―どうする?―


ショーウインドーから其処彼処の家々までもがイルミネーションに彩られて、世間は、クリスマス一色。
そして、授業は今週いっぱいで終わり、坂入の言った三里の兄さんのお泊りも…目の前に迫っていた。

【俺、追い込まれている。しゃーない、初めてだって打ち明けるしかないか。
そんで、三里にも協力? してもらってなんとか……って、それ、超カッコ悪いじゃねぇよ】
はぁ〜 溜息は数を増し、机にぐったりと頭を載せた村澤は、三里が傍に来たのにも気づかなかった。
だから、
「村澤君、今度の週末予定あるの?」
三里の声にガバっと頭を上ると、心に圧し掛かる週末の言葉で思わず、
「しゅ!週末?」 変な声が出てしまった。すると、三里もまた変な顔をし、
「どうしたの?そんなに驚いて。予定があるんだったら、別に良いけど」 声と口調は普通に言った。

「無い! ない、ナイ 何にも無い!」
村澤が、上ずった声で慌てて答えると、三里は更に怪訝そうな目つきで村澤を見つめる。そして、
「………。なんか変なの。でも……もし、君に予定がないのなら、僕に付き合ってもらえないかな。
兄さんがさ、週末友達と忘年会をするから、その日は友達の家に泊まるって言うんだ。
母さんは、お祖母ちゃんの処に泊まるって言うし……。すると、僕一人になっちゃうからさ」
なんと、思ってもいない三里からのお誘いに、村澤の溜息は霧散し心はいっきに晴れわたる。

「えっ?良いのか? 三里んち行っても」 声まで弾ませ村澤に、三里は何でも無いような口調で、
「うん。早く、けりを付けたいから」 と言った。
そして村澤は、三里のその言葉に、誘いに含んだ真意を見たような気がした。だから、
「…………。そうか、判った。それじゃ俺も、婆さんにお前の家に泊まるって言う」
少しだけ表情を硬くして答えた。そんな村澤の変化に気付いていないかのように、三里は、

「うん、解った。 それじゃ、明後日ね」
ただの約束……そんな様子で言うと、くるりと村澤に背を向け自分の机に戻っていく。
その背中は、ほっそりと華奢に見えても、ぴんと伸びた背筋は三里の心の揺れを映し出しもしなかった。
村澤には、それが自分と三里の想いの差……のように思えて心の中で呟く。

【三里…お前にとって俺との約束事は、ただの約束でしかないのか?
俺とする行為は…単なる約束の実行以外の何ものでもないのか?
俺が思い惑う気持ちの何分の一かでも…お前には迷いや躊躇いは無いのか?
だったら…お前を抱く意味など無いのかも知れないな。俺は、お前の心まで欲しい…そう思ってしまった。
だからもう…お前とやるためだけに、お前を抱きたくはないんだ。ダッセーよな、俺も…】


そして週末…終業式の日が来た。式の後、幾つかあった提出物が返却され、一人一人に通知表が手渡される。
その時担任が村澤の顔を見て、しごく満足そうに笑いながら言った。
「流石だな、村澤。この調子で来学期も頑張れよ」
通知表の中を開くと…教科ごとの点数と順位、それと総合順位。
中間と併せるので、教科によっては三位のものもあったが、総合では二位。予想通りのその結果に、
【まぁ、こんなもんか】 村澤は、自分なりに納得していた。

「それじゃ、明日から休みに入るが、休み中羽目を外して事故にあったり、体調を崩したりする事がないように。
皆それぞれ気をつけて、新学期には全員元気で顔を揃えられるように、良いな」
担任の、決まった台詞を最後に、今学期は終了した。
だが、今日まで部活のある村澤は、既に帰り支度をしている三里の側に近付くと、

「三里、どうだった? って、聞くのも意味ねぇか」
と声をかける。すると三里が、バッグから取り出したバーバリーのマフラーを手に、
「ん? まぁ、いつもと同じだけど……。現国がね、少し悪かったかな」 少しだけ、はにかんだように笑う。
多分、村澤に首位を譲り渡した例の白紙回答、そのせいで平均点が半分になったのだろう。
だからと言って、村澤は特にそれを意識した様子も見せず、

「あぁ、小論文か。お前でもああいう事があるだな。けど、それが解って良かったじゃねぇか。
完璧な人間なんて、くそつまんねぇだけだ。どっかが欠けているから面白いし、身近に思える。そうだろう?」
明るく言う村澤の言葉は、慰めというよりむしろ真実。三里にはそんなふうに聞こえた。
だから三里も、さりげなく次への一歩を踏み出す。

「そうだね。それで、君は今日も部活なの?」
「おぅ! 今日で最後だからな。早上がりだって言うから、多分3時には終わるだろう」
「そう。僕は、今期の生徒会活動の報告を済ませたら、それで終わりだから、先に帰っちゃうけど。
君は、何時ごろ来られる?」
「そうだな……。一度家に帰って、それから行く事になるから…。5時でどうだ?」
「5時じゃ忙しいだろう? 6時でいいよ」
「別に忙しくはないけど。それじゃ、6時にはお前んちに着くように行くよ」
村澤の答えで、三里は自分の踏み出した足が確実に地面を踏んだような気がした。

「解った。それじゃ、今学期最後の部活頑張って」
三里はそう言うと、さり気ない態度で、その意味も、心も隠して、さり気なく別れる。
そして、さり気なく迎えて、さり気なく事を済ます……。大丈夫、出来るから。
その為に、自分の心を隠せば良い、押し殺せば良い、閉じ込めれば良い。三里は自分に言い聞かせる。

いつの頃からか。気が付くと、周りの人と深く関わるのを避けるようになっていた。
その訳は…問い返すまでもなく、自分には判っている事だった。
あの日、三里を連れて行こうとしたものは、生きながらえた三里に、罰として一番残酷なものを突きつけた。
生まれて初めて……たった一度だけ感じた兄の悪意。
優しくて大好きだった兄の、心の奥底にあった、小さな、小さな悪意。それが、三里の心に突き刺さって消えない。

自分は、兄に憎まれている。そう思った時、大好きだった兄は遠くに行ってしまった。
それ以来、人の悪意が身体に突き刺さるようになった。
ちりちりと焼け付くように、或いは針に刺されるような痛みとして。そして知った。
人は少なからず、妬みや憎悪を心に抱えているものだと。表面上は笑っていても、その奥には……。
それらが三里に突き刺さった。なのに、村澤だと、安心し、穏やかでいられた。

なぜなのだろう。いつも考え、そして行き着いた答え。村澤には、三里に向けられる悪意がない。
村澤の傍に居ると、他の人間の悪意までも浄化するように、三里を包み守ってくれるような気がした。
だから、三里は戸惑い、解らなくなり、不安になった。
いっそ、他の皆と同じだったら……自分はこんなに村澤に惹かれなかったのだろう。
村澤の側にと、望みはしなかったのに。

「辛いよ……」
はらはらと零れる涙は、三里の心が流す真っ赤な血のようにも思えた。



  ―歩み―

部活が終わり、家に帰る足取りが重い。普通なら嬉しいはずの三里の誘いも、
今は、そう簡単には喜べないものがあって、村澤は重い気持ちで玄関のドアを開けた。そして、
「ただいま」
やはり、力なく声をかけ……。あれ? 玄関に揃えてある二足の靴に目が行く。
すると村澤の声を聞きつけたのか、ばたばたとリビングから出てきたのは、両親と一緒に暮らしている弟の慎吾。

その弟が、村澤の顔を見ると嬉しそうな笑顔を浮かべ、
「兄さん、お帰り。遅かったね、最後まで部活なんだって?」そう言いながら、村澤の持っているバッグに手を伸ばした。
そしてそのカバンを、村澤の手から奪い取るように受け取ると、それをしっかりと胸に抱く。
その仕草は、まるで、帰ってきた兄が何処へも行けないように……そんなふうにも見えて、
村澤は苦笑いを浮かべながら、並べてある女性用の靴を見下ろして、
「なんだ、来ていたのか。 で?お袋も来てんの?」
少しだけ声を潜めて聞くと、弟も村澤に合わせるように声を潜めて、

「うん、僕は昨日が終業式だったから、本当は昨日のうちに来たかったんだけどさ、
母さんも一緒に来るって言うから。でも、母さんは明日の朝には帰るって言っていたよ」 と言った。その言葉に、
「泊まるのかよ! 別に用もないんだから、さっさと帰りゃ良いのに」
ぶつくさと文句を言いながら、リビングに向かう村澤の後から、更に弟の言葉が追いかける。

「僕は、休み中こっちに居ることにしたから。よろしくね、兄さん」
「え〜っ! なんでだよ。お前、冬季講習あるんだろう? お袋と一緒に、さっさと帰れよ」
振り向きざま言った声が思わず大きくなり、リビングのドアが開くと母親が姿を見せた。

「お帰りなさい。そんな所で大声を出していないで、二人とも早く中にお入りなさい」
「あ、あぁ、 ただいま」 久しぶりに見る母の顔にそう言うと、それから中にいる祖母に向かって、
「ばぁちゃん、ただいま。 俺、これから出かけるから、夕飯は要らない。
それと、今夜は友達の家に泊まるからさ。戸締り早くして良いから」
それだけ言って、自分の部屋に戻ろうとすると、母親の手が伸びてきて村澤の腕を掴んだ。

「何を言っているの? たった今、帰ってきたばかりじゃないの。
それに、お母さんも慎吾も来ているというのに、出かけるだなんて。
馬鹿なことを言っていないで、ちょっと中に入りなさい」 そう言いながら母親が引こうとした手を払うと、
「慎吾、バッグよこせ」村澤が言うと、弟は渋々の様子で胸に抱えていたカバンを村澤に渡す。
村澤は、その中から成績表を取り出し、それを母親の手に渡した。

「これ、成績表。文武に比べたら、どうって事ない学校だと思うだろうけど、一応学年で二番だった。
因みに一番の奴は、これから行く友達。そいつの家で、生徒会の打ち合わせがあるから、行かなくちゃならないんだ」
成績上位とか生徒会とか、そんな言葉に弱い?母親を騙す訳ではないが、嘘を交えて言う。
それに……母親が、今更自分の成績に興味があるとは思えなかった。
それでも、母親の目的はその成績表だと分かっていたから、それを渡してその場を逃れようとした。
そんな村澤に、

「憲吾! そういう事じゃ」
「兄さん! 僕は帰らないからね!」 
母親と弟の声が背中から追いかけ、村澤はそれに振り向きもせず自分の部屋に入ると、制服を脱ぎ着替える。
そして、クローゼットの中からバッグを引っ張り出すと、それに下着やシャツを詰め込み、
ゲームのソフトを何枚か押し込む。それから、机の引き出しをあけると、一本のチューブと小箱を手にとった。
そして、少しの間それを見つめ……意を決したようにバッグの底に押し込んだ。

バッグを肩に階段を下りると、真下に母親が立っていた。
「憲吾、お母さんは明日の朝には帰るけど、又直ぐに来ます。それまで、慎吾の事お願いね。
あの子、近頃言うことを聞いてくれなくて……だから…」 いつになく弱気とも思えるような言葉が、
母親の口を吐いて出たが、それを遮るように、村澤は母親を正面から見つめて言う。

「母さん。そんな事言われても、俺にはどうしようもないよ。最近の慎吾の様子なんて、俺には全然分からないし。
慎吾の事を、一番良く理解しているのは、母さん達のはずだろう?
それに……あいつを、俺と一緒に置いちゃ不味いんじゃないの? 俺みたいになったら不味いだろう?
だから、明日の朝母さんが帰る時に、あいつも連れて帰った方が良いよ。じゃ、俺行くからさ」
村澤はそう言うと、自分の肩ほどしかない母親の側をすり抜け、玄関に座り靴を履く。
「………。憲吾、あなた……」
母親はそれっきり言葉を続けることも無く、そしてその声は酷くしわがれて聞こえた。

村澤は外に出ると、急いで駅に向かいながら母の言葉を振り返る。
【今更、弟をお願いと言われても、俺はもう、俺だけの大切な者を見付けたと言うのに。
今の俺は、あいつの事だけで一杯だし、あいつだけで充分なんだ。それなのに今更……】

弟の慎吾は、村澤と二つ違いで少し生意気なところもあったが、それはそれで可愛いと思っていた。
何より兄の村澤によくなついていた。「僕の目標は兄さんなんだ」 そう言われて可愛くないはずがない。
退学事件があった時、母親は、
「みっともない、何という事をしてくれたの」と言い。父親は……。
「お前には失望したよ」 そう言って背中を向けた。そんな家族の中で、弟だけが、
「兄さんは悪くないよ!」 泣きながら村澤を庇い、村澤に対する態度も変える事がなかった。

だから両親は、弟への影響を考えて村澤を祖父母に預けた。
だが村澤は、その事を恨んだり悲しんだりした覚えもなかった。何しろ、自分の童貞で頭が一杯だったから。
それに、元々年寄りっ子だった村澤にとって、又祖父母と暮らせるという事は嬉しいことで、
悲観する理由にはならなかった。それに、弟がしょっちゅう電話を掛けてきては、両親の事、友達の事を話し。
そして…「兄さんが居なくてつまらないよ」 などと言うから、そんな弟が可愛いと思う反面、
少しだけ、こいつウザイ。なに、可愛い子ぶっているんだ。等と思ったりもした。

それでも、親は親で、兄弟は兄弟で。親は大事だし、やはり弟は可愛い
だが今は……それより大切なものが出来た。 だから、ごめん…母さん。慎吾、ごめんな。
振り返ることも無く、村澤はただ前を見つめて歩み始める。
その先には、自分の見つけた人と歩む未来がある。そう信じて。

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