代わるもの


こうなってくるともうホラーか超常現象の世界だな…などと思いながらも、村澤は兄の話に思わず問い返す。
「それじゃ…三里には、その変なものが付きまとっていたって事ですか?」
「解らない…そうかも知れないし、気のせいなのかも知れない。
でも、三里は…ずっとそれに、捕われたままだったのかも知れない」 と、兄は何の違和感もなさそうに答える。
体験した本人が言うのだからそうなのかも知れないが、それなら三里には逃れる術がないと言う事になるのでは。
いつまでも、悪夢を引きずって行くなんて、可哀想過ぎる。 どうすれば三里を開放してやれるのだろう…。
村澤がそんな事を考えていると、

「でも…もしはっきり覚えているのなら、三里君にとっては辛い記憶だよな。自分から落ちたようなものだろう?
その為に大好きな兄貴が…そう思ったら、どんなに辛かったか、可哀想に。
本当の事は分からないけど、三里君の心の中にはその得体の知れないものが、ずっと住みついていて、
今でも三里君を苦しめているのだとしたら…。 悠斗さん、はっきり言ってやった方が良いんじゃないかな。
何だかわからない、得体の知れないものに、大切な弟を奪われたくないから、
どんな事をしても、弟を取り戻したかったんだって。

それに、足は三里君と引き換えじゃないから、代わりの足はもう見つけたって。
俺と一緒に生きていくことに決めたから、三里君はもうお払い箱だって。 そう言ってやりなよ、悠斗さん。
俺も…絶対兄さんを幸せにするって…三里君にちゃんと約束するからさ」
青年は、三里の兄の肩を揺するようにして言う。 その言葉と声は、揺らぐ事のない愛情と信念に溢れていて、
この人だから、三里の兄さんも安心して側にいられるのだ。そして、兄の幸せ…それが三里を開放する鍵。
村澤はそう思った。

「…ありがとう。 それで三里が僕を許してくれるなら。
でも…・どうして今まで、三里の心の悲鳴に気づいてやれなかったのだろう。 よく考えれば分かったものを。
三里は、いつも僕の傍に居て…あんなに勉強も出来るのに、近くの高校に決めたのだって、
僕の為だと分かっていたのに…。 友達と遊ぶこともなく、三里の時間は全部僕の為に費やして、
僕がベッドに入ってから、やっと机に向かう三里を見ていたはずなのに。

僕は…気づかない振りをして、三里を縛り付けていたのかも知れない。
心のどこかで、それが当然だ…と、思っていたのだとしたら。 やはり…三里の聞いた僕の言葉は、
僕の心の奥底にあった悪意だったのかも知れない。 
三里から笑顔を奪ってしまったのは、本当は僕だったのかも知れない」
三里の兄は、そう言うと両手で顔を覆って、肩を震わせて泣いた。

真実は判らない…。 それでも、この兄弟は事故を境に、お互いを思う歯車が狂ってしまったのかもしれない。
村澤はそんな気がして…ただ黙って青年に縋るように無く兄から、窓の外へ視線を移した。
短くなった陽は傾き、西の空は赤く東の空から夜が這い出てくる。その様子を窓辺に立って眺めていた村澤に、
少し疲れたと言った三里の兄を、ベッドに運んで戻ってきた青年が、しんみりとした声で話しかけた。

「村澤君、ありがとう。君のおかげで悠斗さんも、やっと決心してくれたみたいだ」
「いえ、別に俺は何も…」 そう言うと村澤は窓から離れ、青年と向き合うように椅子に腰を下ろす。
「君は凄いな…。あの三里君の気持ちを動かすなんてさ。
あ、自己紹介がまだだったな、俺は坂入洋史。悠斗さんの高校での後輩なんだ。
生徒会会長をしていた悠斗さんに、ずっと憧れていた可愛い後輩ってわけだ。

その俺が、事故の後あの人を見たとき、あの人を可哀想だと思った。あんなに綺麗で、優しくて優秀な人が、
歩けなくなったなんて…。その上、大学も辞めなくちゃならないなんて、本当に気の毒だと…同情したんだ。

でもあの人は…高校の時と変わらない笑顔で俺に言ったんだ。
僕がこれから生きていく道が、今までより不幸だとは思ってないよ。
真っ直ぐに俺を見て、穏やかな声でそう言ったんだ。その時俺は、自分が恥ずかしい気がした。
自分が精一杯努力もしてないくせに、人を見下ろしているような自分が、醜く小さく思えて…
それから、あの人に付きまとった。 なんでかな、あの人の側にいてあの人のようになりたい…そう思ったんだ。
でも…気づいたら、いつの間にかあの人を好きになっていた。

好きだから一緒にいたい、あの人を守って一生側で生きていきたいと思った。
その事をあの人に言ったら、あの人は困ったような顔をして、それから「僕は男だよ…」と言った。
それでも好きなことには変わりなくて…どうしても、あの人が欲しくて。
あの人は、そんな俺に向かって「僕は男だけれど、健康だったら君と愛し合えるかもしれない。
でも、今の僕には…それも出来ない。それがとても辛い」 そう言って涙を流した。

あの人を泣かせてまで…そう思って諦めようとした。でも無理だった…。
たとえ触れられなくて、もあの人の側に…と思った。 だから、介護の専門家になろうと思った。
俺の頭では、医者は無理だからさ…せめて、あの人の世話だけでも…そう思ったんだ。
最初は、それも拒んでいたあの人が、徐々に俺の気持ちを解ってくれて、少しずつでも、触れ合えるようになって。
あの人が、初めて俺の手で射精できた時…嬉しくて涙が出た。

もう絶対離さない…そう決心して、あの人にプロポーズした俺に、あの人は泣き笑いのような笑顔で頷くと、
「君が僕に飽きるまで、君と共に生きるよ」そう言ったんだ。素直に、死ぬまで一緒に…って言えば良いのにさ。
先輩だからって、可愛くないだろう? でも、俺は飽きるなんて事ないから、一生って事なんだ」
青年は目を潤ませて話し続け、村澤はやはり黙ったまま青年の話を聞いていた。

「そんな悠斗さんが、三里くんの事だけは心から心配していた。だから、三里くんが理解してくれたら、
一緒に暮らし始めよう…そう言っていたんだ。大体の話は聞いていたからさ。それが一番良い。
そう思って、俺も納得していたんだけど…なかなか、打ち明ける様子がなくて…正直心配になっていたんだ。

三里くんには、何度か会った事があるけど、悠斗さんに似てえらい美人なので吃驚したよ。
ちょっと表情の乏しい子だとは思ったけど、そういう経緯があったとは聞いていなかったからさ。
悠斗さんも、弟の事になると、ちょっと話すのを躊躇うような感じがあって…俺も、無理に聞こうとはしなかった。
あの兄弟は、普通より強い絆で結ばれているんだろうけど、それが上手く回ってないみたいで、
でも原因も判らないから、どうしようもなくて。だから、君の三里君に対する気持ちを知りたかったんだ。

生半可な気持ちじゃ、同性同士の恋愛なんて貫けないからさ。
三里くんは、恋人の弟だから…いい加減な奴には…そう思ったけど、君が本気だって解って安心した。
それに君のおかげで、俺達の問題もどうにか解決できそうで、ほんとに感謝している。ありがとう」
坂入弘也はそう言うと、村澤に深々と頭を下げた。

 

  未来

三里と兄が、これからどんな事を話し、どういう結果になるのか想像も付かない。
それに、その事に関して三里が村澤に何かを言ってくるとも思えなかった。だが村澤は、それでも良いと思っていた。
三里が少しでも軽くなれれば、自由になれれば…良い。それだけだった。
何があろうと、どんな事があろうと、時間は全てを包み込んで流れていく。
だから、その先に…三里の笑った顔があれば、それだけで良いと思った。

俺って結構健気かも…なんて思いながら、悠長にそんな事を言っている場合じゃない事に気付く。
なぜなら…期末試験が、もう目と鼻の前に迫っていた。

う〜 もう一週間も無いじゃないか。万年二位を決意したものの、やはり三里を追い抜くつもりで勉強しないと、
不動の二位定着は、結構難しい事も解っていた。
よっしゃー! 頑張るか!!自分で自分に声をかけ、村澤は寝転んでいたベッドから飛び降りると、
綺麗に片付いたままの机に向かって座った。


12月に入ると、周りが急に慌ただしくなる。街はいつも以上に煌びやかに灯りを灯し、行き交う人の顔も様々。
三里は、そんな年の瀬の雰囲気が好きではなかった。
三里の父は、3年前から単身赴任で、関西に行っており連休以外は帰って来ない。
そして母は、1年前に祖母が倒れてから、介護の為実家に通い始めた。

祖母の様子によっては、実家に泊まることもあったりして、家には、三里と兄の二人だけの時が多くなっていた。
その為、自然と簡単な家事などは 三里がするようになり…三里の時間は、ますます少なくなって、
机に向かうのは、いつも深夜から明け方。今回は、抜かれるだろうな…。その時僕は、自分を保てるのだろうか。
身体なんか、好きなようにされたって構わない。でも、心は…。

変わらないと信じていたから、あんな事も言えたのに、今の僕は…あいつに触れられたら…。
先にあるのは、今より苦しい未来。誰も居ない静まり返った家の中で、三里はじっと座ったまま、
いつまでも、電源の入っていないテレビの画面を見続けていた。

生徒会室は三里にとって、唯一自分の時間を取り戻せる場所。
鍵は、会長の三里が管理保管していたから、自由に出入りができた。
昼休み時間、誰も居ないこの場所は、誰の匂いも気配もなく、それなのに、皆の匂いと気配に満ちている。
遠くに聞こえるBGMのようなざわめき…その雑多な静寂の中が、
家に居る時より落ち着くと思うようになったのは、いつ頃からだろう…何となくそんな事を思う。

昼食も、此処に来て食べる事の多かった三里にとって、言わば、此処は自分の城のようなもの…なのだが。
最近それが犯され始めていた。目の前にいる、こいつに…。最初は、昼のチャイムが鳴ると、
空かさず三里の側によってくる村澤が鬱陶しく、適当にあしらっては、此処に逃げ込んだ。
だが村澤は…三里の姿が見えないと、なぜか探す。探して…とうとう此処までたどり着き、今では二人の城?状態。

どこか他を探そうかな、こいつに知られてない処…そんな事を思ったりもしたが。
そんな考えも、目の前でおにぎりをパクついている村澤を見ていると、ついその食欲に見いってしまい、
何となく、頭に浮かんだ逃避意識が薄れてしまうのも事実で。
今日も、美味そうにおにぎりを食べている村澤を見て、三里はふと思った。

そう言えば、こいつの昼飯っていつもおにぎりとパンだな。
おかずは…から揚げだったり卵焼きだったりするけど…白ご飯って見たこと無いかも。
だから、思わず聞いてしまった。
「ねぇ、君ってさぁ…おにぎりが好きなの?」
「あ〜? うん、何処でも何時でも、箸が無くても食えるから便利だろう?」
はぁ〜 そう言う事ね…聞いた事を後悔し思わず脱力する三里に村澤は、
「三里、今回は俺も気合入れて勉強するからな、お前も油断していると抜かれるぞ」
やけに張り切った顔で宣戦布告してきた。期末試験か…心の揺れが物憂い…三里はそれを隠して答える。

「そう…じゃ、僕も覚悟を決めないといけないね。言っておくけど、その辺のラブホなんて云うのは嫌だからね。
ちゃんとしたホテルの予約入れておいてよ。 後は…あ!ディナーも宜しく」
しゃーしゃーとしてそんな事を言う三里に、村澤は目を丸くして、
「えっ? なに、お前。もしかして投げてんの?」意外にもその声は不満げで、三里はハッとして村澤の顔を見た。
「バ〜カ、あり得ない事だから言えるんじゃないか。冗談…冗談に決まっているだろう。
全く、お馬鹿はこれだから困るね」心の揺れを隠して答えると、村澤はそれでも半信半疑な表情のまま

「そりゃ、お前とやる時は最高の演出をするつもりだけどさ」などと言う。その言葉に。
やるねぇ〜 そうか、僕は君に犯られるのか…。それならそれでも良いけど…でも、気分の問題もあるからな。
「あのさぁ〜 その、やるって言葉…どうにかなんないの?なんか無理やり犯されるみたいで嫌だな。
強姦するわけじゃないんだからさ」三里が言うと、村澤は…少し考える様子を見せ。

「……じゃ、お前と…いや、お前を抱く…これでどうだ?」 どや顔で言った。
「……それも、キモイ…嫌だ…」
「じゃ、なんて言えば良いんだよ!あれも嫌、これも嫌…ほんと我が侭 な。
まぁ、俺は、そんなお前も可愛いと思うから、良いけど…」途端に三里の顔が、泣きそうに歪んだ。
「…三里?…」
「僕は男だから…可愛いなんて言うな!」
「…・ゴメン…。お前がそんなに嫌なら二度と言わない…悪かったよ」
村澤が殊勝な顔で三里に謝り…それが益々三里を追い詰める。

違う…違う…そうじゃない。言葉が嫌なんじゃない…君が言うから。君の言った言葉は、僕を弱くする。
どんどん弱くなった僕は、自分の足で立っていられなくなる。だから…何も言わないで…聞かないで…。
三里は返事をすることも無く、視線を窓の外に向けた。
目に映るのは、冬晴れの真っ青な空にむかって、精一杯手を広げた桜の小枝。
乾いた風の中で、数枚の葉が枝にしがみつくようにして震えていた。

三里が、最近不安定なのは村澤の目にも良く判った。やはり、俺が原因なのか?
あんな顔させるなんて…そんなつもりじゃ無いのに。外の奴らと一緒だと、そうでもないのに、
俺と一緒の時の三里は酷く危うい。どうすんかな…いまはもう、退くには半端ない覚悟がいるし…退きたくない。
万年二位じゃ、約束は何時までも、約束のままで実行されないし、今の三里がそれ抜きで、
俺のものになるなんて考えられない。だったら無理やり…力づくだったら、俺のほうがでかいし力だって。
けど…そんなことしたら二度と…。そんな考えが頭の中で渦を巻き眩暈までしそうな気がして。

ああああーーーーっ、もう、わっかんねぇ〜! は〜ぁ、ホモもしんどいな。村澤は大きなため息を吐いた。


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