犬になる−7


獅堂三里、17才。 通称会長…又は最強の女王様。 その三里が此処最近、少しばかり優欝なのは、
自分の目の前で、なんとも締まりの無い顔でへらへら笑っている、こいつのせい。 そう思うと益々憂鬱度が増す。

村澤憲吾、同じく17才。 三里曰く…バカ犬。 三里に一発やらせろと言って 『犬にやらせる方がマシ』 そう言われ、
三里の犬を目指して頑張っているが、なかなか思うようにいかなくて、日々三里に翻弄されている。
それでも、体育祭の時から少しだけ三里が優しく?なったような気がして、村澤はすこぶる機嫌が良かった。

【今日だって三里の方から、一緒に帰ろう…なんてお誘いを受けて、俺にははっきり判った。 
そう…俺は、三里の事が好きなんだ。 女といちゃついているより、三里といる方が楽しい…わくわくする。
時々、変に意識する事もあるけど…やっぱ、男同士の友情だよな】
無理矢理、トンチンカンな方向に勘違いをして、自分が、実は思いっきり純情で、その上鈍い事に気付かない。


「なんか、雨でも降ってきそうだね。 君は、傘を持って来ているの」
「いや、朝出てくる時は晴れていたから、傘なんて持ってこねぇよ」
「そう・・・。 でも・・・途中で降り出すかも知れないね」

確かに、空は幾重にも重なった灰色の雲が、所々色を濃くして広がりつつある。
村澤の上機嫌と反比例するような今日の空は、自分の心に比例している・・・三里にはそんなふうに思えた。

獅堂三里は、入学以来ずっとトップをキープしてきていた。 それも、毎回満点・・・正に神がかりだ。
そんな奴が、どうして私立の進学校に進まなかったのか。 それが村澤には、信じられない事のように思えた。
やはり上を目指すには、授業の内容と進度は大きな要素になる。 その為に、みんな必死になって、
勉強に時間を費やしているのだ。 それが、将来の社会的地位や、生活の豊かさに変わると信じて・・・我慢している。
此処で失ったものは、これから先の長い人生に比べたら、微々たるもの・・・そう信じて、歪で不完全ものに変わっていく。

「三里は、なんで私立に行かなかったんだ? お前の頭なら・・・」  村澤が、三里の横顔に問いかける。
「私立ね・・・。 金をかけて私立に行こうがようが、進学校でどんなに勉強しようが・・・本人次第だよ。 
失くしたものの代わりを、何かで埋めるなんて事は決して出来ない。 失くしたものは、失くしたままで、
そこには穴が開いているだけなんだ。 だから・・・僕は失いたく無いんだ。 今のこの時間を。
失わずに得るのは難しいけど、その方がいい・・・難しくても、失うよりはずっと良いよ」

まるで、何かをなくした事があるような・・・そんな気がするのは、気のせいか?
村澤が、ふとそんな事を考えてしまうような三里の横顔は、垂れ込めた雲に重なるように、重く沈んで見えた。

「お前、俺に言った事忘れて無いよな、俺が一教科でもお前を抜いたら・・・」
「忘れて無いよ。 言っただろう、僕はいつだって本気だって。
もし、お前にトップを譲る事があったら、僕を好きにして良い。 但し・・・心は動かない・・・絶対に」

「三里、お前・・・」
「さ〜て、僕も久々に試験勉強でもするかな・・・なんせ、僕の尻がかかっているからね。
村澤君も頑張って、一日も早く犬になってね。 楽しみにしているよ」
そう言うと、三里はヒラヒラと手を振る。 なぜヒラヒラなのか分からないが・・・それは、細く華奢な三里の手に、
とても良く似合う仕草だと思った。 そして村澤は、蝶のように優雅に舞う三里の手に、
いつか見た、鉛色をした北の空に舞う白鳥に代る、一匹の蝶を思った。

まともに勉強した処で、今の村澤には三里を抜く事は不可能だと思われた。
だから・・・あいつの一番不得意な科目、それで抜くしか無い。 そう思い、過去の試験結果を調べてみた。
此処朝陽ヶ丘では、毎回試験の度に上位10名の名前と点数が三日間だけ張り出され・・・その後保存されている。
その資料は、該当する生徒の卒業と共に廃棄されるが、在校している間は残っているので、
三里が入学して以来、学年トップで来たことは容易に調べる事ができた。 村澤はそれを見ながら・・・


【今までに満点を逃した教科は・・・っと・・・ 嘘! たった二度だけ? それも選択教科・・・。 
これじゃ、俺がいくら頑張っても抜く事は出来ない。 せいぜい並ぶのが関の山。 どうする・・・どうすればあいつを抜ける】
童貞喪失の煩悩にひたすら身を置いていた村澤が、それ以外で頭を悩ませるのは久しぶりで、
はぁ〜 俺は、悩みを増やしに此処へ転校して来たようなもんだ】 
村澤の口からは、思わず大きなため息がもれ。 それでも、久しぶりに・・・本当に何ヶ月かぶりに、机に向かった。


「どう? 試験勉強進んでいる?」
三里のその言い方がなんとも言えず嫌みったらしく、小馬鹿にしているように聞こえるのは、気のせいか・・・と思いながら。
村澤は、無意識に嫌〜な顔で三里を見上げた。

「お前の方こそ、どうなんだよ」
「僕? 僕は、別にいつも通りだよ・・・でも、今回は楽しみ♪」
【こいつ・・・やっぱ可愛くねぇ】

「おッ! 俺だって、結果が楽しみだね」
村澤が、精一杯の負け惜しみを返しながら、フンと鼻を鳴らすと三里は可笑しそうに笑った。 だから、つい聞いてしまった。
「あれ? お前の得意中の得意な、いつもの嫌みったらしい笑いはどうしたんだよ」

「だってさ〜 仮にもキスを交わした相手に、そんな態度はしないだろう?」
「えっ? えーっ! それって」   途端に真っ赤になった村澤の耳に、三里はそっと顔を寄せて、

「村澤くん。 顔、真っ赤だよ。  ほんと、稀にみる純情者だね。 でも・・・喜ぶのはまだ早いよ」
そう言うと・・・カプッ! 今度は耳に噛みつかれ。

「イッテェー!」  村澤が耳を押さえて顔を向けると、三里は今度こそ最高に嫌味な笑い顔を見せた。
「な! なんで噛付くんだよ! お前!!」

「ん? だって楽しいから」
「人に噛み付いて楽しいのかお前は! 変態! 鬼畜! ドS!」  村澤の抗議もなんのその、三里はジロリと村澤を見下げる・・・が、
見下げられた村澤は・・・【へぇ〜 睨んでも下からだと、結構可愛く見えるんだ・・・】  
そんな村澤の内心など、知る由もない三里はとうとうとまくし立てる。

「それを言うなら、君だって変態だよ。 男の僕に、やらせろと言ったり、挙句にキスしたりするんだから」
【ゲッ! やっぱりそれかよ・・・】  せっかく少しだけ膨らんだ風船が、プシュ〜と萎む音が聞こえた。
「あ! あれは・・・つい・・・」

「ついね。 男も女も見境なくさかる君の方が、もっと変態君だと思うよ。 
だから・・・いつか、本当のキスをするまでは、楽しませてよ僕にも」
そんな三里の言葉に、またしても反応する自分が悲しいと思いながら、頭の中では、三里の唇の感触を思い出し・・・
思わず口元を緩めた・・・が、そこで村澤は、はたと考える。

【それまで俺は無事でいられるのだろうか・・・。 こいつに良いように遊ばれて・・・しまいには 三里恐怖症になってしまいそう。
それにしても、三里の奴・・・体育祭で俺にしたキスの事、忘れている?
なんだよ! 自分だって男の俺にキスしたじゃないか。 でも・・・あれは、ご褒美だって言ったな。 
それじゃ、キスじゃなかったのか? う〜ん、考えると本当のキスってなんだろう】
童貞村澤、悩みは多く・・・そして、深い。



   非日常的日常


流石に予想通り、中間試験は見事惨敗。 それでも、どうにか全教科3番以内に留まれたのは、幸か不幸か。 
いやぁ、さすが文武の実力だな。 主要教科のほとんどが、獅堂の次に付けているじゃないか。 
大したものだ!上出来だろう。 先生のお世辞のような言葉も、村澤にとっては、暗に三里を抜くのは無理だ。
そう言っているように気こえ…ますます三里が遠のいたような気がした。
 
どっちにしても今回の結果で、例の約束が守られる可能性は無い事が決まった。
帰り支度をしながらも、自然と溜息が漏れてしまう。 それでもカバンを肩に、部活に向かおうと教室を出た村澤に
「やぁ、村澤君、どうだった?」  三里が笑いながら、声をかけてきた。
【なんだよ、こいつ、待ってやがった。 相変わらず嫌味な奴、一時でも可愛いと思った自分が信じられない】
 
「判っている事をわざわざ聞くなよ。 お前って、ほんと性格悪いな」
「そう? まだ全教科の答案、返って来て無いけど」
「全く、しゃーしゃーと良く言うよな。 残っているのは現国だけだっていうのに、
お前が、一度も満点を逃した事の無い現国で、俺が抜ける訳ないだろう」
「確かに、それもそうかも・・・。 それじゃ、今回はおあずけだね。 で?どうするの? まだこれからも挑戦する? 
それとも、諦めてギブアップする?」
からかっているような口調で、チラッと斜に見上げた目が・・・
 
「いつ止めると言ったよ!!お前が俺を、憲吾って呼ぶまで諦めねぇからな、次は絶対抜いてやる。
尻洗って待っていろよ! 鬼畜会長」
村澤は精一杯の虚勢で、三里の視線を背中に感じながら部室に向かった。
 
【半分どころか完全に諦めていたのに、どうもあいつの顔を見ると・・・つい、抵抗したくなるんだよな。
俺ってほんと・・・はぁ〜 よりによって、又馬鹿な事を言ってしまった】
後悔とも言えぬ後悔に、ひときわ大きな溜息を吐くと、村澤はのろのろとジャージに着替えた。
 
 
試験も終わり、結果はどうであったにしろ、目の前に迫っているのは修学旅行。 教室でも、話題はその事で盛り上がる。
昼休み時間、持ってきた弁当を全部たいらげ、その他にパンを・・・それも二個。
購買で買ってきたカレーパンと牛乳パックを手に、村澤が頬を膨らませて言う。
 
「修学旅行が沖縄? 海外じゃないのか?」
「当たり前だろう・・・公立なんだから」  
言いながら・・・【しかし・・・良く食う奴だな。 こいつの腹の中は全部胃袋か?】 そう思いながら、自分の弁当を見ると、
三里の弁当は、まだ半分以上残っている。
 
「そうなのか? 今は何処でも海外だって聞くぞ」
「それは、私立だろう? 公立の高校は、ほとんどが国内だと思うよ」
三里が言い終わると同時に、村澤は最後の一切れを口に放り込むと二個目の袋を開いた。
 
「へぇ〜 そうなんだ・・・知らなかったな。 でも沖縄なら 俺行った事無いから楽しみだ・・・それに」
「それに?」
「うん、お前と一緒に寝られる」  三里は、その言葉に箸を止めて村澤の顔を見た。

「・・・なんか、厭らしい言い方」  三里が眉を顰めて言うと、村澤はしゃあしゃあとした顔で、
「そうか? そう感じるのは、お前がそう思うからなんじゃないの? 俺は、そんな事これっぽっちも思って無いからな」
と言うと、焼きそばパンにかぶりついた。

【良くもまぁ、そんな白々しい事が言えるね。 それにしても、どんだけ食べるんだ? しかも、食べるの早いし。
お腹を空かせた野良犬みたいだね。  せめて、良く噛んで食べないと・・・お腹壊すよ】
三里の心の声などお構いなく、村澤はパンを食べ牛乳を飲み、話しを続ける。
 
「なぁ、今度一緒に買いもの行かないか? 旅行の支度の買い物」
「買い物? 僕は別に買うものないけど」

「俺は有る。 俺、今爺さん婆さんと一緒に居るだろう。 よくシャツとか買ってきてくれるんだけどさ、
家の中だけなら、まぁ・・・しょうがないから着るけど、外にはなぁ〜
だから、ちょっと服とか靴とかさ。 旅行の時、私服で良い日もあるんだろう?」
村澤の言葉に、また一瞬三里の箸が止まった。
 
「え? ご両親とは一緒じゃないの?」
「あぁ、両親は都内に居る、弟も一緒だ」

「じゃ、君だけこっちに?」
「そういうこと。 俺が前の高校をしくってから、親は、俺の事諦めて弟に期待しているからな。
週に一度は、こっちに来るけどそれ以外は向こうにいる。
元々は、爺さんと婆さんも一緒に家族全員こっちに住んでいたんだけど、親父の帰りが毎日遅くてよ。 
終電に間に合わなかったりするからさ、爺さん婆さんを残して、おれ達だけ都内の社宅に引っ越したんだ」
 
「そうだったの。 それじゃ、寂しいだろう?」  三里が聞くと、村澤は
「お前なぁ〜 親と一緒じゃないと寂しい年じゃねぇよ。 俺は今が楽しい、今までで一番な」
それが虚勢では無いと判るような顔で、笑いながら言った。
そのせいでもないだろうが、すんなりとOKの言葉が三里の口から出た。
 
「いいよ・・・買い物ぐらい付き合っても」
「おぉ! やった! じゃ、今度の土曜日。 俺、部活は昼までだから、午後からで良いか?」
本当に嬉しそうな顔で、村澤が言う。 買い物に行くのが、なんでそんなに嬉しいのか・・・変なやつ・・・と思いながら

「うん、判った。 じゃ、時間と場所は前の日にでも決めようか」  
答える三里の顔にも、笑みが浮かんでいるのに自分では気づかなかった。

考えてみると、三里は学校以外、外に出るのは近所のコンビニぐらいだから、特に着るものを気にした事がなかった。
【そう言えば・・・僕は、村澤以上に服なんか持って無いんだ。 僕の生活範囲は、学校と家だけ・・・だから。
修学旅行では、確か自由行動が二日あって、その日は私服で良いんだっけ。 別に、制服でも良いけど・・・。
でも・・・私服か・・・・・・僕も、一二枚買おうかな】
三里は、そんな事を思いながら・・・自分が、洋服の事など気にしたのは始めてなような気がした。

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