その恋百円-1

 浦野誠の受難

世の中にはこういう事もあるのだと 朝会社に行って始めて知った
昨日までは何の疑いもなく 今日と云う日は明日に続くものだと思っていたが
そうでは無い事も起こりうる そして 全く予想しなかった明日が来る事もある

朝の 社内放送で 社長が 言った。
【 我が社は 倒産しました。】  倒産? 倒産って…・何だっけ…。

社長は 鎮痛な面持ちで いろいろ の賜っていたが、
ほとんどの人は 一瞬の夢から醒めたように 口々に何か捲くし立て、
ある者は 泣き出してしまい…俺の頭は 必死で 倒産の意味を検索していた。

どんな説明だろうが 謝罪の言葉だろうが そんなもので結果が変わるはずも無く。 
挙句に、責任を取るべき立場の者達は しっかりと 身売り先である企業に、
または その関連会社に 横すべりしたと聞いた。
泣くのはいつも 下の者と決まっているらしい。
俺は すずめの涙ほどの退職金を手に 失業した。

「お前って ほんと 運が悪いよな」
居酒屋で自棄酒を呷る俺に 友人が焼き鳥片手に 空のグラスを持ちあげ、お代わりを注文しながら言った。
「ほうか…俺 やっぱひ 運がわゆいぃのか?」
酔いが回って呂律がおかしくなりながら 俺が答えると、友人は さも 可笑しそうに。
「悪い 悪い  もう 最高 」 と言って笑った。

「お前 人の不幸 楽ひんで ないかい」  俺が言うと
「楽しんではないけど 感心はしている。 まぁ お前のことだから 心配はしてないけど…
とにかく、今日は厄落としだ ぱーっ と行こう ぱーっと。 最後まで付き合ってやるから、潰れるまで呑んでいいぞ」
友人は そう言って 俺のグラスに自分のそれを ガチンと合わせた。
なにやら取りとめのない話や 愚痴を言ったような気がする、泣いたような気もする。
そして 記憶はゆらゆらと揺れて、不鮮明になり…途切れた。

目を開くと 見慣れた景色に 自分の部屋だと気付く。 時計に目をやると 8時少し前…
やばい! 遅刻だ…慌てて飛び起きたが、
途端…ひどい頭痛と共に周りがぐらりと揺れ 吐気が込み上げてきた。
完璧な 二日酔いだ…。
そして 思い出した。 行くべき会社は もう 無いのだ…と
はぁ〜 大きな溜息と共にごろりと横になると またまた天上が揺れた。

「おい! 浦野 生きているか?」
耳元で俺を呼ぶ声と 体を揺さぶられる感覚に目を開くと 目の前に 友人の顔があった。

きちんと背広を着て ネクタイも締めているのが、不思議に思えたが、
ぼやけた頭では、言葉も選べないようで
「? なんで お前居んの?」  
俺の口は勝手にそう言った。 そんな俺を見つめ、友人はホッとしたような顔で、
「外回りの途中…大丈夫か?」  友人は、そう言うと布団の横に座った。

上から下へと、友人を追って顔を動かすと、頭に響くような痛みが走り、
「あたま…・いてぇー…」  俺は、思わず顔をしかめる…と、友人は
「当たり前だ・・あんだけ呑めば 誰だって二日酔いだ 」  そう言いながら、苦笑いを浮かべた。
途中から記憶のない俺は、自分がどれくらい呑んだのか、全く覚えてはいなくて、
「そんなに呑んだのか? 」  俺の、そんな問いかけに、

「途中から 持っている金で足りるか心配になった 」  友人はそう言って からからと笑った。
正体不明になるほど呑んだという事は、此処に帰るのにも手を借りたという事で…俺は、情けなくも神妙な顔で
「ゴメン…」  と、言って謝る。 すると友人は

「久し振りに お前と飲めて楽しかったよ。
次は就職祝いだ…その時は お前が勘定持ちだからな。
じゃ 俺、仕事の途中だから これで帰るけど…弁当 持ってきたから、食えそうだったら喰え」 
そう言って立ち上がると、軽く片手をあげそのまま帰って行った。

俺は、のろのろと起き上がり 浴室へ向かう。
ぼさぼさの頭に 無精ひげがちらほら 皺だらけのワイシャツに
トランクス一枚の俺が、ぼーっとした顔で俺を見ていた。

熱めのシャワーを頭から浴び 身体を洗い、頭も洗い、髭をそる。
暫くすると、汗と一緒に残っていたアルコールも流れて出たのか、気分がすっきりしてくるような気がした。

浴室を出 キッチンの冷蔵庫を開けると 中にはビールと飲料水。
他にはいつの物か分からない、パック詰めのなにか…
俺は その中のお茶を取り出すと 小さなテーブルの上に置かれた、弁当の前に座った。
目の前の壁には、昨日俺の着ていたスーツが、きちんとハンガーに掛けられて 下がっていた。

箸を手に、弁当の蓋を開ける。 
友人は、買ってきた…ではなく、持ってきた…と言った。
正確には 作って来た…なのだと、中を見て一目で判った。
俺の 好きなもので埋め尽くされたそれは、友人がわざわざ作ってくれたもの。
ペットボトルの蓋を開け 口にしたお茶は なぜか しょっぱい味がした。


 北沢壬深の奮闘

僕の名前は 北沢 壬深(みぶか) 某有名進学校に通う 17才
父は、大手企業の重役 母は、子供服のデザイナー。 世間一般から見て 中の上?位の家庭だと思う。

僕は今 以前家族で暮していたマンションに 一人で住んでいるが、別に 家庭に問題があるわけではない。
新しく建てた家が 僕の学校から遠かったのと 高校生になり
一人で生活してみたいと言う 僕の希望に両親が反対しなかったから。

そうは言っても 母は頻繁に来るし、僕も休みの時には両親のいる家に帰る。
独立と言うには ほど遠い状態だが 僕は、これでも充分満足している。
両親が嫌いとか ウザイとか言うのではなくて、少しだけ 自分だけの空間と 時間が欲しかっただけ。

むしろ 僕達親子は 上手くいっている方だと思っている。
そして 僕は、家の近くのコンビニで、アルバイトを始めた。

夕方から 9時頃まで…それは今迄 予備校に通っていた時間だった。
あんなもの 通っていようが いまいが 本人次第で何の意味もない。
僕は そう思っていたから 予備校をやめる事を両親に話した。
黙っていても、そういう事は どうせ、すぐにばれるのだから 先に言ったほうがいい。

「大丈夫 成績は下げないし 大学も受かる」
僕の言葉に 父は そうか…と言っただけで、反対しなかった。

働くという事は 結構 疲れるものだと知った。
学校が終わって たとえ 3・4時間でも 立ちっぱなしというのはしんどい。
始めのうちは 慣れないせいもあって 終わって帰ると、何も手につかなかった。

でも今は楽しい。
学校の友達とは違う、同僚とのコミュニケーションは、
有る意味 僕に 新しい世界を見せてくれる。
だから、バイトを休んだりはしない。

そんな僕が 此処二三日 いまいち気分が優れない。 
なぜなら…あの人が 姿を見せないからだ。

そう…僕が一人暮らしを始めたのも 予備校を辞めてアルバイトするのも
全て あの人のため。
あの人が 此処のコンビニに 足繁く通うから。
たった一言 いらっしゃいませ…ありがとうございました。
あの人に その言葉を言うために 僕は 此処にいる。


僕が中学二年の頃 僕達家族はまだ このマンションに住んでいた。
その日はとても寒くて、夕方には雪になるかも知れないと言っていたが、塾が終わって帰る頃には、
本当に、ちらちらと雪が舞いはじめて、いつもの見慣れた街が、少しだけ違う街のように思えた。

小さな子供ではないが 何となく嬉しいような気がしてくるのは、めったに見ない景色だからなのだろう。
僕が 一つ前の駅で電車を降りてしまったのも そんな雪の降る街を、歩きたいと思ったからだった。

一駅 だいたいニ、三十分位かけて、家の側まで辿り着いた時には、
コートなしの身体は、すっかり冷えてしまっていた。 
僕は、家の前にある自販機で、温かい飲み物を買おうと思い、ポケットを弄った。 
手の中のお金は、二百円。

投入口に百円入れ、もう百円入れようとした時、 
かじかんでしまっていた僕の指から ぽろり…と、硬貨が滑り落ちた。
そして僕の足下で、チリンと音をたてると ころころと転がり…・自販機の下に入ってしまった。

慌てて自販機の下を覗きこんだが 真っ暗で何も見えず、
多分奥の方まで入ってしまったのだろう、と思った。

なけなしの二百円だったので しょうがないと諦めて、
返却レバーを戻そうとした僕の目の前に ニュッと大きな手が伸びて、
その 開いた掌に百円硬貨が乗っていた。

「これで 買えるだろう 」 
そう言った男の人は 頭や肩に白いものを載せて にっと笑った。

「でも…」
「これから まだ勉強だろう 頑張れよ」
男の人は、そう言って 僕の手に百円玉を握らせると、奥のアパートの方に入って行った。
その人の手が、とても暖かかったのと、その温もりを残している硬貨、
それを使うのが、勿体無いような気がして、僕は、何も買わずに家に帰った。
 
大学生だろうか…でも 背広を着ていたし…
多分 社会人になったばかりかな…なぜかそんな事が気になった。

それから 何度か、家の側で彼を見掛けた事もあったりしたが、 
あの時のお礼を…そう思いながら 声を掛ける事も出来ない僕は 
知らぬふりで なるたけ彼と顔を合わせないように…・
 
彼の方はと言えば 僕の事など全く記憶にも無い様子で、 
それが、少しだけ癪にさわったのもあって そ知らぬ顔ですれ違う。

その度に ドキドキするのは 礼も言えない後ろめたさだけでは無かった。 
なぜなら あの時の百円玉は 今僕の宝物になっている。

あれを 握り締めると、あの日の事を思い出す。 
彼の手の温もりを思い出し 心が暖かくなり幸せな気持ちになる。

僕は それがどんな感情なのか、はっきりと知りたいと思った。
想像しているものだとしても、確かめたい…
だから 僕はそのために行動を起こす事にした。



 浦野誠の受難-2

人間 仕事が無いというのは 想像以上にしんどいものだ
仕事をしない つまり収入がない それは結構こたえる
貯金など 無いに等しい俺は 即、生活に困るのが目に見えているからだ

何はともあれ ハローワークへ行き 
失業保険の手続きを終えると、求人案内を見るために並ぶ。

俺の場合は 会社の倒産によるものだから 
保険もすぐに支給されると聞いて、少しだけほっとした。 

だが それを当てにして、のんびりしていたら、たちまち日干しになってしまう。 
とり合えず、何でもいいから仕事を探さなくては。
それにしても こんなに仕事を探している人がいるとは、どういう事?
老若男女 いろんな人で溢れかえっている。 それが、俺には驚きだった。

特に 40代 50代の人たちは 家族を抱えている」のだから、
その深刻さは とてもじゃないが、俺の比ではないだろう。

自分の現状を忘れ思わず同情してしまっている俺に
時間は30分です 終わったら返却トレイに返して下さい。 と言って 係員が番号の書いた札を差し出した。

おっと…人の心配をしている暇はないんだ。

俺はその番号のパソコンを探し その前に座ると画面を覗き込む。
年齢 性別 希望エリア 業種 など必要な項目を入力すると、それに見合った求人案内が画面に表示される。
正社員の 中途採用なんてほとんど無い。 アルバイト・パート・契約社員の募集だけ。
企業にとっては 正社員なんて、無駄な働き手なのだから無理もない。
 
アルバイトでも契約社員でも、する仕事は同じなら、
保障する必要のない働き手の方が 企業にとっては有難い。そう言う事なのだろう。
とりあえず 何社かピックアップして印刷すると席を立った。

そのあと 係員にコンタクトをとってもらい 紹介状?を受け取る。
明日から また就職活動か…そんな事を思いながら、
俺はそれを鞄に入れると ハローワークを後にした。

考えて見ると、友人の言う通り 俺は、本当に運が悪いのかも知れない。
俺の誕生日は ひい爺さんの命日に当たる。
オフクロが産気づいたのと 爺さんが危篤状態になったのは同時だった。

小柄なお袋が、必死にふんばってくれて、俺がやっとこの世に生まれ出た時 
家では 通夜だ 告別式だと忙しく 俺とオフクロは病院任せにされた。

物心付いた頃から 俺の行事?事には
何かしらトラブルが発生するような気がしていた。

小学校の入学式前夜 隣の家が火事になり 俺の新しい服とランドセルは
消火の水と煤で、見るもむざんな状態になってしまった。

集団登校の列に、俺をめがけて自転車が突っ込んできて骨折したり。
大勢の中の俺一人に向かって 何かが飛んでくる、なんて事はしょっちゅうで
それでも俺はいじける事なく すくすくと育ち 成績も良く
絶対間違いなしと太鼓判を押された 超有名進学校の、入試直前に麻疹になった。

オフクロは あら!予防注射しなかったかしら?と言って
発疹で、人の顔とは思えぬほど赤く腫れ上がった、俺の顔を見てケラケラと笑った。

急遽、公立高校に進路変更し どうにか入学できた俺は
意地でもとばかりに 成績トップを貫き大学受験を迎えた。

そして これまた大丈夫と言われた 某国立大の入試の朝、
混みあう電車のなかで、俺の側にいた女が突然痴漢だと騒ぎ立て
挙句に俺を犯人と間違えた そして無理矢理電車から降ろされ

俺の受験に比べたら、お前の尻なんてたいしたものじゃない!

声に出して叫びたいのをこらえ、何とか誤解が解け無罪放免された時には、
試験はとっくに始まっていて 周りの人達は、ひどく気の毒がってくれたが
結局俺は、滑り止めに受けてあった 私立大に入学した。

俺は あれ以来 女と云う者が信じられなくなってしまった。
なぜか 人生の分岐点で、必ず方向転換せざるを得ない出来事がおこる。
それも 決して良い方にではない。

おかげで、大学卒業して勤めた会社は、中堅の繊維アパレル関係の会社。
それが、今度は倒産…ここまでくると やはり普通とは思いにくい。

今迄 さほど気にもしていなかったのが ふと、気付いてしまうと、
これから先の人生にも、夢も希望も無さそうな気がして、 
もう、どうでもいいや…そんな気分になってくる。

あ〜ぁ、なんか…面接に行くのも、億劫になってきた…。
などと思いながら、駅前の赤提灯で 一杯ひっかけて帰る事にした。



 受難?それとも出会い?

あまり良い酒ではなかったようで 足もとがふらつく。
ネクタイを 緩め 酒臭い息を吐くと 意味もなく笑いがこみ上げてきて。
どっかの うらぶれた中年親父みてぇ…そんな気がして可笑しかった。

だが…それが、途中から気持ち悪さに変わってきた。
歩いたせいか どうも胃のあたりから 不快なものが迫上がってくる。
俺は どうにかアパートの前まで辿り着くと 階段を昇る手前で
口の中に、広がってくるものに我慢しきれず 塀の側に蹲ると、それを吐き出した。

飲み過ぎたアルコールは 地面で跳ね返り 俺の靴とズボンを汚した。
食べ物は、ほとんど口にしていなかったせいか、
何度かのせり上げで、空になった胃袋は、出すものがないのに、 
これでもかとばかりに 痙攣し、内臓まで押し出そうとしているように感じた。

涙があふれ 鼻水が糸をひく…苦しくて…
背中を擦る手に気がついたのは 吐気が幾分治まった時だった。
そして 目の前に差し出されたハンカチ・・らしきもの
俺は 無意識にそれを手に取り 涙と鼻を拭った。

「大丈夫? 」 後ろから、ぼんやりと聞こえた声に、
「大丈夫・・じゃない・・から…寝・る・・」 俺は そう言ってゆらりと立ち上がった。


目に入って来たのは またまた見慣れた自分の部屋の天井…・
俺は布団の上で やはりワイシャツとパンツ姿で寝ていた。

思ったより気分が悪くないのは 昨夜全部吐き出したためだろう。
はぁ〜 なにをやっているんだか…俺は大きく溜息をつくと 寝返りをうった。

面接は明日だ 起きたところでする事もないし…と、そのまま布団の中で、
ふと かつての同僚達のことを思った。 独身者もいたが 多くは妻帯者だった。
彼等も 俺と同じ様に時間を持て余しているのだろうか…
それとも 次に向けての準備に費やしているのだろうか…

また一つ溜息をつく。 
すると、その度に 鋭気が吐き出されて行くような気がして、またまた ため息が出た。

その時…ガチャ…ドアの開く音と 閉まる音…がして、
そして、ぴたぴたと足音…が、お勝手の方へ向かった。

「倉田…悪かったな。 また 世話かけちまって」 俺は 友人の名前を呼んだ。
すると…
「倉田って…誰?」  

聞き覚えのないその声に 俺はびっくりして跳び起きた。
足もと つまり部屋の入口に 見知らぬ少年が仁王立ちさながらに立ったまま、
やはり、怒ったような顔をして 俺を見下ろしていた。

「だっ! 誰だよ!! お前!!!」

少年は 俺の問にも答えず つかつかと回りこむと 俺の側にぺたりと座った。
俺は不覚にも 首をまわして少年の姿を追いながら、
挙句に 目の前に座り込まれると、思わず後ずさってしまった。

「倉田って…誰!」 

少年は、身を乗り出すようにして、まるで、俺を睨みつけるような目で問い詰める。
何? こいつ…怖ぇ〜。 
なんか 浮気がばれて、女房に詰め寄られている亭主みてぇだ、俺。
等と考えてしまい 思わず頭をぶんぶん振って それを払いのけた。

「な! なんだよ・・お前。 人の部屋に、勝手に入ってきて…出てけよ」
なぜか、ガキを相手にびびっているみたいな口調になって、
自分でも情けない…と、思ったが、相手もそう思ったのか
全く俺のいう事など眼中にもない…と、ばかりに

「いやだ! そんな事より 倉田って誰よ。 答えてよ!」

え? いやだ…って、お前…人の家に勝手に入り込んで…
普通そんな事いわねぇぞ。 等と頭の中で思いながらも、

「なんで 見ず知らずのお前に、そんな事答えなくちゃならないんだ。
さっさと出ていけよ…しまいには 警察呼ぶぞ!」
子供相手に大人気なくも、つい大声をあげた。

すると少年は、一瞬 ポカンとした顔をし それからニーッと笑った。
な! なんだ? その笑いは…なんか、いや〜な 予感。

「警察? いいよ 呼んでも。 なんなら 僕が呼ぼうか?
昨夜 この人に強姦されましたって…言っちゃおうかな」
少年が、なんだか…いやに…嬉しそう…に言う。

「??? ご! 強姦−−−!」  
自分で口に出して、その意味に気づいた途端、俺の頭の中は真っ白になった。



 受難? の始まり

「そう…正確には 未遂だけど…でも キスはされたからね」
少年はそう言いながら、自分の唇を何気に指でなぞる仕草をする。

「う・・嘘だ。 そんな事ありえない…なんで俺が…お前と」
たとえ世界中に女が一人もいなくなっても、なんで男とキスなんか…
でも…本当に男しかいなくなったら…男相手にでもするのかな? 
などと、くだらない事を考えている俺に、少年は事も無げに言った。

「さぁ〜? 溜まっていたんじゃないの…
それとも 僕が一寸優しくしたから、魔がさしたか。 はたまた誰かと間違えたか。
だって、ひどく酔っ払っていたからね…お兄さん」

少年の言葉に 昨夜の記憶がぼんやりとよみがえった。
背中を擦ってくれた手、差し出されたハンカチ…あれは…もしかしたら…

「ゆうべ…あの時の手・・は、 お前だったのか?」
俺が聞くと…なぜか、少年の顔が今にも泣きそうに歪んだ。

「そうか…お前だったのか、あれは…
礼を言わなくちゃならないのに、覚えて無くて…悪かったな。
それじゃ、改めて礼を言うよ。 昨夜は、ありがとうな…おかげで助かったよ」
俺がそう言うと、少年は、今度は照れくさそうな笑顔を浮かべ、

「で? 倉田って…だれ?」  
又もしつこく、聞いてくるから、それには俺も、何なんだ?こいつ…幾分呆れながら、
「お前 なんで そんな事気にするんだ? 」  反対に、聞き返した。
「だって、気になるし…むかつく。 
お兄さん、ゆうべも僕のこと 何度も倉田って呼んだから」

少年は、本当にむかつくーーーー! そんな顔で言う。
それが、何となく俺が悪い…そう言われているような気がして。

「…そんな事・・」  言ってねぇ! と言いたいが覚えてねぇし…
どうすりゃ良いんだよ…と、思っていると。
「言った! 何度も 倉田って!」 
少年は、まるで怒っているようにそう言うと プイと横をむいてしまった。
う〜ん…そこまで言われると…言ったような気もしてくるのが不思議だ。 だから…

「そうか じゃ それも謝る。 悪かったな。
倉田は 俺の親友だ。 少し前も飲みすぎた時があって 倉田に 世話になって迷惑かけた。 
丁度ゆうべみたいに…それでつい 勘違いしたんだと思う。 本当に 悪かったな」
俺は素直に謝ると、頭を下げた。 すると、

「何かあったの? そんなに酔い潰れるほど お酒を呑みたい事が」
少年が 少し心配そうな顔をして俺を見つめた。
おい おい…子供心配されるのも、大人としては複雑なものだぞ…等と思いながら、
「…・まぁ・・大人には いろいろ有るんだよ・・」  
俺は、そう言ってごまかすが、少年にとっては何の効果も無かったようで、更に
「失恋とか? 」  と、聞いてきた。

「失恋か…そう言えば そんな事も あったな・・」
「恋人…いないの?」
「残念だが 目下 フリーだ… こら! 何を言わせるんだ」
何だか誘導尋問にかかっている? そんな気がしないでもなく、俺は、一応大人の威厳?を発揮する。
だが少年は、やはりそんな事は、全く鼻にもかけない様子で、

「そうか…寂しいね・・」 
そう言ったわりに にっこり笑っているのは…又しても、なんなのだ?こいつ…変な奴。
それにしても 表情がころころよく変わる…カメレオンみたいな奴だ。
俺は そんな事を思いながら 

「確かに 寂しいが 笑う事もないだろう」  
一応嗜める…が、少年の次に放った言葉に、またまた頭の中がパニくる。

「でも…これからは 僕が一緒だから、寂しくないよ」
「はぁ〜??? お前 なに言って…」

「嫌だなぁ〜 覚えてないの? 僕 此処に一緒に居ていいって 言ったじゃない
僕にキスしちゃったから 責任とって僕の気が済むまで此処に居て良いって
昨夜 はっきりそう言ったよ、お兄さん」

「そっ! そんなーーー!!」  
絶対、言ってねぇーーーー! と、叫びたいのに、なんせ覚えてないのが、どうにも不利。
そんな俺に

「宜しくネ、お兄さん。 僕 北沢 壬深…17才 みぶか って呼んで」
少年は そう言って、やけに嬉しそうに笑った。