優しい時間



昇降口では、村澤が所在無げに床に座り込んで、三里の来るのを待っていた。
「ゴメン…待たせた?」  三里の声に、村澤は立ち上がり、尻をパンパンと払いながら、
「橘の奴、居なかったろう」 と言った。
「うん、なんで知ってるの?」
三里は、靴箱の鍵を開け靴を出すと上履きを仕舞い、それからまた鍵を掛けながら言う。

「さっき、出て行ったのが見えたから」
「そうなんだ…でも、主任に預かってもらったから」
「そっか…良かったジャン、主任がいて。 で?お前は何処から通っているんだ? 電車通学でもしてんの?」
二人並ん、校門に向かいながら、ふと周りに目をやる。 その目に映る風景はいつも見慣れたもの。
なのに三里は、なぜかそれらがいつもと違うような気がしていた。

「違うよ、僕は駅の向こう側だから、バスで駅まで行くだけ」
「なんだ、本当に地元なんだ。 駅までだったら、歩いてもそんなに無いだろう」
「そうだね。 でも、雨の日や寒い日はバスの方が…それと暑い日も」
「なんだよ、それじゃやっぱりバスって事か? けど、今日は天気も良いし、暑くも無い、寒くも無い…歩こうぜ」
そんな村澤の言葉にも、素直に頷ける自分が可笑しく、少しだけ嬉しい気がする。

「いいけど…君は電車?」
「俺は電車で二駅…・まぁ、自転車でも通えるけどな」
「自転車か、それも雨の時は大変だね」
「そういう事だな…しっかし、こんな処にお前みたいなのが居るなんて、思ってもいなかったよ。
正直、前の学校より全然面白い」
村澤はそう言いながら、三里の手からカバンを取り上げると、自分の分と一緒に肩に担いだ。

「いいよ、自分の物は自分で持つから・・」 
三里が言い、自分のカバンに手を伸ばすと、村澤はひらりとその手から逃れ、
「まぁ、良いって…お前を駅まで、逃がさないためだ。 これがなくちゃお前だって、そう簡単に逃げられないだろう」
ニヤッと笑った顔は、ちょっと得意そうに見えた。
まったく子供みたいな奴…三里は、しかたが無いというように小さく笑うと、

「じゃ、そのブレザー持ってやるよ…そんなにしていたら皺になっちゃうだろう」
言いながら、村澤が丸めてカバンの持ち手に挟んであったブレザーを引き抜くと、
ばさばさと払い、それを自分の腕にかけた。

ワイシャツの腕をたくし上げ、ネクタイを緩め、二人分のカバンを持っている村澤が
きちんとブレザーを着て、身だしなみ良くすまして歩いている三里と並んでいると、
まるで、主人と従者のように見える…と言うより、飼主と忠犬。

空は高く、街路樹は淡く色づき…空には刷いたような雲。 三里は、いつに無く素直だし…最高に良い日かも。
そんな事を思っていた村澤に…三里のとんでも無い問いかけ。

「ねぇ、村澤君って…本当にホモなの?」
ギョッとしたように、足を止めた村澤が、ごくりと唾を飲み込む音が聞こえた。

「グッ!! な・何言い出すんだよ! いきなり」
「だって、僕とセックスしようって」
「お!! おまっ! お前、もろ、まんま言うなよ」  気のせいか、声が上ずっていた。
「だって、そういう事だろう? 一発やらせろっていう事は」

「ちっ!ちげぇよ…俺はホモなんかじゃない!!」  
なぜか、激しく首を振って否定する村澤に、三里が訝しげな顔で聞く。
「じゃ、なんであんな事言ったんだ?」
「そ! それは…・なんでだろう…俺にも良くわかんねぇ」  あれ?いきなりトーンダウンしているよ…。

「ふ~ん…判らなくてあんな事言うんだ…それも、男の僕に」
「それは…・なんとなく…」
「何となく言って、何となく誰とでもセックスできるんだ…君は」
まるで追及するような三里の言葉に、またしても村澤は必死に首を振る。

「そうじゃねぇよ! そうじゃねぇけど…多分、お前の顔が…・」
「僕の顔が?」  途端に、ガックリと俯き…それから、顔を上げると意を決したように。
「あ~ぁ・・もう、ぶっちゃけ言うけどさ。 最初のお前の顔が…人を馬鹿にしたような顔が、気に入らなかったんだよ
だから、ああ言うとお前が、怒ると思って…・。 本当は、お前が驚いて、慌てる顔が見たかったんだよ。
なのに、お前ときたら…すました顔で犬にやらせる方がマシだ…なんて言うから」

「じゃ、それで、分化際の時も…・僕を怒らせる為に?」
「あ・・あれは…ついその気になってしまって…・悪かったよ、舞台でキスしたのは。
けど、お前だって俺の舌に噛みついただろう? あれは、マジ痛かったんだぞ…・暫く、飯も食えかったんだから。
お袋には自分で噛んだって言ったけど、そのせいで弟にまでドジだって馬鹿にされてよ。 
おかげで、体重減っちまったんだぞ」

「うそ…」
「嘘じゃねぇよ。 まぁ、良くなってからその分も食ったから、今は前に戻ったけど」
「…・・そう…それは、何と言ったら良いのか…微妙だね」
「なんだよそれ…お前って本当に訳わかんねぇ奴な。
けど…あの約束は、絶対守ってもらうからな…俺も、今更引く気無いから」

ホモではないと言いながら、約束を守れと言う、訳の解らない村澤に、
その言葉の意味を解かって言っているのか…そう、問いたいと思ったが
「…・そう…・解かっている…・」  三里はそれだけ言うと、ふいと村澤から視線を外した。

本気で向かって来る者には、本気で答えなくてはいけないのだろうと思う。
でも…僕には最初から、答える為の嘘の答えが決まっているんだ。
ゴメン…村澤君…・三里は、始めて村澤に罪悪感のようなものを感じた。


バスで15分程度の距離は、歩くと倍の時間がかかる。 その距離は、上着を着ている三里には、やはり少し暑いと感じた。
だから、ブレザーを脱いで、ワイシャツになると村澤の上着と一緒に手に持つ。 
頬を撫でて通り過ぎる風は、確実に秋の匂いを纏い、汗ばむ身体から熱を運び去っていく。
二人共、特に何かを話すでもなく、だからと言って気詰まりという感じも無い。
時間の流れが、目に写る景色がゆったりとして優しい。

なんか…いいな…こんな穏やかな時間も…空間も…三里がそんな事を思っていると、
村澤が前を見つめたまま、まるで独り言のような口調で言った。
「もし時間が合ったら、又一緒に帰ろうぜ…お前と一緒の時間は何だか気分が良い」
「…・うん、そうだね。 僕も、不思議とそんな気がしていた」

「俺が此処に転校して来たのは、偶然かな…。 別に他でも良かったのに、何で朝陽が丘だったんだろう」
「さぁ…偶然と思えば偶然だろうし…意味があると思えば、意味があるんだろうね。
それは、君の気持と…将来振り返った時に、解かるものかも知れないね」
「そうか…。 だったら、俺は意味を見つけたい。 お前は何処の高校でも行けたのに、何処へも行かず此処にいた。
だから…俺が此処に来た意味と、お前が此処にいた意味を…見つける」
「………」  村澤の、その言葉に対して、三里は、ただ黙ったまま何も言わなかった。



    風になって

体育祭当日…・快晴…三里は、開会式で挨拶をすると、あとは放送委員と一緒に、
競技の順番の確認を済ませ、テントの中で待機していた。

村澤は、「天気の良いのは、日頃の行いが良いせいだ」 そんな事を言いながら
体育委員と協力して、てきぱきと競技の準備をし選手を誘導する。

高校生にもなると、小中学校のように、体育際の為に時間を割いてまで、練習をするという事はほとんど無い。
それでも結構、整然と競技が進むのは、村澤達役員の力が大きいのだろう。

「今年は、副会長が頑張ってくれて、助かりますね・・」
中村が競技を終えて、三里の隣の席に戻って来ると汗を拭いながら言った。
「そうだね…役員は、競技と委員を掛け持ちなのに、頑張ってくれているね。
それに彼は、なかなか指導力があるようで、みんな彼のいう事に従ってくれる。
あの憎めない性格は、彼の最高の武器だね。 ところで、中村君は 暫く出番はないの?」

三里が聞くと、中村はプログラムを手に取り…それを確認するように見ながら、
「はい、後は騎馬戦まで、此処でスコア―の記録です」  と、言った。
一年生という事もあるが、さほど身体の大きくない中村が馬になるとは思えず、当然武者だろう…そう思い、
「へぇ~ 騎馬戦か…。 勿論君は 武者なんだろう?」  三里が言うと…中村は、

「は・は・は…僕は身体が小さいですから…・」  と、小柄なのを気にしているようにも見えた。 だからでは無いが、
「まぁ、担がれる方も大変だからね、僕も去年やらされた」  
三里にしては珍しく、フォロー紛いの事を口にする。 すると途端に、中村の表情が嬉しそうに変わり。
「えっ、会長も ですか?  そうですよね、会長に馬は似合いません。 やっぱり武者ですよ」  嬉々として言いきった。

「似合うかどうかは別として、三人から兜を取った。 けど…最後のホイッスルと同時に僕も取られたんだ。
あれは悔しかったな…笛の音に、一瞬気を抜いた隙にやられたからね」
「それって、無効じゃないですか」

「終了が、笛が鳴り終わるまでか、鳴ると同時か…微妙な処だからね。
そういう事で、最後まで気を抜かないで頑張って」  
「はい、頑張ります…。 それで、会長はもう、何かに出場したんですか?」

「僕は、午前中の綱引きには出るけど、後は最後のリレーだけだよ」
「会長はスポーツも得意なのに…。 残念です」  中村が、少しだけ不満そうに言う。

「今年はうちのクラス、副会長が点を稼いでくれるから僕の出番はないんだ。
と言うより、普段運動して無いからね、身体がなまって動かないんだ。 これって、なんか年寄りみたいだね」
「そんな! 会長は責任があるから、競技に出て、みんなと一緒に楽しんでいられないですね」
そう言うと中村は、少し寂しそうな顔でグランドに目を向けた。

去年は、障害物・ リレー・ 2000メートルと、走る競技には全部出場した。
勿論団体競技も…座っている暇も無いほど駆け廻り、優勝に貢献した。
でも今年は…こうしてテントの中で、競技の進行を見守るのが仕事。
どっちが楽しいかなんて…そんな事を考えた事もなかった。  と言うより…楽しもうとさえしなかった。
僕は、本当に…枯れた老人のようだな…三里は、始めて自分の事をそんなふうに思った。

「はーい! 2000メートルに出場の選手は、ゲートの後に色別に5列になって並んで、
女子の体操が終わったら、すぐに出られるようにして下さい…」
村澤は、汗だくになりながら 駆けずり回って大声をあげる。

ぶっつけ本番の選手たちの誘導は、大きな声と、とにかく動かなくてはならない。
村澤も2000メートルにエントリーしていたが、自分が並んでいる暇は無いから、
出場と同時に、列に入り込めるように、クラスの選手に場所を取らせてあった。

今は少子化で、何処の公立も生徒数が少ないと聞く。
名門校には、生徒が集まるから人数だけは確保できるが、そうでない高校は、
3クラス4クラスというのもあるらしい。  此処はかろうじて、5クラスあったから色別対抗ができる。

去年は、三里がダントツで活躍したと聞いた。 そして、その活躍のおかげで優勝できたのだと。
それなのに今年は、クラスで出場選手を決める時も、三里はほとんどの競技に出ないと言った。
「僕は、今年は進行の責任者だからね、競技には あまり出られないけど…
でも、やっぱり優勝したいよね。 だから、皆で頑張ろう」
そう言って、さりげなく村澤に視線を向けた。

三里の抜けた穴は大きい。 なんと言っても、去年は個人競技の優勝は、ほとんど三里が持っていった。
その三里が出ないとなると、今年はちょっと、優勝はきついかも…・。 クラスの誰もがそう思っていた。
だから村澤は、三里に優勝旗を持たせてやりたい。 自分が導いた、優勝の旗を三里に…そう思った。

女子の体操が終わり…西ゲートに、女子が退場すると同時に、2000メートル出場の選手が、東ゲートから入場する。
「は~い、行きま~す。 後に続いて下さい」
村澤は大きく声をかけ、先頭にたってグランドに飛び出していった。

2000メートル…口で言うのは簡単だが、マラソンと違って、ある程度のスピードを保って走らなければならない。
だからと言って、早過ぎると直ぐにバテるし…結構難しい。 村澤にとって始めての、競技だった。
「如何って事ないよ。 二三番手につけて、それをキープして行けば 最後に抜くチャンスはあるから…。 
ただ、余力を残しておかないとね。 大丈夫何とかなるから」
三里は事もなげに言ったが、実際にはかなりテクのいる競技だと思う。

村澤は、後のグループで走る事になっていた。  前のグループでは、村澤達の赤組は現在二位。 
一位は黄色の…確か陸上部の奴。 このままだと、村澤が一位にならなければ勝ちは無い。
【けど…こっちの黄色も野球部じゃないか…。 おまけに、白は村澤と同じサッカー部員。
やっぱ、2000にもなると、運動部の奴じゃないと、無理なのかも知れないな…。

それを、三里の奴去年は ぶっちぎりで一位だなんて…あいつって、ほんと化物か?
とにかく、三里の言ったように、二番をキープして…・。 え? もし、二番が黄色だったら?
何だよ! 俺が一番になっても点数は同じじゃないか…・。 しゃーない、白の木内を連れて走るか…・】
村澤は、そっと同じサッカー部員の木内に近づくと、小さな声で耳打ちする。
自分でもセコイと思う…思うが、これも作戦…・村澤は自分に言い聞かせた。

「木内…黄色の奴手強そうだから、俺の後に付いて走れよ。 最後まで一緒に行けば、
俺とお前で、ワンツーフィニッシュ出来るかも知れない。 乗るか?」
村澤の囁きに、木内がチラッと黄色の選手に目をやる。

「マジかよ…解かった。 けど、最後は抜かして貰うからな」
木内がニコッと笑いながら、村澤の胸に拳をあてた。 

「ああ、いいよ。 抜けたら…だがな」  言いながら、
三里に、優勝旗を持たせるためだ…絶対抜かせないからな…村澤は心で呟いた。

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