理由


買い物を済ませ、二人が大きな紙袋を抱え外に出ると、やはり重さに耐えられなかったのか、
空は抱えた優欝を地上に向けて注いでいた。


「あ〜 やっぱ持たなかったか…しゃーない、駅まで走って行こうぜ」  村澤の言葉に、三里が頷く。
「そうだね、走ろう…」
バシャバシャと地面を蹴る音が、降る雨の量を窺がわせる。 肩が瞬く間に濡れ、髪の毛が雫を垂らす。
胸に抱えた紙袋が濡れないように、口をしっかり押さえて、村澤と三里は、少し離れた駅に向かって走った。
構内に着くと、二人とも制服は色が変わり、靴が歩くごとにくちゅくちゅと鳴る。

「あ〜ぁ、びしょ濡れだな…大丈夫か?三里」
村澤はそう言うと手を伸ばし、濡れて垂れ下がっていた三里の髪をかきあげた。
かすかに触れた指先が温かく…そしてやけに優しくて…自分だって同じなのに、僕の心配ばかりして…
そんな事を思ったせいか、

「うん…僕は大丈夫だけど、君のほうはその格好じゃ電車に乗れないね。
もし帰りが遅くなっても良いなら、僕の家で少し乾かしてから帰る?」
自分でも意外なほど、すんなりと誘いの言葉が飛び出した。 それに対して、村澤はちょっと困惑したような表情を浮かべ、

「それは助かるけど・・・良いのか?」 と聞く。
「うん、誰も居ないから、おもてなしは出来ないけど」 

「そんなもんいらねぇよ。 けど、助かった〜 正直参ったと思っていたんだ」  村澤がホッとしたように笑顔を見せる。
「じゃ、もう一度走ろうか、これじゃタクシーも乗れないからさ」
言いながら三里は、自分の気持ちがすこしだけ弾んでいるような気がした。

駅から三里の家の前までは、歩いて10分ほどの距離だったが、びしょ濡れになりながら・・・二人で走る。
そして、家の側まで走ってくると、三里が急に立ち止まった。、雨に濡れながら、じっと門を見つめている青年に向かって叫んだ。


「兄さん! 」  
三里の声に車椅子の青年がゆっくり振り向き、三里は青年に向かって駆け寄る。
「兄さん! どうして・・・・ちょっと待って、直ぐに開けるから」
青年は全身ずぶぬれにならながら三里見上げ、とても綺麗な笑顔を見せた。

「やぁ、三里、お帰り・・・」
「お帰りじゃないよ! どうしてこんな雨の中に」  言いながら、門を開くと急いで玄関の鍵を外し、ドアを開く。
そして、持っていた荷物を、上り框に放ると、また青年の側に戻る。


「ごめん 帰りが予定より早くなってしまったんだ」
「だったら、どうして電話くれないの! 
電話してくれれば、もっと早く帰って来たのに・・・ううん、買い物なんて行かなかったのに」
三里の真剣な顔に、青年は少し場都合の悪そうな笑みを浮かべて

「うん、そうなんだけどね・・・急だったから、とっさに思いつかなかった」
青年のその言葉に、三里は呆れたような顔をすると、門の辺りを見回して
「兄さん、スロープは? 車に積んであるの?」 と聞いた。 すると青年は、ますます都合悪そうに
「それが・・・無いんだ」  と言った。

「無いって、どういう事?」
「うん、車を貸しちゃったから・・・その時、降ろすのを忘れた」

「えっ! それじゃ」
「そう・・・だから段差が上がれなくて、困ったなって・・・」
青年はそう言いながら、今度はちょっとだけ困ったというような顔をする。

車椅子でも、少しぐらいの段差ならなんとか押して上がることは出来る。 だが、それも二段になると、
車椅子ごと持ち上げなくてはならないから、今の状況では、そんな事は到底無理、ほとんど不可能と言って良い。
三里はしっかりとブレーキレバーを引くと、青年の前に屈み足掛けをたたんだ。


「兄さん、僕がおんぶするから・・・僕の背中に載って」
「う・うん・・・でも大丈夫なのか?」

「そんな事言っている場合じゃないよ・・・・とにかく僕の背中に」
そう言うと、三里は車椅子の前で、青年に背中を向けて屈みこむ。
するとそれまで、直ぐ側に立って二人の様子を見ていた村澤が、つかつかと二人の側に近づき

「三里、俺がこの人を抱いていくから、お前は先に入って、タオルでも何でもいい、拭くものと着替えを出しておけよ。
このままじゃ、風邪をひいちまうだろう? だから、風呂場に連れて行くから、シャワーであっためて、
それから着替えさせた方がいい・・・・判ったな」  三里に言い、それから青年に向かって

「俺、三里の友達で、村澤と言います。 ちょっと、我慢して俺の首に捕まってくれますか・・・抱き上げちゃうから」
そう言うと、もっていた荷物を、三里に押し付け、青年の背中に腕を回し、
もう片方の腕を膝の下に差しこむと軽々と抱き上げた。
ふわりと浮き上がった不安定さに、青年は慌てて村澤の首にしがみ付く。

雨は相変わらず降り注ぎ、その中で・・・まるで大切なものをしっかりと抱きしめているような村澤の姿と、
その村澤の胸に、頬を寄せるようにして抱かれている兄の姿が、三里の目に鮮明に焼きついた。
「三里!さっさと中に入れよ! そんで、風呂場に案内しろ」 村澤が怒鳴るように言うと、
呆気に取られたように、二人を見ていた三里が  
「あっ! あぁ、うん」  慌てて家の中に入って行く。

ぼたぼたと衣服から垂れる水滴が玄関に水溜りを作り、青年が長い時間あそこで濡れていた事を窺がわせた。
三里がタオルを数枚抱え飛び出してくると、その一枚を青年の頭に被せる。 そして、村澤に

「靴だけ脱いでそのまま上がって! それで兄さんをお風呂場に」 そう言って先にたち村澤を浴室へと誘う。
案内された其処は、普通の家庭の風呂場よりかなり広くて、介助者も一緒に入れるスペースが取られていた。
そして、洗い場に置いてある椅子に青年を降ろすと、村澤は三里にむかい
「じゃ、俺は車椅子を持って来るから・・・終わって、出る時になったら呼べよ」
そう言って、三里の手から持っていたタオルを取ると、三里ははっとしたように村澤に顔を向け、小さく笑みを浮かべる。


「うん、ありがとう・・・助かった・・よ」
その時三里の顔に浮んでいた笑みは、今まで一度も見た事の無い、悲しそうな笑顔に見えた。



   

村澤は、車椅子をたたみ玄関ポーチに寄せると、中に入り其処に放り投げてある紙袋を手に取った。
破けて、中身が見えているそれを、上がりかまちに置き腰を降ろす。
玄関のタイルは、水浸しで…村澤は自分もずぶ濡れになっていた事を思い出した。

兄さんって言った。 三里に兄弟がいたとしても、別に不思議でも何でも無い。 自分だって兄弟がいる。
それなのに、三里に兄がいたことが、村澤に少しだけ違和感のようなものを感じさせた。 浴室から三里が出てくる気配は無く。 
一緒に入っているんだ…。そう思うと、なぜか燻るような嫌な感覚に…ぶるっと身震いをする。

寒ぃ…風邪ひくかな…。 こんな、濡れたままじゃ…・。 框に座り込んだまま、村澤はぼんやりとそんな事を考えていた。

三里はそれほど小さい方ではない。それでも成人の兄を、車椅子から抱き上げるのは大変な事だった。
それを軽々と抱き上げ、幾つかある段差も気にもせず、兄を此処まで抱いてきた。
それほど違うというのだろうか…村澤と自分では…・。 シャワーを兄の肩にかけながら、自然とその事にばかり気がいく。

「三里・・・今日は彼と一緒に出かけたのかい?」  兄が、顔を振り向かせ、三里を見上げるようにして聞く。
「えっ? あ・うん、そう・・・・旅行の準備らしいよ」

「そうか・・・もうすぐ修学旅行だったね。 それで、三里も何か買ってきたの?」 湯気が立ち込め、声が水滴に当たり反響する。
「うん・・・シャツとズボン。 自由行動の日は、私服だって言うから・・・」

「へぇ〜自由行動があるんだ。 それじゃ、その時は彼と一緒なんだね」
「え?  うん多分・・・同じ班だから・・・」 言いながら、言い訳じみている・・・そんな気がした。

「良い子だね・・・。 優しいし、何より三里をとっても大切に思っている」
思いがけない兄の言葉に、ふと、さっき見た光景が浮かぶ。だから・・・という訳ではないが、見当違いの答えで不穏な心を隠す。

「そんな事ないよ・・・。 転校生だから、それで・・・」
「転校生か。 それでも、いい子だよ。 大切にした方が良いと思うな、彼の事」

「・・・・うん・・・」  良い奴だから・・・これ以上近づきたくない。 三里は、そう言いたいのを堪え
「兄さん、どう? 寒く無い? シャワーの温度上げようか?」  聞く。
「大丈夫、もう充分温まった。 ありがとう三里」  兄はそう言って、三里の手からノズルを取り上げ、自分でフックにかけた。


「村澤君、ゴメン・・・もう一度兄さんを運んでくれる? 今度は、リビングまで」 三里が浴室のドアを開き、顔を覗かせて言う。
「終わったのか? 充分あったまったのか?」

「うん・・・おかげで風邪の心配もなさそう、ほんと助かったよ、ありがとう」
「そうか、良かった・・・けど、俺びしょびしょだからさ、兄貴が折角着替えたのに、又濡らしちゃ悪いから、
なんか着るもん貸してくんねぇ?」  そう言われて、初めて気づいた・・・・村澤も濡れ鼠だった事に。

「あっ! ゴメン。 今着替え探してくるから、脱衣所で濡れた服脱いで。 
そうだ! ついでに村澤君もシャワー浴びちゃえば? あったまるよ」  言いながら、三里はそれがとても良い提案のように思えた。
「有難いけど・・・俺まで良いのか?」  村澤が、そう言いながら濡れた靴下を脱いで、ベタベタと浴室まで行くと、
「うん、兄さんがまだ中にいるけど、平気だよね」  三里が洗濯機のふたをあけながら言う。
村澤は其処に手にした靴下を放り込み

「俺は、構わないけど、兄貴は嫌じゃないのか?」  と聞くと
「多分・・・。 兄さん!村澤君にもシャワー使わせるけど、入って構わないよね」  中に向かって声をかけた。


「いいよ・・・・どうぞ・・・」  中から兄の声・・・に
「だって・・・じゃ、ゆっくり入って。 その間に、僕は着る物を探してくるから」  三里はそう言うと、浴室から出て行った。

濡れた服は、肌に重く張り付き脱ぐのに苦労する。 Gパンじゃなくて良かった・・・なんて事を思いながら、
身に付けている物を脱ぎ捨て、裸になるとドアに手をかける。
「すいません・・・おじゃまします」  何となくそう言って中に入ると、三里の兄は下半身をバスタオルで覆い、
椅子に座って笑いながら言った。

「どうぞ、遠慮しないで。 君には世話を掛けたね・・・おかげで助かった、有り難う」
「いや、俺の方こそ図々しくお邪魔して」  そう言いながら、なにげに浴槽を見ると、湯の量が半端なく少ないのに気づき。

「あれ?浴槽には浸からないんですか?」  と、聞く。 すると兄は、ちょっとだけ困ったような笑顔で
「うん、僕はリフトが無いと入れないからね」  と言った。

「そうなんですか? でも、シャワーだけじゃ、あったまんないでしょう」
「もう、それで慣れているから・・・でも、週に3回はサービスが来るんだよ。 
その時は・・・あぁ、お風呂に入っている・・・そう思って、とても嬉しいけどね」
その時を思い描いてか、兄は本当に嬉しそうな顔で・・・。だから・・・つい、言ってしまった。
「・・・・・じゃ、俺入れてやるから・・・嫌じゃなかったら、俺と一緒に入りません?」

「えっ?」  兄が驚いたように村澤を見つめた。
「お兄さんを抱いて入るから、裸の俺とくっ付いちゃうけど・・・それでも良かったら」

「僕はかまわないけど・・・でも、君の方が嫌じゃないの?」
「俺だって別に気にしないですよ、男同士だし。 これが、姉ちゃんだったらヤバイですけど、はははは・・・・」
村澤が、浴槽に湯を足しながら言うと、三里の兄は本当に嬉しそうに顔を綻ばせ、
「入りたいな」  と言った

抱き上げると、今度は少し恥かしそうに前をタオルで隠し、そっと首に腕を回す。
大人なのに・・・なんか可愛いな・・・三里とは大違いだ。 なぜかそんなことを思ってしまった。

浴槽に沈むと浮力で、急に軽くなったような気がする。 
それでも自由にならない足を、手で真っ直ぐに直しているのを見て、そっと手を添えてやると
ありがとう・・・そう言って、三里の兄はにっこりと笑った。 二人で入っているせいか、嵩のない湯でも肩までくる。
兄は、
「あぁ、気持ち良い・・・。 やっぱりシャワーだけとは全然違うね。
ずいぶんと濡れたけど、そのご褒美だとしたら、今日は雨に感謝したいな」  そう言って、また嬉しそうに笑う。
やっぱ、絶対可愛いよ・・・でも、どことなく似ているな・・・三里と。 顔とか体つきとか・・・。
だとしたら・・・素顔の三里も、こんなふうに笑うのかな・・・


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