13.蒼天のオリオン

動きはじめる未来


既に探す人もいなくなった海原。それでも緒方は、週末になると海に出た。
それは蓮見を探すと言うよりも、波間に漂う蓮見の面影に会いに来る……そんな感じだった。
そんな緒方の為に石田の父親は自ら舵をとって船を出してくれ。天候が悪く船が出せない日は荒れる海を眺めて過ごした。
そして今日も埠頭に立って海を見つめていた緒方に、石田の父親が複雑な表情で重そうに口を開いた。
「緒方さんよ。まぁ、立ち入った事を聞いて申し訳ないが、あんたは遭難した人とはどういう関係だったんだね。
惚れていなすったのかい?」
その問いかけに緒方は小さな笑みを浮かべ、それでもはっきりと答えた。

「ほんと、立ち入った質問ですね。でも、親父さんには隠す必要も無いから正直に言います。俺はあの人に惚れていました。
もっと早く、その事を伝えておけば良かった。今は心底そう思っています。
ただ……それを言ったからといって事態が変わっていたかと言えば、それは判りませんが、
少なくとも、俺の中にある後悔の気持ちだけは、消えていたかも知れません」
「そうかい、やっぱりな。けど…って事は、あいつもあんたの気持ちを知っていたって事か。
そうか……つくづく好いた奴とは縁が無いように出来ているんだな…あいつも。それで、あいつとは寝たのかい?」
石田の父親の言うあいつとは、石田の事だと判っていたが、いきなり寝たのか…と聞かれても、
事実など告げられるわけも無く。流石に返事に困り、緒方はそれとなく否定するような言葉を探した。

「え、いや……石田君とはそう言う関係じゃ」
だが、曖昧な誤魔化しが通用する筈も無く、石田の父親は視線を緒方から水平線に向けると海に語るように言った。
「いいさ、別に俺に遠慮することは無い。岬を見てりゃ解る事だからな。自分じゃ隠しているつもりらしいが、
あいつのあんたを見る目は只の友人を見る目じゃねぇ。あんたを、連れて此処に来た時直ぐに判ったさ」
そこまで言われると、白々しく隠すのはかえって不実なようなもしてきた。だから、
「すみません……一度だけ。俺は自分が辛い時、あいつに逃げようとしました。その時言われたんです。
自分だけを見て、自分だけを愛してくれるのか……って。それに対して俺は、そうだ……って言えなかった。

そんな俺にあいつは、それが出来ないなら、遊びの方がましだって言いました。
正直、思いっきり頭を張り倒されたような気がしました。あいつに、そんな事を言わせた自分が情けなくて、不甲斐なくて。
けど俺は、遊びであいつと付き合えるほど腐りたくないと思いました。
だから、以前の付き合いに戻る事にしました。それがあいつを傷つけている事も、勝手な言い分だという事も判っています。
それでも俺は、あいつを友人として大切にしたい。それが本当の気持ちです」
緒方はそう言うと、石田の父親に向かって頭を下げた。

「……。ほんとに勝手な話だよな。
けど、あんたと岬が二人で決めた事だ。俺がとやかく言う事ではねぇし、あいつも言われたくはないだろう。
俺は、岬がまだ高校生だった頃あいつから大事なものを奪っちまったからな。
そのせいで、岬はこの家を出て行ってしまった。あいつとは二度と親子に戻れない。そう思って諦めていた」
苦渋を嘗めるような表情で焼きつく喉から吐き出す声は、石田の父親が秘めた苦悩の表れのようにも見え。
同時に、いつも親身になって手助けをしてくれながらも、石田に対し時に微妙に表情を揺らす従兄弟の顔が浮かんだ。
「哲さん……ですか」
「まぁな、叔父甥でそういう関係になっちまった俺は、犬畜生だよ。
岬は小さい頃から従兄弟の哲を、本当の兄貴のように頼りにし、慕っていた。おそらく……惚れていたんだろう。
それなのに俺は、その哲を自分の情人にしちまった」

「でもそれは……哲さんも望んだ事じゃなかったんですか。あの人を見ていると良く判ります。
石田君の事は可愛い弟のようにしか思えないのに、親父さんには叔父さんという以上の感情を持っている。
人が人を好きになるのに理屈など関係ないし……自分でもどうしようもない事だと思います」
言いながら、緒方は自分の蓮見に対する想いと重ね合わせていた。
それは、同性でありながら異性に対する感情と同じで。肌を重ね、温もりを確かめ、愛し合いたいと願う。
理性ではどうにもならない……それでも何処かに後ろめたさも残る背徳の愛情。

「そうだな。女を抱くより男のあいつを抱く方が良いなんてよ。女より健気なあいつが可愛くて……愛しい。
そう思っちまった。それが岬にばれて、俺にも哲にも一言も口を聞かなくなった。
大学が決まって高校を卒業すると、岬は 「此処を出て行く」 一言言い、それに付け足した。
「たとえあんたが死んでも……親だとは思わない」 ってな。けど、あんたのお陰であいつが帰ってきてくれた。
その上、また親父って呼んでくれたんだ。だから……あんたには感謝しているよ」
石田の父親はそう言うと、節くれだった手で鼻の辺りを一擦りしてから首を折るようにして緒方に頭を下げた。
本当なら、息子を傷物にしておきながら責任も取れない若造など、張り倒してやりたいというのが本音なのだろう。
それなのに、自分の醜聞まで晒し頭を下げる父親。その愛情の深さと心痛を思うと、
緒方もまた、自分の身勝手さを恥じ入り下げた頭を上げる事が出来なかった。



人の想いとは裏腹に時は容赦なく過ぎていき、木々が色濃く葉を茂らせ、花が今を盛りと咲き乱れる頃になっても、
蓮見の行方は杳として知れず、確かな手掛かりと言えるものは何一つ耳に入って来なかった。
それでも緒方は、あの日から時間が止まったかのように、週末には此処に来て空と海を眺める日々を繰り返す。
そんな緒方に付き合うように石田が週末は実家に帰るようになり……そして片岡までもが毎週のように訪れて、
周りの噂に耳を傾け、彼方此方と脚を運び……夜には酒を酌み交わしたりした。
そんな事を繰り返しているうちに、緒方はふと、石田を見つめる片岡の目がとても優しげなのに気付いた。
もしかしたら、片岡は石田に特別の感情を持っているのでは……そんな気がして、石田に視線を払うと。
何の事は無い、石田も片岡に対し何処と無く気がかりな様子を見せて……互いの気持ちが寄り添ってきている。
そんなふうに思えた。

だが石田の父親は、それが殊の外気に入らないようで、今日も埠頭に立っている緒方に近付くと横に並び。
「海の色もすっかり変わったな。もうすぐ春も終わるって事だ」 言いながら、日差しを避けるように手をかざした。
「そうですね、いつの間にか南風に変っていたんですね。それで親父さんが此処に居るって事は、石田君は……」
遥か水平線に向けた目をそのまま、緒方が僅かに笑みを含んだ声で言うと、
石田の父親も同じように前を見つめたまま……なのに、緒方とは逆のむっすりとした声で言った。
「まぁな……昨日からこっちに来ているからな」
「そうですか。あの人も諦めていないって事なんですね」
「さぁ、どうだかな。案外、岬に会いに来ているだけかも知れないぞ」
それは、半分冗談のようでもあり、半分は緒方の気持ちを確かめているようにも聞こえた。

「まぁそれだけじゃないでしょうけど……でも、それならそれで良かったのかも知れませんね」
そんな緒方の返事が気に入らなかったのか、石田の父親は、今度ははっきりとした言葉で緒方に問いかけた。
「あんたはそれで良いのかい?」
「俺は、石田君が幸せならそれで良いと思っています。片岡さんは横柄そうに見えますが、案外いい人ですよ。
それに何より、石田君を本当に大切に思っていますから……きっと幸せにしてくれますよ」
それは紛れも無く緒方の正直な気持ちだった。だからそれを肯定するように、石田の父親に向かって大きく頷いてみせると。
「そうかい。けど俺は、岬が本気であの野郎に惚れているとは思えないんだが。
それなのにあのバカは、あの野郎と居て楽しそうにしていやがる……全くとんだ尻軽だよな、あいつも」
石田の父親はそんな事を言い出し。それが緒方に対する幾らかの言い訳なのか。
それともただ単に、片岡と石田が親しげなのが気に入らないのか。どちらにしても、緒方はそれが少しだけ可笑しく思えた。

「石田君はそんな奴じゃありませんよ。多分、片岡さんに対し本当に好意を持っているんだと思います。
もしかしたら新しい何かを見つけ、歩き始めようとしているのかも知れない。俺は、そう思っていますよ」
笑いながら言うと、父親は何処かホッとしたような表情をし……それから、緒方の気持ちを探るように聞いた。
「あんたは……いつになったら歩き始めるんだい?」
「俺は、いつもあの人と一緒の道を歩いていますよ。多分これからもずっと……」
自分でも意外なほどすんなり出た言葉と穏やかな口調で答える緒方に、石田の父親は。
「そうかい、あんたがそう言うなら良いけどよ」
そう言うと緒方の心意を計っているかのように少しの間沈黙した。それから、ふと何かを思い出したように、

「そう言えば、十日ほど前親戚で祝い事があったんだけどよ。その時ちょっと気になる話を小耳にしたんだ。
俺の昔の知り合いの漁師が……と言っても隣漁港の、もう大分年の爺さんなんだけどな。
その爺さんが、最近見慣れない若い兄ちゃんと一緒にいるのを、何度か見かけたって言うんだ」
と言うと、窺うように緒方の顔を見た。だが、これまで何度もそんな情報に足を運んでは、泣きたい思いで帰ってきた。
だから、その時の事を思い出し……今回もその類では。そんな気持ちも何処かにあり。
そのせいもあってか、緒方の返事は無意識ながらもそっけないものになった。
「はぁ、それがどうかしたんですか。大方息子さんか孫じゃないんですか」
それなのに石田の父親は、その話が余程気になるのか、幾分慰めとも思える言葉を添えて話を続けた。

「まぁ、今までの徒労を思うと今回も当てにはならないかも知れないが……ただ気になったのは、
確かあの爺さんの倅はとっくに死んでいるはず……って事なんだ。だから、孫がいるなんて話も一度も聞いた事が無い。
一人息子が死んでからは呑んだくれのアル中状態になり、身体を壊しちまって漁にも出られなくなってしまった。
暫く病院に入っていたって話だったが、退院してからは町のほうに脚を向けることも無くなっていたらしい。
ひょっとしたら、死んだんじゃねぇか……っていう奴もいたくらいだからよ。
それが最近になって、時々町で見かけるようになって。それもえらく別嬪の兄ちゃんと一緒だっていうからよ。
一体どんな奇蹟だ……と、皆で噂をしていたのが、回りまわって俺の耳にも届いたって訳だ」

そこまで言うと、石田の父親は緒方の反応を見るかのように、じっと緒方の顔を見つめた。
気力を取り戻した漁師の爺さんと、突然現れた息子とも孫とも違う若者。もしそれが事実なら……そう考えると、
緒方の中で微かな不安のようなものが頭を擡げる。だからと言って、それが蓮見と結びつくと思うのは早計な気もして。
「まさか親父さんは、その若者が課長だって言うんじゃないでしょうね。そんな事有り得ないですよ。
仮にそうだとしら、あれほど大規模に捜索をしていたのに、どうしてその老人と課長は、知らん振りをしていたんですか。
ニュースにもなっていたし、漁協にも頼んであったというのに……絶対可笑しいですよ」
緒方が言うと、石田の父親もそのあたりが不可解に思えたのか、意外と簡単に自分の気がかりを撤回した。

「まぁそう言われると、それもそうだな。やはり噂は当てにはならないって事か。ああ、そうか……思い出した。
そう言えばその兄ちゃん、目が青かったって話だからな。やっぱり課長さんとは関係なかったみてぇだ」
だが石田の父親が最後に言った言葉は、不安どころか緒方の心臓を大きく打ち鳴らし……息さえ止めてしまう。
そして頭の中に浮かんだのは蒼天の瞳。目の青い外国人などいくらでも何処にでもいる。
緒方は自分にそう言い聞かせながら……それでもなぜか、その青い目の人物が気になってしようがなくて。
「目が青い……。それでその人は、外国人だったんですか」 恐る恐るの態で聞いた。
「いや、外国人なら外国人と言うだろうから日本人じゃねぇかな。ただ、どういうわけか目だけが真っ青だって言っていたな。
綺麗な空の色みてぇな目だったと。けど考えてみりゃ、日本人が目だけ青いはずねぇよな」

答えたその声がやけに遠く聞こえ、自分の心臓の音がドクドクと鼓膜を打つ。
確かに、黒髪には黒い瞳が普通で、共に優勢遺伝。青い瞳は、金色の髪と同じ劣勢遺伝のはず。
それでも聖羅は……黒髪に、綺麗な青い瞳だった。もしかしたら、黒髪に青い瞳は特別なものなのかも知れない。
突然変異……もし、そういうものだとしたら。そんな人間が何人もいるとは思えなかった。
訳も無く手が汗ばみ、それなのに喉は乾ききってヒタヒタと貼り付き……やっとの態で言葉を絞り出し。
「そ、その人は……その漁師さんは何処に住んでいるんですか」
聞いた緒方の声は酷くしわがれて聞こえた。そして、まるで亡霊でも見たかのように見開いた目が奇怪に思えたのか、
今度は石田の父親が不安そうに聞き返した。

「え? 俺の言った事で、何か気になることでもあるのかい?」
「はい! 俺の昔の知り合いに、黒い髪に綺麗な青い目をした日本人がいるんです。
今会ったとしても、あいつかどうか判らないかも知れないけど……あの真っ青な瞳だけは、はっきりと覚えているんです。
親父さんの言ったその人物が、あいつだという可能性はほとんど無いかも知れない。
それでも……どうしても、会って確かめたいんです」
そう言った緒方の目が異様とも思える程真剣だったのと、切羽詰ったような口調に気圧されたのか、石田の父親は、
「その人は……課長さんとは関係ない人なんだろう?」 微妙な、だが幾分咎めるような口調で聞いた。
「えっ、えぇ……課長とは無関係です」
緒方は幾分後ろめたそうに答え、石田の父親の表情が複雑そうに揺れた。

「……。あんたもよ、なんだか色々あるみてぇだな。まぁ、気になるんだったら自分で確かめるのが一番だろう。
爺さんの住所なら、確か古い葉書かなんかがあったはずだから、探せば直ぐに判るさ。ただ、今はどうだか知らんが、
息子が死んだ後、家ではなく入江にある漁師小屋で寝泊まりしているって聞いたからよ。
簡単な地図を書いてやるから、そっちも行ってみると良いかも知れねぇな」
そう言うと石田の父親は何度か小さく首を振った。その仕草は、昔の知り合いの事で必死になっている緒方を、
不実な奴と呆れているようにも見え、憂いているようにも見えて……緒方は。
「有難うございます。親父さんには世話になりっ放しで、一生分の借りが出来てしまった気がします。
けどいつか、必ず……お返しします」 言いながら頭を下げた。すると石田の父親は、緒方の肩に手を置き、
「そう思ったら、早い所あんたの中に巣食っている垂冰を融かして、本当の笑い顔を見せてくれよ。
それで、借りはチャラにしてやるからさ」 そう言って、日焼けの浸みついた顔に豪胆な笑みを浮かべた。



そして石田の父親が探し出した葉書は、数年前に届いたという年賀状で、記されていた住所は、
岬を巡って更に先にある小さな漁村のはずれに位置する、海に面した所だった。
その葉書と石田の父親が書いてくれた漁師小屋への地図を手にすると、緒方は見送るという石田を止めて背中を向けた。

昨夜それとなく石田を誘い出し、父親の言った老人の話をしたら、石田は予想通り自分も一緒に行くと言い出した。
だが石田には、既に自分なんかより大切にしなければならないものがある。それを考えると、
これ以上関係の無い事で迷惑を掛ける訳にはいかないと思い、何よりこれは自分自身へのけじめだとも思っていた。
それに何となくではあったが、聖羅の事を片岡には知られたく無いような気もして……石田には一人で行くと伝えた。
すると案の定石田は、片岡は兎も角自分まで同行を拒まれる理由が判らないとばかりに、
「どうしてですか! 緒方さんの事なら僕にだって……」
詰め寄るように言った。だが緒方は、石田の気持ちを有り難いと思いながらも考えを変えるつもりは無かった。

「石田…俺はお前の事を、一番大事にしたい友人だと思っている。だからお前には、幸せになってもらいたいんだ。
俺の心配なんかする暇があったら、その分好きな奴の事を考えて……大事にしてやれよ。
あの人は、本当にお前の事を想っているし、お前を必要としている。お前だって、もう判っているんだろう? 
自分の気持ちが何処に向いているか……って事が。だったら、自分の気持ちに正直に……それが一番幸せへの近道だろう。
本当に好きな奴に想われている、必要とされている。これ以上何が欲しいんだ?」
緒方の言葉に、石田は一瞬目を見張り……それから泣きそうに顔を歪めた。

「僕は、緒方さんが好きです。ずっとずっと前から、好きだったんです。
緒方さんと一緒にいられれば、それだけで良かった。恋人とか、そういう関係じゃなくても緒方さんの側にいたかった。
僕だけを見てくれなくても、僕だけを愛してくれなくても。たとえ緒方さんが、一生他の人を想っていても、それでも良いと。
だけど、そんなのは嘘だって。本当は悲しい。寂しい。辛い。僕の中にあるそんな気持ちを、あの人は暴いてしまった。
無表情のまま……精一杯僕の事を気遣って。大丈夫……そう言いながら、一生懸命僕の心を温めてくれるんです。
あの人の手……とっても温かいんです。温かくて、少しずつこの辺りが本当に温かくなって……僕は」
石田はそう言って、拳を自分の胸にあて、それをもう片方の手で抱きしめた。

「そうか……あの人といると温かいのか。それは、おまえ自身が幸せだって事なんだよな。
俺も、課長と一緒の時はそうだった。だからお前も、その温かい気持ちとあの人を大切にすれば良い」
「それなら、僕をあの人にやるって言って下さい! 緒方さんには僕なんか必要ない……そう言ってください。
あの人に言われたんです……一生側にいてくれって。でも僕には返事が出来なかった。
好きなのに、あの人の側にいたいのに……僕の心は緒方さんのものだって、側を離れないって……決めていたから。
絶対変わらないって、自分に誓ったから……それを破ることが出来なくて……辛いんです」
今にも雫が零れ落ちそうな石田の目を見ながら、人間とは、つくづく厄介な生物だと思った。
動物のように本能だけで生きられたら、苦しむ事も後悔する事も無いのだろう。
それでもやはり人間だから、誰かを悲しませ、苦しませ、自分に枷をかけ後悔を残しながら生きている。
だが新しい未来、幸せな未来があれば……悲しみも後悔もいつかは昇華され糧になる。
だからせめて、石田だけは後悔の坩堝に嵌らないように……今が背中を押す時かも知れない。緒方はそう思った。

「……。ホント、バカだなお前は。お前の心はお前のものだろう。俺のものでも、片岡さんのものでもないだろうに。
お前はお前の心が望む処に行けば良いんだよ。決して後悔しない為にもさ。自分に正直に、心のままに紡いだ未来は、
何があっても後悔する事は無いと……俺は思う。お前は本当にしっかりしているのに、なんでこんな事で悩むんだ? 
つまらない事を考えるより先に、あいつの懐に飛び込めよ。それでも……どうしても言って欲しいなら言ってやるよ。
石田、あいつと幸せになれ。お前を、片岡にくれてやる。たとえ誰の側に居ようと、お前は俺の大切な友人だからな」
「緒方さん……僕の好きだった人が緒方さんで良かった。これからも、僕の大切な友人として、時々呑みに誘って下さい」
そう言って笑う石田の涙に濡れた笑顔は、あの蒼天の瞳と同じように輝いて見えた。


海に沿って車で一時間以上走った町で、何度か人に尋ねながら行き着いた住所の家には、人の住んでいる気配は無く。
其れなら……と、石田の父親が書いてくれた地図を頼りに、国道から逸れた細い道を下って行くと、
そこだけ陸が削り取られて、海岸線から取り残されてしまったかのような小さな入り江に辿り着いた。
そして其処に見えてきたのは、古い小屋のような小さな家だった。おそらく石田の父親が言っていた漁師小屋なのだろう。
それを間近に見た緒方は、逸る気持ちを押しとどめるように足を止め、大きく息を吸い込んだ。
潮の香りが肺を満たし、微かな波の音が耳に奏でる。そして吹き抜ける柔らかな風が緒方の背を押す。
この先に何があっても。其処にいるのが見知らぬ人であっても、自分が望んだ結果なら後悔はしない。
過去の後悔が消える事は無くとも、確実に一歩先に進める。
だから、どうしても一目その青い瞳に……緒方は心から切望し、目の前の家に向かって足を踏み出した。









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