グスク 12


真っ青な空と、紺碧の海…そんな予想をしっかりと裏切り…うす曇りの空に、それを映したような海。
空も海もどんよりと重く…そのせいか、船底から覗く海中にも、魚の姿はなく、荒地のような海底が広がっているだけ。
こうして見ると、 色な どどこに も無くて、それが、水中カメラで写すと、
どうしてあんなに見事な青になるのか、不思議な気がした。

「あっ!魚いた!!」
「うわっ!ほんとだ、まるで熱帯魚だ」
誰かの声に誘われたように、ちらほらと魚の姿。 色鮮やかな黄色に緑や黒の模様…真っ青な色彩が、
目の下を、ゆっくりと、あるいは掠めるように泳いでいく。
今日は海が荒れ模様だからな…船の船頭?はそう言って苦笑いをした。
確かにあまり大きくもない船は、波間に漂いながら結構な揺れで…
胃の辺りで、不快な感覚を呼び起こす。

「うじゃうじゃ泳いでいる処、実際に見たかったんだ。 楽しみにしてたのによ」 村澤が、不満そうな声で言った。
「うじゃうじゃいたら、そんな綺麗でもないよ…きっと」 
「そうかな…よし!俺、今度潜りに来よう」
こいつはどうして、そういう発想に行き着くのか…理解できないと思いながら聞く。

「スキューバ、出来るの?」
「いや、やったこと無い…でも、シュノーケルでも良いんじゃねぇ?」
おや…意外と現実的で、建設的?な考えに思わず三里が同意する。
「そうか、その方が簡単だし、意外といい考えかも知れないね」
すると村澤は、またまた三里の思ってもいないことを言い出す。
「そん時は、お前も一緒な」
「え? なんで、僕も一緒なのさ…」
「うん? なんとなく…お前も一緒がいいなと思って」
「なんとなくで、沖縄まで一緒に来るほどの仲とは思えないけど、君と僕は」
「じゃ、これからそういう仲になれば良いって事だ…そうだろう?」
「…・・もう良いよ、君と話していると、こっちまで、頭がおかしくなる」
そう言ったきり、三里は口を噤み…黙って灰色の海と空の境を見つめていた。

最終日、自由行動…・グループごとに町へ出て、土産などを買う事になった。
村澤と三里は、体験学習の際、工房で紅型の小物を幾つか買っていたので、後は特に買う物もなかったが、
ぶらぶらと店を覗いては、ひとつふたつと意味の無い物を買っていると、結構な荷物になっていた
「お前、何そんなに買ってんの?」 村澤がそう言って、三里の紙袋を覗き込む
「ゴーヤ茶…後は…・」
「ゴーヤ茶? ホテルにあった、あれか?」
「うん、あれ美味しい…それに、向こうでは売ってないみたいだから」

「なんか、臭いよな…そう思わねぇ?」
「少しね…でも、美味しいから気にならない」
「ふ~ん 変なのが好きなんだな。 俺は、ソーキそば、あれが旨い、それと角煮」
村澤はそう言って、自分の袋をパンパンと叩いた。

「それって肉だけじゃないか」
「そんな事ないぞ…果物だって好きだし、野菜だって。 ただ、ゴーヤはちょっとな。
あれ苦いだろう…駄目、全然旨くない」 そう言って、本当に苦そうに顔をしかめる。
「そう…僕もゴーヤは美味しいとは思わないけど、あれば食べる…その程度」
いつか、買い物をしている友人達とも離れ、二人で並んで宛てもなく歩く。
大きな石の祠のような建物…グスク…の前に来ていた。

グスクの前を通る時、立ち止まってお辞儀をして祈る年配の婦人。 それを見ながら、自然と三里の足が止まる。

「僕は、マングローブの森に行ってみたかったんだ。 それと、グスクの中」
「神様が降りてくる処なんだろう? グスクって」
「…聖なる地…に神が降り立ったら何を願う?」 三里の問いに、なんの躊躇いもなく村澤は答える。
「俺は…お前の笑った顔」
村澤のその答えは、ひどく馬鹿げているように思え…反面、一番村澤らしい答えのようにも思えた。

「…全く…呆れた馬鹿だね…君は」
「そう言うお前は、何を願うんだ?」

「僕は…僕の願いはたった一つ、兄さんの脚…兄さんの脚を返して欲しい」
「その為だったら、自分の足を捧げるっていうのか」
「そうだよ…。 もし叶うのならそうする」 
三里はそう言うと空を仰ぐ。 だが…其処に、神の降り立つ気配は無かった。

「なぁ、三里…お前兄貴に惚れているのか? 兄弟としての感情以上の気持ち…だから、そこまで兄貴を思うのか?」
「……どうなんだろう。 兄さんの事は大好きだよ。 愛しているのかと聞かれると…判らない。 でも、僕は…」
中に入れないグスク…以前何かで見たグスクは森のようだった。
大きな木の傍に少しだけ開けた平らな地…いかにも神が降り立つに相応しい。
そんな気がして、其処で願ったら、どんな願いも叶いそうに思えた。

「俺は、一度しか会ったことがないから、よく解らないけどさ。 お前達兄弟がどんな関係で、
どんな気持ちで、向き合っているのか解らないけど…。
あの兄さんは、弟を犠牲にして 平気でいる人とは思えないけどな」
「………犠牲なんかじゃないよ。 僕がしたいからしている、それだけ…。
兄さんは僕に、何も望んでいないよ…望んだのはたった一度だけ…あの一度だけ」
「一度? 何を言われた。 言えよ!何を望まれた!!」

なんだ…君らしくないね。 でも、君のそんな声、始めて聞いた。 
不思議と、なぜかその声に逆らえず、言ってはいけない…心はそう思っても、言葉が何かに引きずられるように、
勝手に口から出てくる。

あの日が甦る…
暑い夏、蝉の声が五月蝿くて…玉の汗が背中を伝っていた…あの日。
「…脚を返してくれって…。 沼に行って…脚を取り戻して来てくれって…」
「! それって!!」
「そう…僕の命の代わりに、兄さんの脚が奪われた。 だから…僕が死ねば、その代わりの兄さんの脚は戻ってくる」

「…そんな…・・」
「でも、僕には出来なかった…。 僕は…沼に行けなかった」
「だから、生きている自分を兄貴に捧げるのか…一生そうやって生きていくのか」
「別に、そんな大層な事ではないんだけどね。 今まではその事に、何の迷いも無かった、辛いとも思わなかった」

「今までは…。 けど、今は迷っている。 辛いと思っている・・そう云う事なのか?」
その言葉で、三里の目の前に現実が戻った。 現実…それが、村澤だとしたら…三里はそれに苛立ちをぶつける。
「…君のせいだ。 君が僕の前に現れて、いろんな事を言うから。 僕を、苛立たせ、不安にさせる。
自分の心が重くなって…揺れて…眩暈がする。 全部君のせいだ。
僕は何も望まないし、変わらない、動かない…なのに…君が…」

なんでこんな事を言ってしまったのだろう…口に出してはいけない事なのに。
グスク…神や死者の魂が降り立つ地。 それらが言わせたというのか。
グスクに背を向けると、三里はそれらを振り切るように走り出した。



  捧げたもの

三里の、紅型を着た写真が生徒会報に載って、全校生徒の目に晒される羽目になった。
その事で三里は酷く不機嫌になったが、会報はいつにも増して好評だった。
もっとも、三里は文化祭の時に、姫姿を披露しているのだから、今更と思うのだが
それでも三里の写真というだけで、結構付加価値は絶大と見えた。
ただ…困ったことに三里の不機嫌は、どういう訳か村澤に返ってくる。

【なんで俺な訳? 俺だけが特別に敵視されている? でも、それって…・
俺だけは三里にとって、感情をぶつけられる相手だって事? だとしたら、マジ嬉しい…んだけど…
前にも増して、馬鹿だの…馬鹿犬だのって…俺だって大概傷つくぞ】

村澤は嬉しいような、そうでないような複雑な思いで、斜め前の席に座っている三里の背中を見つめていた。
あのグスクの前での件も、それ以後は三里に変わった様子も無く、それが村澤の目には、
三里の平静さが、逆に不自然に写って見えた。

【命と引き換えに脚を…か。 きついよな、そんな事言われちゃ。 俺だったら今頃、非行に走ってるぞ。
けど…あの兄貴が、本当にそんな事を言ったんだろうか…・。
あんなに優しそうで、三里の事を、すごく可愛がっているように見えたんだけど…】

村澤には、三里の抱えるものが、とても重くひどく残酷なもののように思えた。
最初は、頭が良く、美人?で皆に慕われ…何の悩みも無いように見えた。
幾分生意気な性格も、見ようによっては可愛く見える。 そう大きくも無い三里が、堂々と…とても大きく見えた。
なのに…暗闇の中で声を殺して泣く姿を見た。
俺のせいだと言って怒鳴った顔は、目を涙で潤ませ今にも泣きそうだった。

それなのに…三里は相変わらず三里のままで…・。 改めてみると、華奢な背中だと思う。
一緒に走ったときも軽くて、抱いて走ってもいいくらいだと思った。
三里のいろんな顔を見るたびに、村澤の中の三里がどんどん変わっていく。
打ち負かして、ねじ伏せたい奴から…守って、大切にしたい者に…。
村澤は自分の中で、三里の存在が変わって来ていることに気付き始めていた。


旅行の思い出話も、期末試験が近づくにつれ、少しずつ日常の会話に上らなくなる。
村澤は、半分諦めていた三里追い抜きに、今度こそ全力を尽くすこと決めた。
たとえ三里を抜けなくても、三里のすぐ下にいて三里を支える…そういう位置も、悪くないと思ったからである。

男、村澤健吾。 全教科万年二位…。 それも良いんじゃないの!
村澤は一人頷き、大きく背伸びをすると、グランドへ駆け出していった。

三里は、修学旅行の頃から、益々自分が揺れているのを感じていた。
今日も生徒会室の窓から、グランドを眺める。 いつからだろう…・この部屋が自分にとって大切な場所になったのは、
三里が、この部屋で過ごす僅かの時間は…勉強をしたり、昼寝をしたり…ただ、ぼーっとしたり。
誰もが家でする、ほんの些細な事、当たり前な事…。 今はそれに、グランドを眺めるという項目が加わった。
正確に言うと、村澤の姿を…。

僕は、どうしてあいつの事が気になり…・あいつの傍にいると、気持が楽なのだろう。
あいつの腕の中はとても暖かい事を知った…泣きたくなるほど暖かい。 だから僕は揺れ始め…
一人でいると息さえ苦しい。 僕は兄さんの脚でいる事が、辛いと思い始めている。
ゴメンね、兄さん…僕にはそれしか道は無いのに、ほかの道が眩しく見えるんだ。
大好きだった兄さんと、一緒にいるのが辛いなんて…。
僕は兄さんを…綺麗で優しい人を…また黒く染めようとしている。

ぼんやりと、外を眺めるでもなく眺めていると、ガラリと扉を開けて入ってくるなり、
「会長…まだ帰らないんですか? あ!そうか…副会長を待っているんですね。
僕、応援していますから、お二人の事。 」
中村の遠慮のかけらもない言葉に、三里は幾分うんざりした顔で答える。

「……中村君。 どうしてそういう事になるのかな。 僕は別に、副会長を待っている訳じゃないんだけど…」
だが、中村は、そんな三里をものともせず言う。
「そうですか? 会長が待っていたって判ったら、とても喜ぶと思いますよ副会長。
会長の事大好きですから、あの人…。 僕は、会長と副会長はお似合いだと思っています」
「だから、そういうんじゃないんだってば…僕たちは」
「嫌だな、会長…・照れちゃって。 可愛いですよ、そんな会長も」

「…………」
【馬鹿か!お前…死ね!!!】 心の中で喚きながら、浮かべた笑顔が引き攣る。
だが、次に放った中村の言葉で、三里のそれが消えた。
「でも、会長…変わりましたよね。 副会長が生徒会に入ってから」
「えっ?」
「なんだ、自分じゃ気づいてないんだ。 以前の会長は、き然としてカッコ良かったけど、
なんか、簡単には近寄りがたい雰囲気がありました。 僕たちとは人種が違うみたいな…・そんな感じで、
でも、最近の会長は、意外と怒りっぽくて、意地悪そうで…・とっても優しくて、可愛いところもあって。
それに…時々寂しそうで。 僕たちと変わらない同じ高校生なんだって思えます。

以前、僕は会長に憧れて会長のようになりたいと 思っていましたけど、
最近は、今の会長の方がもっと素敵だなって思います。 会長が変わったのって、副会長の影響ですよね…
それだけ人に影響を与えるなんて…副会長ってほんとは凄い人なんですね」
中村の言葉に、三里は自分の心を覗かれた思いがした。 人の目に映るほど変わった自分の心を、
それでも隠そうと…そのために、三里は笑みを浮かべて聞く。

「中村君…僕はそんなに…誰の目にも映るほど、変わってしまったのかな」

「ほら~ 泣きそうな顔していますよ。 なんか、煽られちゃうな…そんな顔されると。
上級生なのに、抱きしめたくなるじゃないですか」
「えっ? えーっ? な・・なに言って…」
「冗談ですよ、そんな事したら副会長に噛み殺されちゃいます。 君子危うきに近寄らず…ですからね。 
でも可愛いですよ、とっても…三里会長…」
な! 何なんだこいつ…。 仔猫の仮面を付けたライオンか、こいつは!!! そんな三里の心を余所に、
「それじゃ、僕はお先に失礼します…・」  中村はにっこり笑い…そう言って生徒会室を出ていった

何をしに来たんだ? あの正体不明のバカは…。 
なんだか…気のせいか…最近自分の周りに、訳の解らないバカが多くなっているような気がする。
でも、それが…中村の言った、自分が変わったせいだとしたら…そのせいで、今まで遠くにあったものが、
身近に見えるのだとしたら…あいつのせいだ…僕が変わったのも、泣きたくなるのも、苦しいのも…全部
変わりたくない、動きたくない、変わってはいけない、動いてはいけない…。
それなのに…僕の心は…羽ばたきたい、飛びたいと…叫んでいる。

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