ご褒美

2000メートル走、スタート! の合図で10人の選手が一斉にスタートする。

【やはり最初はある程度、スピードを保って…って…おい!速いぞ!! これじゃ全力疾走?に近いだろう!! 
どうすんだよ…あれに引っ張られたら、全員共倒れだぞ…二番に付けてどころか、200も走ったらバテちまうよ…どうす る…どうする。 
あーーっ、バカ先頭!  しょうがない、中盤辺りで様子を見る事にしよう…】
村澤は、最初の作戦?を変える事にし、チラッとテントの中に目をやると、三里の澄ました顔が小さく綻んだ。

【あいつ…この不測の事態?を楽しんでやがる…】 
 
やはり予想通り、一周を過ぎた頃からスピードが落ち始め、先頭が入れ代わったのが見えた。
朝陽ヶ丘高校のグランドは、以前村澤の通っていた高校に比べるとかなり広く。
都心と郊外の違いなのか、トラックの外週には下草が芝生のように生えていた。
そのせいか、コンクリートと土だけの以前のグランドに比べ、何となく呼吸が楽な事に村澤は気付いた。

【呼吸が楽という事は、体力の消耗が少ないという事だろうから、取り敢えずは今の位置で。
一周が400…5週で2000。 3週を過ぎたら、前に出て…後は死ぬ気で走るしかないか】

そして、またも予想通り…二週目を過ぎると、塊は徐々にばらけ始め 長い列のようになってきた。
村澤は一人二人と抜きながら前に出て…いや、出るつもりだったのが、前の奴等がずるずると勝手に下がりだし
棚ぼたのように…三週目で二番手に付ける事が出来た。 後を振り返ると、木内がピッタリ付いている。
それに並んで…並んで…【ゲッ! 黄色だ!!】
もう一度、テントの三里に目をやる…と、三里が小さく頷いたように見えた。
 
 
【村澤君、二週全力疾走はきついよ…最後まで走れるかな…】 
三里は心の中でそう思いながら、無意識に握り締めていた手が、汗ばんでいる事に気付いた。
【僕が、緊張している? は・・はは なんで僕が…村澤が走るのに緊張する。 
自分が走る時でさえ、緊張などしなかったのに…バカバカしい…優勝…の為だ】 
三里が、自問自答のような事を思っていると、三週を過ぎた時、村澤が確認するように三里を見た。
 
行っても良いか? そう聞こえた。 だから…つい、頷いてしまった。
途端、三里の命を受けた戦士のように、村澤が前を走っていた選手をかわしトップに出た。
そして、そのままスピードをあげて…・付いてきた白と黄色を引き離しにかかる。
差がどんどん開き、4週目には断突のトップ。  そのまま行ってくれ! 三里は心からそう願った。
 
「中村君…。 僕、ちょっと席を外して良いかな?」
「はい? はい! 副会長の出迎えですね?4。 行ってらっしゃい!」
【えっ? なんでこいつ、判ったんだ?】  三里は、そう思いながらも…冷静に、さりげなく、にこやかに、
 
「そうだね…飼い犬をゴールさせるには、主人が迎えてやらないとね」  いつもの口調で言う。 すると中村は、
「ついでに、ご褒美も上げたらどうですか? もっと懐いて忠実な犬になりますよ」
無邪気な顔で笑いながら、そんな事をことも無げに言う中村に、三里はちょっと目を見開き、フッと口元を緩めると、
「じゃ、行ってくるね」  そう言うと、席を立ち…ゴールへ向かった。
 
ウヘ~~ もう駄目…気持悪い…周りが真っ白になってくる。
ゴールは…ゴールはまだか…その前にぶっ倒れちまうぞ…
 
5周も後半あと200…村澤は、最後の気力を振り絞って足を前に出す。
最後のカーブを曲がる時、足がもつれるような感覚に、ふとテントに目をやると
えっ? いない…三里が居ない。 なんで? 俺が、必死で走っているのに~~ 何でだよーーー!
 
「村澤! あと少しだ、頑張れ!!!」
【頑張れって、そう簡単に言うなよ…こっちはもう、限界なんだから…】
 
「もう少しでゴールだ…頑張れ!」
【その、あと少しが…もう駄目…・三里の奴も居ないし…もう、頑張れない…】  と…その時

「僕の馬鹿犬ーーー! さっさとゴールまで来-----い!!」
 
えっ? 三里?
遥か先、ゴールのテープの先に…・ヒラヒラと舞うのは…・
 
『全力全快絶好調----!!』 そんなフレーズが頭に浮んだ。

そして、ただまっしぐらにそれを目指す…ひらひらと舞う白い蝶。
テープも何も見えない…見えるのは、三里の少し怒ったような顔と、
それに似合わない、優しい動きで優雅に舞う白い手…村澤を誘う…蝶。
 
ハッ ハッ ハァー ヘェー ふぅーーー 息を整えやっと顔を上げると、
 
「お疲れさま、最後の疾走凄かったね。 一位おめでとう」
三里が、優しくそう言いながら少し背伸びをして、手にしていたタオルを村澤の首に巻きつけた。
「俺の事、ゴールで待っていてくれたんだ、 ハヘェ~」  村澤が、荒い息のままそう言うと、

「うん、優勝がかかっているからね。 僕で役に立つ事は、何だってしないといけないだろう?」
三里が、すました顔でそんな事を言うものだから、村澤は少しだけ恨めしそうに…
「…・お前は、俺の餌か…・」  拗ねたような声で言う。
 
「そうだね、優勝するためだったら、馬の鼻先に吊るす人参にもなるよ」
「そうかよ。 どうせお前は、そんな奴だよ。 けどまぁ、それでゴールできたんだから、
俺も、お前の事を言えないけどな」
そう言いながら、汗を拭いたタオルから、ほんの僅かに三里の匂いがするような気がした。 
 
あっ…学校際の時、間近で嗅いだ三里の匂い…・だ。 良い匂いがして…唇が…柔らかくて…
と、そんな事を思い出しながら、タオルに顔を埋め まるで犬さながらに三里の残り香を嗅ぎまくる村澤に、
「村澤君、こっち…」  三里の手が、村澤の手首を掴み、ゴール前から連れ出す。
捕まれた手首までが、やけに三里を感じ…意識させ…村澤は。
「なんだよ…俺、次の競技の誘導に行かなくちゃ…」
わざと、乱暴な口調で言って、自分の中の不穏な心を紛らわそうとするが、
 
「良いから…こっち」  三里は掴んだ手を放そうともせず…村澤を引いて進む。 
訳も分からず、それでも抗えず…三里に引かれて校舎の影へ。
途端、体操服の襟元を捕まれ、グイと引っ張られ…目の前には三里のアップ。

えっ? えっ?  なに? どうしたんだ?  俺、何かした?  思っていると…唇に柔らかい感触。
えっ! えーーーーっ!  いっ! 今のは…キス?  走っていた時より真っ白になった頭に、三里の声が響く。

「頑張ったご褒美だよ」
ご褒美…はぁ~ 俺は本当に、三里の犬になるって事か?
嬉しいような、悲しいような…それでも幸せな気分になるのが、村澤には不思議な気がした。


「お帰りなさい…。 どうでした?お出迎え…副会長喜んだでしょう?
だって、会長の姿を見た途端、もの凄い勢いでゴールに向かって疾走して行きましたから。
やっぱ、会長の事を愛しているんですね、副会長」  またまた中村は、そんな物騒な事を平然と言う。
 
「…君は、自分はホモじゃないと言いながら、そういう事を平気で口にするんだね。
ホモで無いのなら、そういう関係に違和感とか、嫌悪とかを感じないの?」
「別に感じませんよ。 人類皆兄弟…愛に男も女もありませんから」  中村は、すました顔でそう言ってにっこり笑う。
 
「ふ~ん、ある意味 君は僕より怖いかも知れないね」
「そうでしょうか…。 僕は会長に憧れて、会長のようになりたいと願っていますけど」
「それは光栄だけど、僕なんか、君が憧れる価値なんてないんだけどね」
三里はそう言いながら、自分の本当の姿を思った。

僕は、いつだって迷っているだけ…諦めているだけ…どうでも良いだけ。
そう…さっきも一瞬迷った。 頬にするつもりだったのに…なぜか唇に。
僕は、どうしたいのだろう…彼を…彼との関係を、如何したいと思っているのだろう…



   秋空に舞う蝶


去年は三里の活躍が注目を浴びたが、今年は村澤がそれにとって代った。 何と言っても出場種目が多い。
面白い事に、この学校では、希望すれば幾つでも出場が許された。
全く出場なしは認められないが、多い分には、他の人を押しのけなければ良い事になっている。
 
つまり、自分の出来る範囲で参加…むりやり押し付ける事はしない。
走るのが苦手なら、団体競技に参加すれば良い。 だから村澤は、団体戦は勿論、個人競技にもふる出場していた。
その上、委員も兼ねている為、正直競技を観戦している暇もなかった。

三里の、ご褒美が効いたのか…ますます張り切っている村澤を眺めながら、
ほんと、面白い奴…。 あんな奴と一緒なら、一生退屈しなくて済むだろうな。
等と思いながら、三里は 自分の顔が自然と綻んでいる事に気付いていなかった。


わぁー わぁー  きゃー きゃー  と、一際歓声が上がる。
二人三脚が始まると、応援席と走者は今までに無く一体となっていた。

髪の長い女子! 居たら手を上げろーーーー!!

眼鏡、眼鏡…ああ、その眼鏡貸してくれよ!
 
皆それぞれ、メモにある条件の人物を探すのに大声を張り上げ、応援席からは幾つも手が上がる。
足を結んで走ろうとしても、上手く呼吸が合わず、コケてしまうカップル。
夫婦?より、遥かに大きい子供に、引きずられるようにして走るカップル。

「みんな楽しそうですね。 これは、見ている方も面白いです」
「そうだね…採用して正解だったね。 多分来年も、希望する種目になるだろうね」
中村と顔を見合わせると、三里は満足そうに笑った。
その時…村澤の大きな声…

「会長! 会長―!! みさとーーー!!」
 
【何なんだ? あの五月蝿い馬鹿は…あれ? あいつ なんで競技に出ているんだ?】
目の前に走ってきた村澤は、三里のそんな疑問も構わず、いきなり三里の腕を掴むと、

「早く、出て来いよ!」  と、怒鳴りながら、三里を引っ張る。
「えっ? なんで?」
「いいから、早く!!  あっ!丁度良い、お前、俺たちの子供になれ」
「えっ? えぇーーーー!」
三里と中村の戸惑いを他所に、村澤は面倒だとばかりに
二人の前のテーブルを、無理矢理退かすと、二人をコースに引きずり出した。
 
「な! 何なんだよ…なんで僕が!」

「五月蝿い! さっさと足出せ!」
そう言うと村澤は、自分の右脚を三里の左足に並べ、二人の足首を縛り始めた。
そして、三里の左手を自分の腰に回し、自分の右腕で三里を抱きしめると

「おい! 子供、手を繋げ」  中村に、左手を差し出す。
すると中村が、村澤の大きな手をしっかりと握り、にっこり笑って言った。
「はい! お父さん」
 
「よし! ゴールまで手を離すな! 三里、結んだ脚から一二だからな。 一二、一二、一二 行くぞ!」
その間ほんの数十秒? 手際が良いと言うか、鮮やかというか。
流石の三里も、そのペースに乗せられて、訳も解らないままに走り出してしまった。
 
きゃー! 何あれ!! 何で会長が一緒なのーーー!!
きったねぇぞ、村澤!
よっ! お似合い夫婦二人三脚!!
ギャーギャー、ワァーワァー コースの外は大騒ぎ。
 
三里は不思議な気がした。
村澤にしっかり抱しめられ、ピッタリと寄添って走るこの瞬間の風が清々しい。
周りの歓声が…揶揄が…心地良い…・なのに、村澤の体温が焼けるように熱い。

妻と子供を抱え、必死にひた走る夫?さながらの村澤に、奇妙な安心感を覚え…。
思わず村澤の腰に回した腕に力を入れ、村澤にぴったりと合わせ走る自分がいた。
まさに、一心同体のような走りで、前を走っていた何人かを抜き去りゴール。
 
結果は 二着…。
 
そして…メモを確認した係りが、不審そうに尋ねた。
「これの何処が、『会長』 なんですか?」
「ん~? 決まっているだろう…三里の手だよ」  メモには…『秋空に舞う蝶』
すると…メモを一緒に覗き込んでいた中村が、納得顔で言う。
「あぁ~ 会長の手、綺麗ですもんね。 さすが副会長、よーーーく見ていますね。 会長の事」

「そうだろう? 三里以外いないって」  得意げに言う村澤に、
「…・馬鹿か? お前…こんなの失格に決まっているだろう」
三里が、むすっとした声で言い、睫毛を伏せた。 その時、係員が大きな声で言った。
 
「はい! OKです。 条件クリアー おめでとうございま~す」
「やった! 僕は、会長と副会長の子供になったのですね」
「おお! 当然だ!」
「………・」  喜ぶ村澤と中村に、複雑な表情で無言の三里。
【競技なのに…ゲームなのに…あの一瞬の自分の心が…不安になる】


午前の競技を終了した段階で、紅組…ほんの僅かの差で二位。
「三里、このまま行こうな!」
村澤が嬉しそうに笑いながら言う。 その笑顔に…もしかしたら…そんな希望が三里の顔にも笑みを浮かべる。
「そうだね。 午後もこの調子だと、優勝できるかも知れない」
「絶対優勝してやる。 そんで、お前に優勝旗持たせてやるからな」

「優勝旗って?」
「えっ? 優勝したら優勝旗あるんだろう?」

「有る訳ないだろう…そんなもの。 賞状はあるけどさ」
「嘘! 無いの?優勝旗」

「高校の体育祭で、そんな物無いだろう…普通」
「……・・」

「えっ? まさか…・あると思っていたの?」
「………・悪いかよ…・」  
村澤が拗ねたように言い…三里は、ぷっ!と吹き出し…後は腹を抱えて笑う。 
そんな三里の姿に村澤は目を見張りながらも、あぁ、そうなんだ。 三里ってこんな顔で笑うんだ。
可愛い…めちゃくちゃ可愛いじゃないか。  いつもこうして、笑っていられるようにしてやりたい…そう思った。


昼食が済み、午後の競技が始まる直前、訂正の放送が流れた。
家族でGo!の競技で、村澤達が走った時の一位のチームが、子供の性別を間違えたので失格。
従って、村澤チームが繰り上げの一位となり、得点が変更され…何と総合でも一位に並び同点になった。
その放送に、村澤の喜び様はひとしおで、反対に三里は複雑な思いでいた。
 
【君が、一位に拘るのは僕のせい? 僕が優勝したいと言ったから?】
そうじゃないと思いながら、そうであって欲しいと願う自分に戸惑う。
 
午後一番の、競技の綱引き…その時村澤は三里に軍手を渡した。
「お前の手、皮が薄そうだからよ」  そう言って、照れたように笑う村澤。

【そんな顔するなよ…君の事なんかどうでも良いと…そう思っていたいのに。
少しずつ…自分の中で変わっていく何か…それが不安でたまらない】


大した問題も無く、最終競技のリレーが始まった。
予定では、村澤がアンカー走者のはずだったのに、急遽三里に代った。
「お前がテープ切れよ…絶対一位でバトン渡すから…良いな」
 
【どうして…どうして君は。 僕を不安にさせる…迷わせる…・どうして…・僕の中に入り込んでくる…】
 
言葉どおり村澤は、一位で三里に向かってくる。
本当に…もし、三里が扱けても大丈夫なくらい差を付けて…三里にバトンを渡す。
そして三里は、村澤からバトンを受け取った時、その重さに驚き…戸惑った。
 
あぁ・・そうなんだ。 この重さが 君の想いの重さなのか。 君は僕に、これを抱えろと…そう言うのか。
生まれて始めて脚が竦むような気がした。 その三里の背中を、村澤の声が押し出す。
 
「三里! 行けーーーー!!」
 
村澤のその声に押されて、三里が走り出す。 やがて、想いの重さは…三里の手を引き、背を押す風になり。
三里は、ゴールの先にいる村澤に向かって、両手を秋空に伸ばした。

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