと隣に座っている秋元に目をやった。

「後任…・ですか」  俺が訪ねると、秋元は
「私は 退職いたしますから…・」  と言って目を伏せた。

「私共としては 秋元に辞められたら大変困るのですが、
家族が、海外に行く事になりまして 当分日本には帰れそうにありません。
ですから 彼も一緒に向こうに行く事になりました。

その為に急きょ 後任が必要になった次第です。
貴方が、もし我が社に入社なさるとしたら どちらの部署を、希望されますか?」 
宮田部長は、そう言うと薄笑いを浮かべた。

そんな事言われたら 遠回しに断られているようなものじゃないか…
事実、俺の履歴書の資格の欄には、運転免許証以外何の資格も記述されておらず、
P検も、英検も、ましてや秘書なんて、受けようと思った事もなかった俺にとって、
部長の言う条件は、規格外だと言われているのと同じようなもので、
俺はムッとして 薄笑いを浮かべている男を、睨みつけるように見つめると、

「私の英語は 身振り手振りでやっと通じる程度です。
英語は、私の一番苦手な科目でしたから。
それに、自分の思った事はすぐに顔に出るタイプで とてもではありませんが
常に、ポーカーフェイスを保つ秘書のような仕事は、一番難しく不向きなようです。

どうやら私は、御社の望まれる人材には 大分遠い所にいるような気がします。
なので、今回の面接は無かった事にさせていただきたいと思います。
本日はお忙しい処 わざわざお時間を割いて頂き ありがとう御座いました。
大変申し訳ありませんが、これで失礼させていただきます」

俺は立ち上がると 最初と同じ様に45度のお辞儀をすると、後ろも見ずに部屋を出た。
ドアを閉める間際、背中で、クスクスと笑う部長の声が聞こえ、 
俺は益々腹がたって、そこが普通の床だったら 鳴り響いたであろう足音が、
敷き詰められたカーペットに消されてしまう事すら腹立たしく思えた。

社外へ一歩出た途端…腹立ちは多大きな後悔に変わったが、
今更どうなるものでもない。

「毎日こんな遠くまで通えるか…バカヤロウ…」
俺は、社屋に向かって虚しい捨て台詞を残し 守衛室へ向かって歩き出した。
だから、そんな俺を窓から見つめている目があるとは、当然気付もしなかった。

「面白い男だな…・」
「はい、面接者に断られたのは 始めてですね…」
「そうだな…壬深の奴、知っているのか? あの男が、うちの面接に来た事を」
「さあ…そこまではご存知ないかと…」
「…・・どう思う? 使えると思うか?」
「そうですね…少し一本気ではありますが、印象としては好青年のようです…」
「そうか…・・壬深のお陰で…美鈴にまた恨まれるな」 
そう言うと 宮田と秋元は顔を見合わせて笑った。

 不運な癒し?

どうも 上手く行かない…
最初のあれが祟ったのか、続けて受けた二社も 今ひとつ手ごたえが無かった。

はぁ〜 手にした求人誌に目を通すでもなく ベンチで溜息を吐く。
西日がチリチリと 剥き出しの腕を焼き、首も背中も汗でぐっしょり濡れて、
ツーと、額から流れ落ちた汗が 赤くなった腕にポツンと落ちた。
ポケットからハンカチを取り出すと、大分汗の浸み込んだハンカチを見つめ、それをそのままポケットに戻す。
そして、ゆっくりと立ち上がると、また一つ大きなため息を吐き 家に向かって歩きだした。

「お帰り。 うわっ! 凄い汗。 外はめっちゃ暑いんだ」  壬深が、涼しそうな顔で言うので。
「お前はクーラー ガンガンの処に居て、涼しそうだな」  つい嫌味を言ってしまったが。

「だって クーラーつけてなきゃ 死んじゃうよ…」  壬深が、プ―とふくれて言うから、俺もむきなり。
「だったら俺は とっくに死んどるわ!」  と、言うと…壬深は何が可笑しいのか ギャハハハ・・と笑い、
「シャワー浴びたら? アイスコーヒー作ってあげるからさ」  意外にも優しい声で言った。

俺がシャワーを浴びている間に 壬深は俺の背広をハンガーに掛け、
汚れたシャツや靴下を、洗濯機に放り込みスイッチを入れた。 
そして着替えを揃え 浴室から出てきた俺の前に、良く冷えたアイスコーヒーを置いた。

小さな水滴を纏ったグラスの中で、氷が揺れている。
その緩やかな動きを見ているだけで、何となくゆったりとした気持ちになり…俺はグラスに手を伸ばした。
冷たいコーヒーは、とてもまろやかで、美味しく、少しだけ幸せな気分にしてくれ…。
そして俺は 結婚している夫はこんなんだろうか…なんて思ってしまった。

壬深は 勝手に俺の部屋に居座ってしまったが、
しごく当然のように 俺の身の回りに、気を配ってくれる。
俺も、それをあまり違和感なく 受け入れているのが不思議な気がした。

だが・・壬深が住みついて一週間以上になる。
もう、そろそろ帰る…と、言い出すのではないか…と思うと 
それに触れたくない…と思う自分がいるのに気付く。
誰かと一緒の生活は、一人より潤いが有る事を知り それに慣れてしまったら
再び一人に戻るのが、少しばかり辛いのかも知れない そう思った。

そして…壬深の視線が 妙に気になり…つい、
「なに 見てんだよ…」  そんな事を言ってしまう。
「うん…見惚れてんの 」  そう言って、にっこり笑う壬深の笑顔が、やけに可愛くみえ。
「馬鹿な事、言ってんじゃねぇよ・・」  俺は、わざと乱暴な口調で言った。 

「エーッ! だってかっこいいし 優しいし…そんで、可愛いから」  壬深は、理解しがたい事を言い、
「……お前…精神科行って来い…」  俺は、それしか言えない。 そんな俺から、視線を逸らしもせず、
「変かな?」  壬深は、クスクスと笑いながら言う。 
俺は、何となく…・追い詰められるような気持ちになり、自分から話を逸らし、

「ああ、変だ…それよりお前 いつまで居るつもりだ? 
そろそろ帰ったほうが良いんじゃないのか? 親も心配しているだろう…。 
誘拐 監禁なんて事になっていたら 迷惑だぞ 俺も…」
触れたくなくても、触れない訳にいかない肝心な事を、さりげない口調で聞いてみる。

「大丈夫 そんな事ないから…僕一人暮らしだったからさ。
親は、今も僕が一人で住んでいると思っている…本当だよ」
思ってもいなかった壬深の返事に、少しだけ安堵すると、今度は別の疑問が頭を擡げた。

「そうは言うけど、やっぱりなぁ…それにお前 学校は? 
17才じゃ まだ高校生じゃないのか?」  
俺が聞くと、壬深はやはり…と、言うか、意外…と言うか

「うん、二年。 ねぇ 此処から通っていい?」  と、言った。
「あ〜? なに 近いのか? 学校」
「うん すぐ其処…歩いて5分…」
壬深の答えに、近所を頭に思い描く…此処から、5分…ってことは…・

「…・まさか 海聖? 」  恐る恐るの態で聞くと、
「そう…海聖 2年S組」  途端に俺の頭の中に、遠く過ぎた、思い出が蘇り…
「…・俺が 麻疹になって、受験できなかった学校だ…」  思わず声も沈む。
それなのに壬深の奴は、俺の心中もお構いなしと、ばかりに、

「えーっ! そうなの? 中学三年のそれも受験前に麻疹?
それ 笑えるね。 でも、めっちゃ 運 悪ぅ〜! 」  そう言って、本当に可笑しそうに笑う。

「そうだよ 俺は運が悪いんだ。
大学受験も 入社面接も、第一希望は全部、なにかしらトラブルがあって駄目になった。
挙句に、ぎりぎりなんとか入社した会社は、3年で倒産するわ、 
訳の解んない居候に住みつかれるわで もう 最悪の人生だよ」
俺は、最後の部分は、幾分壬深に当てつけた…つもりでいた…が、
壬深も、少しはそれを感じたのか…

「ごめんね…お兄さん。 でも 僕が付いているから大丈夫。 僕 運がいいから」  と、言いやがった。
それって、全然感じてねぇ…って事じゃないか。 お前が一番の悪運だ!…そう思いながらも
壬深の笑顔に 何となく癒されている自分がいる事を知り。

「…学校は ちゃんと行ったほうがいい…」
そう言う事で 今の生活をもう少し…そう思う自分に戸惑う。