ひざまくら (1)   石津 将史(まさふみ)× 高野 登(みのる)



はじめは、ちょっとした好奇心…と、あいつが嫌いじゃなかったから。
次に進んだのは、その触れ合いが思ったより心地良かったのと、あいつと俺は男同士で親友。
そう信じていたから…自分たちの間でなされる行為は、決して特別な意味などなくて、
お互いの生理的欲求の解消…それ以外無い…と、思っていた。

だから…初めてあいつのものが、俺の中に押し入った時の苦痛も、あいつの、ゴメン…の一言と、
あいつのキスで消え去った。その時気づけば良かった。
それは対等だからなんかでは無い。俺があいつを好きだったから…その事に。


「なぁ、お前キスした事あるか?」
唐突に聞かれ、最初はどう返事したら良いか迷った。
17歳にもなってキスのひとつもしたことが無い。それが恥ずかしいとか、馬鹿にされるのでは…とか。
そんな考えが一瞬脳裏をよぎった。だから、
「お前、あんの?」 聞き返す事で、答えをはぐらかした。だが石津は何のためらいも無く、

「俺は、無い。」
はっきりとした口調で答え。その事で俺は、キスをした事がない…という事実より、
どう答えようか迷った自分が、何となく恥ずかしくなり。
「………。俺だって無いよ」
答える俺の声は小さくなった。それなのに石津はそれを気にした様子も無く、微かな笑みまで浮べ。
「そうか…良かった」
意外な言葉を返した。それに対し俺は、今度は怪訝そうに問い返す。

「なんで?」
「だって俺だけ経験なしじゃ、かっこ悪いだろう?」
そう言って笑う石津の顔と言葉に、少しだけ安堵する自分がいて…石津の、良かった…の言葉は、
俺の心をも表しているような気がした。

「やっぱ、みんな経験あんのかな…彼女とかいる奴もいるし」
「さぁ…人の事なんて、別に気にしないからどうでも良いけど…」
「だってお前、今良かったって言っただろう」
「うん、お前は別だから」
別…それは、俺とお前は親友だから他の奴とは違う…そう言っているように聞こえた。

そして俺も、他の奴らが何をしていようとそんなに気にもならなかったが、
親友のこいつに取り残されるのは、何となく嫌だ…そう思った。だから、石津も自分と同じなのでは…。
そんなふうに思い。
「だよな…俺も、お前だけ経験済みだったら、悔しい気がする」
嬉々として言った俺の言葉に対して、石津は微かに笑っただけで何も答えなかった。

「どんなんだろう…あ〜ぁ、どっかに女らしくて、可愛い子いねぇかな
うちの女子共は、男子より男らしいからな。あいつらが相手じゃ、男とやるのと変わらねぇと思うし…」
「お前…したいのか?」
「ん? そりゃぁ〜 ちょっとは。お前だって、そう思うだろう?」
「それは……好きな奴とだったら…」
答えた石津の声が、あまりにもリアルで…俺はなぜか少しだけ胸がざわついた。

「もしかして…好きな女いんの?」
恐る恐る聞き返す俺に、石津はやはりはっきりとした口調で
「いないよ…」  と言った。
「あ〜ぁ、いるって言うかと思って心配したよ。」
何が心配なのか…今になって思えば俺は石津と対等である事に、ひどく拘っていたような気がする。
だから、取り残されたくない…それが、どういう意味か気づきもしなかった。

「してみるか?」 石津が前を向いたまま言い。
「何を?」 俺は石津の横顔に向かって聞く。
「……キス…」 やはり前を向いたまま石津が答え。
「だって、お前好きな奴とって」 
俺はそう言いながら、なぜか、男同士で…という考えは頭に浮かばなかった。そして、

「お前の事は嫌じゃないから…」
石津のその言葉に、そうか俺たちは親友だから…単純にそう思った。だから、俺は何のためらいも無く答えた。
「じゃ、本番にビビったら様にならないから、その時の練習な」
確かに興味はあったし、石津の言うとおり俺も奴の事が、嫌いではなかったから、
別に嫌だとは思わなかった…が、石津の顔が徐々に近づいて来て、
目も鼻も口も…睫の数まで解るほどになると、俺の耳には、自分の心臓のどくどくという音が大きく響き、
石津の瞳に映る俺の顔が、泣きそうに歪んでいるのが見えた。その時

「目…瞑れよ」
石津の囁くような声がやけに優しくて、俺はその声に救われたように目を閉じた。
そして、その閉じた瞼に柔らかいものが触れた。
あ…石津の唇だ…そう思った途端、その柔らかさに、さっきまでの緊張が次第にほぐれていくのを感じた。

やがてそれは、瞼から唇に…触れては離れ、離れては触れを繰り返し、濡れた舌先が唇を割って歯列をなぞる頃、
俺は石津の制服を固く握り締めていた。その後は頭がぼーっとして、
まるで身体が浮いているような感覚が気持ち良くて…ただ石津にしがみついていたような気がする。

「みのる…大丈夫か」
石津の声が聞こえ、ゆっくりと開いた俺の目に映ったのは、俺を見つめ笑っている石津の顔。そして、
「キスで腰砕けなんて、可愛いな」
そんな事を言われ、俺は初めてのキスですっかり腑抜けてしまった自分が、急に恥ずかしくなって。
「………。 悪かったな、情けなくて。お前、したこと無いなんて嘘ついたろう」
少しばかりの妬みを込めて石津に文句を言った。すると石津は、ちょっときまり悪そうに瞳を漂わせた後。
「あれ? ばれたか?」
言いながら、その顔は妙に余裕じみて嬉しそうに見えた。

だから俺は、情けなくも石津とのキスで変化した自分の股間を石津のせいに塗り替える。
「当たり前だ! どうすんだよ、勃っちまったじゃないか」
その途端石津の顔が益々嬉しそうに綻び、今度は俺に向かって自分の腿を指差し。
「悪かったな、責任とってやるから…乗れよ」 とんでもない事を言い出した。

「え? いっ、嫌だよ!」 
「良いから、乗れ」
そう言って俺を見つめる石津の顔が、昨日までと違ってやけに大人びて見え。
俺は、それ以上抗えなくて…言われるままに、石津の腿を跨ぐようにして上に載る。

いつもは俺の目線より上にある石津の顔が、今は少しだけ下にあって…俺は上から目線。
その事が、何だかとても新鮮で…嬉しく思えて。自分たちが今どんな体勢でいるのか。
人に見られたら絶対に異常…という事すら気にもとめなかった。そして、石津が俺を見上げるようにして言った。

「今度は、お前からキスしてくれよ」
初めてのキスは、俺の理性も道徳観念も吹き飛ばしてしまったかのように、全てが今に凝縮され。
石津の手が俺のズボンの前を開き、下着の上から俺のものに触れただけで。
自慰などと比べものにならない快感が走った。

そして、何の躊躇いもなく俺の下着の中に入り込んだ石津の手に包まれると。
俺は男同士であることも忘れて、石津とのキスを貪りながら、その手の中に白濁を解き放った。
その後、訳もなく胸がいっぱいになって…俺は石津の首にすがって、こみ上げてくるものを隠した。


それから俺たちは、昼休み時間になると生徒の出入りが禁止されている屋上のフェンスを乗り越える。
そして、誰も居ない空の下で、二人だけの時間を過ごす。
「あぁ、良い天気だな…なんか飯食ったら眠くなってきた。少し寝るから、始まる5分前になったら起こしてくれよ」
石津はそう言うと両手を精一杯上に伸ばし背伸びをした後、いきなり横になり俺の膝に頭を載せる。
お、おい…いや、それは…不味いんじゃ……。そう言おうと思いながら、
腿に感じる石津の頭の微かな重さと温もりが…俺の中の、少しばかりの後ろめたさと躊躇いを拭い去っていく。

俺は、初めて知った快楽にどんどんのめり込んで、それを欲して。
だから…それから間もなく石津を受け入れた時も…自分たちのしている事が普通ではない。
などという考えは少しも浮かびはしなかった。お互いに、自慰に勝る自慰の手助けをしている。
その程度の意識で、俺達は対等の位置に並んでいる…と、無理やり信じて疑わなかった。

やがて屋上での密事は、自分たちの部屋でも行われるようになり、
それでも俺はどうしてか、石津とセックスをしている…という感覚はなかった。
それが、いつ頃からだろう。道を歩くとき、信号待ちしている時、ホームで電車を待っているとき。
さりげなく衣類の裾を引かれたり、そっと背中に手が添えられたり。
俺の一挙手一投足を、笑いながら見つめる石津の優しい目が、
少しずつ俺の中に、チリチリとした小さな違和感を生み出すようになった。

それまでは、一緒になってふざけあい、時には小突きあったりしていたはずなのに、
何処かで何かが変わったような、正体の見えない甘酸っぱい不快感。
それでも俺は…俺と石津は親友で対等の位置に並んでいる……と、自分に言い聞かせ続けた。そして、

大学に進学して少し経った頃、ばったり会った高校時代のクラスメートに言われた言葉。
「だってお前、女みたくあいつに抱かれていたんだろう? 女の代わりに、気楽に遊べるって聞いたからさ」
女のように抱かれていた? 俺が…あいつに?気楽に遊べる? 女の代わり?
違う、あれは自慰の延長で…お互いの共同作業で。そう言おうとしても、声がのどから出てこなかった。

その代わり、気がつくとそいつの事を思いっきり殴りつけていた。
そして…自分の知らない所で、自分の思惑と違う現実が存在していた事を始めて知った。

「石津! 俺はお前の女なんかじゃ無い、馬鹿にすんな!」
「いきなりどうしたんだよ。一体何を怒っているんだ?」
「とぼけやがって、お前がそんな奴だと思わなかったよ」
「とぼけるもなにも、本当にお前の言っている事が解らないんだって」
「だったらそれでも良い。お前なんか、二度と顔も見たくない! これから、もし何処かで会っても、
知らん顔だかんな。話しかけてきたらぶっ飛ばす…いいな!」
「ミノル……」

その日から俺と石津は見ず知らずの人間になった。元々別の大学に進んだ俺たちに、
会うつもりで会わなければ、そうそうばったり出くわす事などあろうはずなどなかった。
それでも石津は、再三電話やメールをくれたが俺はそれを無視し続け。
兄貴の結婚を期に家を出ると、携帯も変えた。そして、俺と石津は本当に見ず知らずの人間になった。
それから暫くして、人の便りにあいつが海外に渡ったと聞いた。


「先輩、癖なんですね」
昨年入社し、同じ課の後輩になった今泉が口元に笑みを浮かべ、ビール瓶を目の前にかざしながら言った。
「ん? 癖って」
「その左腿を擦るの、癖ですよね…以前怪我でもしたんですか?」
言われた途端、心臓がドクンとなるのが聞こえた。

「あ、あぁ…そうか、自分じゃ気が付かなかったな」
「そうですか…なんか、大切なものを愛しんでいる…そんなふうにも見えますよ」
「自分で自分の脚をか? それじゃまるで変態だろう」
わざと軽い口調でそう言いながらグラスを突き出すと、今泉は苦笑いをしながら、
俺のグラスにトクトクとビールを注いだ。

愛しい…ただ愛しい…それだけ。 今なら解るこの想いの意味が、なぜあの頃は解らなかったのだろう。
何にあれほど拘ったのか…想いに、男も女も関係無かったのに
あいつは一度も、俺を女のように扱った事などなかったのに。
そんな事にも気づかず、自分から捨ててしまった想いを、何年が過ぎようとこの膝が覚えていた。

膝だけではない…俺の身体は今でもあいつの事を忘れていない。
それが解ったのは、初めて女を抱いた時。あれほどしたかった女とのキスも、セックスも。
自慰の延長と思っていた石津との行為で感じた快楽とは程遠く、
行為の後の、訳も解らなく胸一杯になる切なさも無かった。本当に…自慰行為と代わらない。
そんな気がして、何人かの女と付き合ってみたが…やはり同じだった。

それなら…と、バカな俺は男とも寝てみた。だがやはり、多少の違いはあっても皆同じようなもので。
誰かと抱き合えば抱き合うほど、身体があいつとの行為を懐かしみ。
あいつの事を思うだけで、切なさで胸が一杯になった。
それは、自分の愚かさで大切なものを捨てた報いなのかも知れない。だから俺は、誰かと交わるのを止めた。


「先輩! 大変な事になりましたね」
社に顔を出すなり、今泉が深刻そうな顔で側に寄って来た。
昨夜半から、ずっと報道され続けている爆破テロのニュースは、俺の勤める新聞社の現地支局の側で、
爆破があった事を伝えていた。
「そうだな。大分被害者が出たらしいが、うちの支局はどうなんだ?」
「はい、爆風と飛び散った瓦礫で、窓が割れたりして何人かは軽い怪我をしたらしいですが、
幸いかすり傷程度で済んだようです。だから、全員総出で救出作業の手伝いをしているって言っていました」

「そうか…大した被害にならなくて良かった。それで、爆破されたのは救護団体の物資保管所だって?」
「そうです。でも、その建物の一部が診療所になっていたため、被害者の数は思ったより多くなりそうですね。
それに、ボランティアの人達の中には、数名の日本人も居たらしくて、
今の時点で確認の取れている人の名前だけ、さっきから報道されています」

「それじゃ、その人達の家族の所へは……」
「えぇ、解った人の自宅には、もう取材が向かったようです」
「そうか…」
言いながら俺は、自分がその被害者家族にカメラを向けなくて良い事に安堵していた。
そして同時に、【俺は報道カメラマンには向かないかも知れない…】
そんな事を思う自分に、苛立ちと情けなさをも感じていた。

<被害にあったと思われる方のお名前は…
青木○○さん
石津××さん
脇田○×○さん 以上3名の方が……>

石津?  アナウンサーの読み上げた名前に心臓が破裂したように鳴り…早鐘が止まらない。
「おい! 今泉、今、石津なんて言った!!」
「はい? 僕は何も…」
「バカヤロウ! お前じゃない。今、アナウンサーが読み上げた、被害者の名前だ!!」
「あ、はい…被害者の名前ですか。ちょっと待って下さい、今確認します」
俺は、今泉が手にしたメモを読み上げるのももどかしく、それを横から奪い取る。
そして俺に目に飛び込んできた横殴りの文字は…石津将史。

どうして石津の名前がこんな所にある。有るはずが無い、絶対同姓同名に決まっている…そう思いながら、
手が小刻みに震え、息が上手く吸えなくて…やがて、頭の中が真っ白になり。
「目、瞑れよ…」  俺はその言葉に随うように目を閉じた。


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