04 罰にも勝る君の笑顔に

   −生まれる感情−

「保坂先生 最近嬉しそうですね…何か、いい事でもあったのですか?」 
古典の古川に言われ 保坂は嬉しそうに笑った。
「いいえ、別に…。 ただ、生徒達が無事卒業できそうなので、やっとひと安心です」
「そうですか? 僕はまた他になにか、良い事でもあるのかと思いました」
「他に…って?」
「たとえば、好きな人ができたとか。あっ! これは、奥様がいらっしゃる保坂先生に対して不味かったですね。失言でした」 
そう言って古川は、頭を掻きながら首を竦めた。

古川に、好きな人…そう言われて、保坂は何とは無しに晃亮の事を思い浮かべた。
晃亮は好きだ。 優しいし、なにより側にいると安心できる。 ずっと側にいたいと思う。
でも…どうして晃亮なのだろう。 他の誰でもない、晃亮だけ? のような気がするのは。
それに…自分は、どうして晃亮にだけは、甘えたいと思うのだろう。
妻の勝代にすら、そんな事を思った事もないしした事もない。
なのに…どうして晃亮にだけは、それができるのだろう。自分で自分が解らなかった。そんな事を思ったら、
「古川先生…。 先生は、誰かに甘えた事がありますか? 我侭を言って甘えたいと思った事がありますか?」
思わず とんでもない言葉が口から飛び出してしまい、自分でも驚いた。

それには古川も、一瞬驚いたように保坂を見つめ。それから、
「甘える…ですか。それは、たまにはありますよ。でも私は、好きな人を甘やかしたいほうですね。
甘えてくれる人を、目一杯甘やかして可愛がる方が良いですね。ひょっとして保坂先生は甘えん坊タイプですか?」
そう言って保坂を見つめる古川の目が笑っていた。
古川にそんな事を言われ、保坂は急に自分の言った言葉が恥かしくなってしまい慌てて否定する。
「えっ? いいや。 僕は…男で…妻もいますから」
何となく見当違いの返事を返す保坂に、古川は口元まで緩め、

「そうですね。女性は、強いくせに弱いですからね。甘えていいのは女だけだと思っているところがありますね。
だから男が甘えようとすると、不甲斐ないとばかりに嫌な顔をされたりしますからね」
「はぁ、そうでしょうか。 僕は、妻に甘えようとは思ったこともありませんね。
と言うより、家族を守るのが精一杯でそんな事を考える余裕もありません」
「まぁ大概の男性はそうでしょうね。でも私は、本当に好きな人には甘えて、我侭を言って、 時には涙もみせて……そして、こぼれる様な笑顔をみせてくれればいい……私はそう思っています」

古川は、あんな事を言っていたが 自分が晃亮に甘える事で、晃亮が負担に思っていたらどうしよう。 
そのうち、呆れて嫌になるのでは…そう思うと、なぜか不安になってくるような気もした。
それに…好きなひとって…どういう意味?なのだろう。
保坂は、自分の晃亮に対する気持ちが一体何なのか…理解できなかったが、
それでも、晃亮に嫌われたくない。その気持ちだけは確かなような気がした。

桜の蕾はまだ固く、それでも厚いコートは 必要がなくなる3月半ば。
思った以上に、今年の卒業生は問題も無く 進学に就職にと進路も決まり、
保坂の受け持った生徒達は 揃って無事卒業を迎える事ができた。

笑顔と涙で 巣立って行く子供達を見送ると、いつもの事ながら 安堵と一抹の寂しさで胸が一杯になる。
誰もいなくなった教室は 子供達が二度と帰って来ない事を 知っているかのように、
ただひっそりと佇んでいた。 その中で 昨日までの時間を思い起こす。 
そして 確かにあった子供達の息吹を感じながら、保坂は いつまでも其処に立ち尽くしていた。 

今年もどうやら移動せずに済み、新入生を受け持つ事も決まった。
その新入生を迎えるまでの短い期間に やらなければならない事も、たくさんあったが、
それでも保坂は ひと段落終えた後の、ホッと寛ぐ思いがあった。

毎週金曜日に、晃亮のところに行き 日曜日に帰る。
一緒にご飯を食べて…いろんな話をして…晃亮と一つ布団に寝る。
そして、時には真も交え 三人で酒を飲む。 保坂は下戸だから、すぐに酔ってしまうが、
あの二人は…彼らのような人を うわばみ、もしくはざる、というのだろう。

でも…酒を呑んだ時の晃亮は、眠っていても、保坂を腕の中にしっかり抱きしめたまま眠る。
始めは戸惑ったけれど 今はそれがとても嬉しい…。
晃亮の腕の中は…暖かくて気持ちいい…安心する。
いつも、そうして眠りたい…と、思ってしまう自分は、すこし変なのかも知れない。

それと…最近 晃亮に触れられると…なぜか、身体がむずむずする。
前は 気持ち良かっただけなのに…なんかおかしい…。
そんな保坂の悩みに、晃亮は全く気付いていないようで、
以前より保坂に触れる事が、多くなっているような気がする。

頬に首に…髪に…時には ふざけて抱きついたりする。
耳元で何か言われると 背筋を電気がはしり、足の力が抜そうになる。
変な声が出そうになる。 なんで? それって絶対変だ。
自分も晃亮も男なのに…好き…だけではないものが…生まれてくる。


   −目覚め?−

「ねぇ、真君。ちょっと聞きたい事があるのだけど」 
保坂が、晃亮の目を盗むようにして こそこそと真の袖を引いているのが判ったが、
晃亮は、パソコンに顔を向けたまま、素知らぬふりを装う。

最近の保坂は、明らかに以前と変わってきていた。
少し触れただけで 身体をぴくんとふるわせ、今までと違う反応をみせる。
この前なんて、耳元に息を吹きかけただけで 危うく声を漏らしそうになり、慌てて口を押さえていた。

『感じている?』
そう思いながらも酔った振りをして抱きしめて寝ると、最近はいつまでも もぞもぞしていて、
明らかに眠れない様子が見て取れ。そんな状況は、正直晃亮にも辛い状況だった。
保坂より、一回りも若い晃亮にとって御馳走を抱いたまま、喰えないというのは想像以上に忍耐を要した。
もちろん寝る前に抜いておくが、時にはそれでもきつかったりする。

「晃ちゃん。さっさと、やっちゃいなよ」
真は気軽に言うが、無理矢理抱いた後の保坂の反応を思うと、そう簡単なことでもなかった。
二度と顔を見る事もできなくなるのでは。失ってしまうのでは…そう思うと無理やり先に進む事をためらわせた。
自分に心を許し、年甲斐もなく涙をみせる。その無防備さに心引かれ、そんな保坂が好きになったのだ。
だから、それを壊さないためにも、保坂が気付くまで待つ。晃亮はそう決めていた。

「真君…あのね、怒らないで聞いて欲しいんだけど。 真君って…その…男の人が好きなんだよね」
保坂が、おずおずと言った様子で 真を上目づかいに見ながら言う。
そして、その目が妙に泳いで見えるのが可笑しくて、真は笑みを噛み殺す。

「そうだよ。 女とは、付き合った事ないな。 いつも、男だけ」
「そう…。 それで、男の人と付き合う時は…スキンシップ…も、したりするの?」

「スキンシップ? あぁ抱き合ったり、キスしたりって事?」
「…ううん…そう…」

保坂の顔が真っ赤になり どんどんうな垂れていくのに気付くと
これ以上の話の場には 晃亮が居ない方が良いのでは…真は、そんなふうに思い、
それとなく、晃亮に外に出るように目くばせをした。
晃亮は晃亮で、保坂のことが心配ではあったが、もしかしたら保坂が一歩踏み出そうとしている。
そんな気もして…黙って頷くと、部屋の外に出た。
それを確認した真は、今度は保坂に正面から向き合うようにして座りなおした。

「先生…先生が、興味半分じゃないと解っているから 俺も、正直に答えるね。
だから先生も、ちゃんと、真面目な話として聞いてくれる?」
真の声に真剣なものを感じて、保坂は赤く染めた顔をあげると 真っ直ぐに真をみつめて言う。
「プライバシーに、立ち入るような事を聞いて…ごめんね。
でも…僕が知りたい事に答えてくれるのは、真君しかいないと思うから。
その代わり 僕も真面目に聞くし、自分も嘘は言わないと約束する」
幾分頬を赤らめながらも、保坂の真を見つめる目は真剣で、その様子に真は、ホッとひとつ息を吐くと、

「判った。 先生が真剣だって判ったから、俺も自分の過去を話すけど…。
俺は 高校生の時、先輩に強姦されたんだ・。 勿論その先輩は、男だったけどさ」
真のその言葉は、保坂の想像を超えた言葉で、自分が触れてはいけないものに触れた。
そんな気もしたが…今更聞かなかったことにも出来ず、それならば真の言うように、
真面目に受け止めよう…保坂はそう思い、真っ直ぐに真を見つめ返した。

「ご…強姦ですか…」
「そう、レイプ。それも何度も。その時に助けてくれたのが晃亮だったんだ。
俺の様子がおかしいのに気付いてくれて……俺、全部晃亮に話したんだ。
最初無理やり犯されて、それをシャメに撮られ。後はそれをネタに脅されて言うことを利かされていた事を。
何でかな…誰にも言えなかったのに、晃亮にだけは言えたんだ。
俺の話を聞いた晃亮は、その先輩を呼び出して、めちゃくちゃぶっ飛ばして「俺のものに二度と手を出すな」って。
かっこ良かった。 晃亮は 柔道・空手・剣道…武術はなんでも出来るし 段も持っているからさ、
本気になったら、その辺の素人じゃ誰も適わないんよ。
晃亮のおかげで、それからは俺に変なちょっかいを出す奴はいなくなった。
なんたって俺は晃亮の女って事になってしまったからさ。晃亮にまで変な噂がたって、迷惑を掛けてしまった。
それなのに「気にするな。そんな事で人の価値が変るわけじゃない」
晃亮はそう言って、それまでと変わらない態度で 俺に接してくれた。

そうまでして助けてもらったのに、俺は大学で今度は俺が男を好きになった。
夢中になって追いかけて……やっとあいつを捕まえた。嬉しかった。 あいつと付き合っていた頃が、一番楽しかった。
けどさんざん遊ばれて、金までみついで……卒業と同時に捨てられた。
本当は、屑な奴だって解っていたけど……それでも好きだったんだ。
晃亮にちょっと似ていたからさ。でも、中身は似ても似つかない正反対だったけどな。

側にいたい。触れて欲しい。キスして欲しい…抱いてほしい…そう思った。
触れられると気持ち良くて、もっと……と思うし勃起もする。
好きな奴のあそこに触れたい。俺のものにも触れて欲しい。そう思い興奮する。

女と違っていろいろと面倒な事もあるけど、それでも一つになりたい。結ばれたい。
そのためなら、どんな事も我慢できる。本当にそう思った。
だって……大好きな奴が、俺の中で最高の顔を見せて果てるんだぜ。
誰にも見せない顔を俺だけに見せてくれる。それだけでぶっ飛んじゃうよ」


   −まぁ、良いか−

保坂は 黙ったまま じっと真の話すことに耳を傾けていた。
「先生…正直に言うけど、俺は晃亮が好きだった。けど、晃亮と俺は友達だから晃亮とは一生付き合える友達でいたい。
その事の方が俺には大切だったから、あいつとは寝ないと決めたんだ。
今に 晃亮よりもっと良い男を捕まえる。それが俺の目標だからさ。
先生。晃亮は先生が好きだ。
一回りも年上の中年親父なんかに惚れて、寝る前に自分で抜いてまで先生と同じ布団で寝るあいつを見ていると、
あぁ…本気なんだなって。あいつが、何も言わなくても良く解かった。
晃亮はそんな男だからさ、先生の事も、きっちり受け止めてくれると思う。
そんなあいつの気持ちを解ったうえで、先生もあいつの事を本気で考えて見てよ」
そう言って保坂を見つめた真の目には、涙が浮かんでいた。

金曜夜、いつものように二人で食事をし、二人で片付けをし、他愛の無い雑談を交わし、風呂にはいる。
そしてそろそろ寝ようかという頃になり、晃亮が奥の部屋に布団を敷き始めると、
「晃亮君。 君は、僕とセックスがしたいの?」
保坂が突然そんな事を言い出した。それには、枕を並べていた晃亮の手も止まり、
「はっ? いきなりなにを……」 そう言うと、その枕を胸に抱え込んだ。

「僕は、自分はしたいのだと思う。男で、中年で、そろそろ腹も出てくるしお肉だって弛んでくる。性欲だって……。
そんな若くもない僕が、君に触れられると身体がむずむずしてくるんだ。
君に抱きしめられると、本当に嬉しくて幸せだと思ってしまう。変だろう? 
自分でも変だと思うし恥ずかしい。とてじゃないが普通ではないと思う。

だけどそれよりもっと理解できないと思うのはね。君のような若者が、僕のような中年男に欲情するという事なんだ。
正直、それが信じられないんだ。ひょっとしたら単なる好奇心かな? と思ってしまうけど、
それでも僕は、君にそう思われた事が嬉しいと思ってしまう。
僕は 君に優しくされると、本当に嬉しくて、どんどん欲張りになって。
もっと、もっと、君を独り占めしたくなって、我が侭を言いたくなって、どうしてこんな気持ちになるのか解らなかった。

妻の勝代にさえそんな気持ちになった事がなかった僕は、それがどういう事なのか理解出来なかったんだね。
何より君は男だし、自分も男だから。でも、君を好きだと思っていたこの気持ちが、
特定の人にだけ向けられる特別な感情だって事が、はっきりと解ったんだ。
晃亮君…君が大好きだよ。僕は、君を愛している。それが僕の出した答えで、僕の本当の心なんだ…

躊躇いも迷いも無い真っ直ぐな瞳で、晃亮を見つめ保坂は言った。 
それは、清廉なまでに潔い愛の告白。そして晃亮には、そんな保坂がとても眩しく見えた。
だからこそ、いつも心の片隅にある一抹の不安を言葉にする。

「穂さん、ありがとう。本当に嬉しい。けど、そんな事がばれたら教育者として不味い事になるのでは」
「そんな事で人の価値が変るものではない。君が真君に言った言葉だと聞いたけど、僕もそう思っているよ。
そんな事で僕の価値も心も変らない。だから、躊躇うこと無く晃亮君を選べる」
保坂は、そう言うと、晴れ晴れとした笑顔を晃亮に向けて大きく頷いた。

『本当にこの人は、俺が告白する前にさっさと告白してくれて、俺がかっこ悪過ぎじゃないか。
でも、そんなこの人に掴まったのは俺だから。
この人を泣かせる事が出来るのも、笑わせる事が出来るのも俺だから。
どんな事も、まぁいいか……と思ってしまう俺はいい加減甘いかも知れない。
それでもこの人が側にいてくれるなら、すべてが……まぁ良いか』

『この歳になって、生まれて初めて、出口から侵入された。
神の摂理に逆らう者には多大な罰が下されるのかも知れない。
その罰のおかげで、僕は今体を動かすたびに走る痛みと、腰が抜けそうなほどのだるさに
横になったまま動けないでいるというのにこの男は。最高に機嫌が良く、そして優しすぎるほど優しい。
君のせいだよ、晃亮。あんなでかいものを、人の尻に突っ込んで。でも真君の言ったとおりだった。
晃亮のあんな顔は始めて見た。誰にも見せない、誰も見る事の無いあの顔を僕だけが見られるなら。
そして、今目の前にある 罰にも勝る君の笑顔に。僕は思ったんだよ。すべてが、まぁ良いか…と』




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