捧げたもの


時間にしたら、そんなに遅い時間ではないが、この季節になると辺りは真っ暗で
コートなしの制服姿には、結構寒さが身にしみる。
駅から高校までを往復しているバスは、高校通学用と言っても良いほどで
登校時と下校時以外、一時間に一本程度しかない。
それも、部活が終わる時間にはなくなっているのだから、当然帰りはいつも歩きになった。

住宅街を暫らく歩くと、少しずつ店の明かりが増えて、やがて大きなメイン道路に出る。
途端に人の姿や、車の流れが多くなり、なんとなくホッとするのは、やはり人通りのない道では、
無意識に緊張しているのかも知れない。 
その辺りから駅までの大凡15分、村澤は首に巻いたマフラーに顔を埋めるようにして、少し歩を緩めた。

駅の手前にある銀行の前に、駐車していた車の助手席に、見知った顔をみつけ、村澤はふと立ち止まった。
あれ? 三里の兄貴?
どうやら運転手は、銀行の中らしく、三里の兄の視線はそちらに向けられたままで、
自分を見ている、存在にも気づかないようだった。

村澤は車の傍に近寄ると、ドアのガラスをコツコツと叩き…その音で、三里の兄が振り向いた。
一瞬、怪訝そうな顔で村澤をみつめ、それが直ぐに笑みを浮かべて大きく肯くと、窓ガラスを降ろした。
そして…優しい笑顔と、涼やかな声が村澤に向けられる。
「今、帰りなの?」
「はい、部活だったんで…お兄さんもこれから帰りですか?」 村澤が聞くと
「そう、連れが用を済ませたらね。 あっ!そうだ、 この前は大変お世話になり、ありがとうございました」
三里の兄はそう言うと、丁寧に頭まで下げた。

「あぁ、いいえ…。 別に大した事じゃないから」
「でも、本当に助かったからね、きちんとお礼だけは…そう思っていたんだ」
そう言いながら、にっこり笑う兄の顔をみながら…なぜかその笑顔に、三里の今にも泣きそうなが重なった。

「できたら、ぜひまた遊びに来て欲しいと伝えてくれって、三里に頼んでおいたんだけど、
ちっとも顔を見せてくれないから、あれで懲りたのかなって 心配していたんだ。
でも、部活があるんじゃ忙しい訳だよね。三里のやつ、そんな事一言も言わないからさ」 
初めて聞く三里の兄の言葉に、

「えっ? 俺そんな事聞いてないですよ。 あいつ何にも言わないから。 あっ!ヤバッ」
思わず口走ってから口を押さえたが…三里の兄は、面白いものでも見つけたように、上目使いで村澤を見ると
「告げ口をしたって、三里に怒られる?」  と言った。
その表情が、やけに艶めいて見えたのに戸惑い、益々慌てたようにぶんぶんと首を振り。
「い、いや…そういう訳じゃ…」 と、慌てて否定する。

「大丈夫だよ、三里には言わないから。 それに、きちんと伝えない三里の方が悪いんだからね」
なぜか、とても楽しそうに笑う顔が…・やっぱり綺麗だと思ってしまった。 その時、
「ゴメン、時間かかっちゃって…お待た…せ…。 誰?」
運転席のドアを開けて、乗り込んできた青年の声が、途中から不機嫌そうに変わった。
三里の兄は、その青年に振り向くと、やはり笑顔で、

「あっ、お帰り。 そうだ、坂入君紹介するよ、この子は弟の友達で村澤健吾君。
ほら、前に言っただろう?雨の日に助けてもらったって…。 それがこの村澤君」
途端に青年の顔が、にこやかな表情に変わった。
「あぁ、君が悠斗さんを助けてくれたって子か…世話になったんだってな。 あれは、俺のせいだったからさ、
後で聞いて本当に驚いたよ。 だから君には、どうしても礼を言いたいと思っていたんだ。
本当にありがとう…おかげで悠斗さんが風邪をひかずに済んだ」
青年はそう言って村澤に頭を下げる。 そして…付け加えた。

「けど、悠斗さんに変な気は起こすなよ」
「え?えーーっ! あっ いや、俺は別に…」 さっきからの動揺を、さらに揺さぶられ、益々慌てる村澤を余所に、
「馬鹿だな、村澤君は三里の特別だよ。 それに僕は、余所見をする余裕はないよ」
村澤の方に乗り出すようにしている青年は、三里の兄と頬が触れ合うほど近い
そんな彼を、間近に見つめながら…三里の兄は優しげな笑顔で言う。

「そっか、それを聞いて安心した。 悪かった、ちょっと妬けたからさ、つい」
「うん…でも、とっても嬉しいよ」  

そんな事を言いながら、二人は何気なく見つめあう。 村澤は、その様子を見ながら、
二人の間に流れる微妙な雰囲気に、あ、あれ? なんか…この二人って…まさか、恋人同士? そう思った途端、
「あ、あの…俺、お兄さんに話があるんです。 三里の事で…」
思わず口から出た自分の声が、思ったより切羽詰って聞こえたような気がした。

すると…村澤の声に、三里の兄の顔が少しだけ不安そうに翳る。
「三里の? なんだろう、三里がどうかしたの?」
「いえ、どうもしないけど…でも、どうしても話したい事があるんです」
村澤の真剣な表情に、三里の兄と青年は一瞬顔を見合わせ…青年が小さく肯くと、
兄はもう一度村澤に顔を向け、はっきりとした声で言った。

「解った、いいよ。 で、急ぐのかな?その話というのは」
兄に、そう言われて村澤は一瞬戸惑う。 まさか、そんなふうに応えてくるとは思ってもいなかった。
いったい自分は、この人に何を話そうと思ったのだろう。 三里の何を…聞き、話そうと思ったのだろう。
考えてみると、その何が漠然として形として見えない。だから、しぜんと及び腰になって。
「いえ、今すぐって訳じゃ…」  なんとなく、勢いが窄みかける村澤に…三里の兄は。
「そう…でも、早い方が良いみたいだね。 明後日の土曜日、村澤君部活は?」 と聞いた。

「あります…けど、夕方なら…」 
「…・・それじゃ、4時ごろでも平気かな?」
「はい、大丈夫です…」
「じゃ、どうしようか…家じゃ三里がいるし…どこか僕が入れる店とかで…」
と、ちょっと思案気な兄の様子に、それまで村澤の顔をじっと見つめていた青年が、助け舟を出すように口を開いた。
「悠斗さん、俺の部屋にきてもらえば良いよ。 三里君の事なら、多分、悠斗さんにも関わりのある話だろうから、
出来たら、俺も一緒に話を聞きたいからさ」 青年は、村澤の言おうといている事が、なんとなく想像できる。
そんな表情で、三里の兄と村澤を交互に見ながら言う。
すると三里の兄は、やはり彼を見つめ、それからまた村澤に視線を戻して、

「そうか…そうかも知れないね。 村澤君どうかな、彼も一緒で良い?」 村澤に聞いた。 
「はい、俺は構いません…じゃ、部活が終わったら、訪ねて行きますから、住所を教えてもらえますか…」
村澤が言い、バッグからペンを取り出そうとすると、
「いいよ、3時半になったら、学校の前に行って君が終わるのを待っているよ」
村澤を真っ直ぐに見つめる青年の目と、堅い意思を含んだような声。

それは…村澤の話というのが、二人にとっても大切な事なのだ…と、言っているようにも見えた。
だがそれが、村澤に理由の解らない不快なものを生み出す。だから…
「そうですか…じゃ、お願いします」 村澤はそれだけ言うと、二人に頭を下げ車の傍を離れた。

 

村澤は、特に何かを三里の兄に話そう等と、考えていた訳ではなかった。
ただ、あの二人の間に流れる幸せそうな空気…それに少しだけ苛立った。 三里が、あんなに苦しんでいるのに。
辛い思いをしているのに。 そう思ったら、訳も無く腹立たしいような気がした。
そして、三里の心を思ったら、なぜか涙が出そうになった。

自分には、三里を自由にしてやることが出来ない。 それが出来るのは、あの兄だけだ…。
理由は解らないが、そう思っていた。

ひらひらと舞う蝶は、いつも兄の傍から離れられず、何処へも飛んで行けない。
明るい日差しの中を、自由に飛ばせてやりたい。 たとえ、蝶が白鳥になって…北の地に帰っても…。
再び戻ってこなくても、好きなところへ…自由に…その為なら何でもしたい…そう思った。
あぁ…そうか…。 俺は三里が好きなんだ。 友人とか親友とか…そういうんじゃなく、
ほんとに好きになってしまったんだ。 こういう気持ちを、ホモって言うのだろうな。

そうか、俺はホモになったんだ…。 村澤は自分の感情の、行き着いた先を見定めると、
はぁ~ がっくりと肩を落とし、大きな溜息を吐いた。それから、徐に顔を上げ、空を振り仰ぐ。
大きく息を吸い、肺の中が冷たい空気で満たされると…それをゆっくりと吐き出し、晴れやかな顔で笑った。

部活が終わり、門の外へ出ると約束どおり、脇のフェンスに沿ってワゴン車が一台止まっていた。
村澤に気づくと車はゆっくりと動き、近づき…横で止まったその後部ドアを開けて、村澤はそれに乗り込む。
その時、窓に身体障害者用のステッカーが、貼られてあるのに気づいた。
座っているには気づかない脚の不自由さも、こうして表示されているのを見ると、あぁ、そうなんだ…改めて思う。
「すいません、わざわざ迎えに来てもらって」 心持ち緊張しているのが自分でも解った。

「大変だな、土曜も日曜もなく練習で…けど、今だけだからな。
社会に出ると、そんな時間が懐かしく思えるようになるよ」
青年が振り返って、村澤にそう言ながらシートベルトを締めたのを見て、
村澤も、自分のシートベルトを締める…。 そして車はゆっくりと滑り出した。

青年の部屋は、小奇麗なあまり大きくないマンションの一室で、
青年は当然のように、玄関先で三里の兄を抱き上げるとドアの前に立つ。 すると、玄関のドアがひとりでに開いた。
あっ! 自動だ!! 意味もなく感動してしまう自分が可笑しくて、笑ってしまう。
そして、中に入っていく青年の後に続いて、村澤も中に入った。

ん? なんか、普通と違う?そんな気がした。
全体的にそうだが、特にリビングは物が置いてなくて広々として見える。 そして、気が付いた。
【あっ…そうか、家具や調度品の背が低いんだ…車椅子でも手が届くように。
やはりこの二人は、そういう関係なんだ】 はっきりと確信した。
そう思って見ると、青年の三里の兄に対する表情やしぐさが優しい。
そして青年は、三里の兄を椅子に座らせると、傍にあったひざ掛けをそっと脚に乗せ、村澤を振り返って言った。

「その辺に座って…今、お茶でも入れるからさ」
「あっ、あの…別に構わないで下さい…」
「構わないよ。 でも、悠斗さんが喉渇いたって言うからさ。 君はそのついでだ」
青年は、ちょっと笑いながらそう言って、キッチンに入っていく。
「あ、そうですか…すいません」 
村澤も、それに納得したように何となく返事をすると、傍で三里の兄が、くすくすと笑い出す。

「彼は、とても照れ屋だから、素直じゃないんだよ。 逆に、村澤くんは素直で真っ直ぐだからね。
でも、二人とも、とっても優しい。 それだけはよく似ているね」
「はぁ…じゃ、あの人は三里と同じだ。 優しい自分も、素直な自分も全部隠して…わざと意地悪をして」
「ははは、そうなの? 三里は、君にはわざと意地悪をするんだ。 
そうだね、ある意味三里に似ているかも知れないね、彼は」
そう言いながら、とても楽しそうに見えるのは…彼がいるから?

三里の兄は、青年の入れてくれたお茶を、美味しそうに飲む。 優しい笑顔で青年をみつめる。
本当に嬉しそうに…幸せそうに笑う。 彼がいれば、それだけで良い…そんなふうに。
それなら、三里の捧げた心は一体何処にあり、何の意味があるのだろう…。
三里の事を思うと、理不尽と判っていても、二人の様子に…幸せそうな笑顔に…苛立ちが生まれる。
その笑顔の半分でも、三里が持てたら…。 奉げた者と、捧げられた者…その違いにちりちりと苛立つ。

「あの…俺…」 そして、村澤の発した言葉を、遮るように青年が言った。
「ごめん、ちょっと待ってくれないか。 悠斗さんのトイレを先に済ませてから、ゆっくり君の話を聞きたいんだ」
その言葉に、単純にも村澤の思考は一瞬でシフトし、

えっ? トイレ…って、おい! トイレまで一緒に行くのかよ!
あっ! でも…俺もあの人を抱いて、風呂に入ったんだっけ。 それも、お互い裸で…。
まぁ、風呂だから裸は当然だけど…って事は、あんま変わりないのか?
等と思っている村澤を余所に、青年は三里の兄を抱き上げトイレへ

どうやってするんだろう…抱っこして、シーシーすんのかな。 …………。 まさか…な。
村澤の心配を余所に、青年は直ぐに一人で戻ってくると、
折りたたんで、壁に立てかけてあった大降りの座椅子を出して其処に広げた。
それから再びトイレにいくと、三里の兄を抱いて戻り、その座椅子に座らせる。
そして、脚載せ台にそっと足を乗せると、上から膝掛けをかけてやった。
本当に大切そうに…愛しむように…愛しているよ…そんな声が聞こえるほどに…。

「僕は、ずっと椅子に 座って脚を下げているからね。 こうして下に座って脚を伸ばしていると、楽な気がするんだ
何も感じないはずなのに、変だと思うよね。多分、気のせいなんだろうけど、
此処で、こうしているのがとても楽で…好きなんだ」
それは、暗に彼が傍に居るから…彼の側が楽…好き…そう言っているように聞こえた。

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