広田 円(まどか)×三浦 聡(さとし


今日の晩飯は…と、考えて、広田は はたと気付いた。
しまった! あの なんとかなにがしのせいで買い物をしそびれた。

冷蔵庫を開くと、中には卵の他には、母が送ってくれたトマト、キウリ、いんげんなどの野菜。
あとは、ベーコンに豆腐ぐらいしか入っていなかった。
そうかと言って、今から買い物に行くのも 何となくおっくうに思えて。、

【しょうがない、これらでなんとか間に合わせるとするか…】
広田は、ジーパンとシャツに着替えると、早速それらを調理にかかった。

以前、何処かで食べた記憶を頼りに、トマトとベーコンを 卵を一緒に炒めてみる。
それから、いんげんと豆腐の半分で味噌汁を作り、残りの半分は冷奴にした。
それに、ネギとオカカ、揚げ玉をのせると結構イケるのは、何度か試して判っていた。

後はキウリを刻んで、塩もみにした即席おしんこ。
それらを テーブルの上に並べ その前に座ると誰にともなく、 
「いただきます…」 声に出して言う。

この部屋に越して来て、2年が過ぎた。 最初は寂しいとか、食事の支度が面倒だとか…。
いろいろ思ったりもしたが、今ではそれも気にならなくなって。
それでも、やはり…一人だけの いただきます…は、少しだけ寂しい気がした。

食事を始めてすぐに ドアをノックする音に、広田は不信に思った。
こんな時間に訪ねてくる知り合いは、この辺りにはいない。
誰だろう…。 箸を置くと徐に立ち上がり ドアの前に行き 声をかける。

「どなたですか?」
「俺、聡…三浦 聡。」

さとし…三浦…誰? そんな奴 知らないし…。 どうせ、新聞か何かの勧誘だろう…と、思い。
「何かの勧誘でしたら お断りします」  鍵を開けることもしないまま、ドア越しに声をかける…と、
「勧誘? 違うって! そんな意地悪しないで開けてよ 円ちゃん」 

円ちゃん? そう呼ばれて、いきなり思い出した。 
そうだ、あいつ…確か…三浦 なにがし。 途端に、聡のにやけた顔が、頭の中に浮かんだ。
けど…なんで、家まで知っているんだ? もしかして、俺の事を知っている? 
嫌だ…気味が悪い…そう思ったら、思わず声も大きくなり。

「いいかげんにしてくれよ! 君とは、金輪際関わらないと言ったはずだよ。
人の後を付けまわして、家まで押かけるなんて 非常識にも程がある。
警察に 連絡されたくなかったら、さっさと帰ってくれ!!」
広田にしては珍しく、強い口調で言う。

本当に苛立たしい…と、言うより此処までくると 正直気味が悪いし…怖い。
そのせいでも無いが、何となく息を潜めて、外の様子をうかがっていると、
聡の、なんとも情けない声が、ドア越しに聞こえた。

「…まどかちゃん、俺の事そんなに怒ってたんだ。 ゴメン 謝るよ。
でも俺は、円ちゃんを、怒らせるつもりなんてなかったんだ。
ただ、ちょっと話がしたくて…。 だから、円ちゃんを見かけた時 嬉しくてつい・・ほんとにごめん」
心なしか、寂しそうな声を残し、カツカツと階段を下りる音すらも力なく聞こえ。
少し、きつく言い過ぎたかも知れない…広田はそう思うと そっとドアを開いた。


其処には当然 三浦なにがしの姿はなく、 
代わりに? 綺麗にラッピングされた 向日葵の花束が置かれていた。

なに? この花…。

見ると、手書きのメッセージカードが添えられてあり。
配達されたものではないのは、部屋にいた広田が、一番良く判っていた。
それじゃ誰が…まさか…今の、三浦 なにがし?
気味が悪いと思いながらも、なぜかそっとカードに手を伸ばし、それを手に取ると開いた。

【円ちゃんへ 誕生日おめでとう。 いつも優しい笑顔…ありがとう】

え? いつも、笑顔?…って、なんで?  なんで…なんで、誕生日知ってるんだ?
なんで、僕の好きな花まで知ってるんだ? 三浦なにがし、お前は一体。
広田は、花束を掴むと、一気に階段を掛け降り、表に出た。
そこに人影は見当たらず、ひろた急いでもう一本先にある バス通りまで行って見る。

都心から少し離れた 新興住宅地のこの辺りは、夜になると、極端に人通りが少なくなる。
サラリーマンや、OLが何人か、足早に家に向かって通り過ぎるだけで、
他には、三浦らしき人影は見当たらなかった。

なぜかホッとし、同時に少しがっかりしたような 複雑な思いで、花束を抱えたまま アパートに戻り。
二階への階段を上ろうとした時、広田の部屋の 真下のドアが勢いよく開かれた。

「ん?」
「あっ! まどかちゃん!!」

「えっ? あっ あーーーーーっ! お前、三浦なにがし!!」
「いっ! 酷いな…その三浦なにがしって、俺の事? 
あーっ ひょっとして 俺を追いかけてきてくれたの?」  聡の顔が、真夏の太陽のように輝く。

「えっ? い・いや…そ・そんな事。 違う! そうじゃなくて」
慌てて、取り繕うとするが、上手い言葉を探せずにいる広田に、

「えっ? だってその花束」  聡の嬉しそうな声が重なる。
「こ・・これは・・気味が悪いから・・・棄てようかと」
余りにも、慌てていたのか、広田の口から思ってもいない言葉が飛び出した。

「えーーー! なんで棄てちゃうんだよ。
折角まどかちゃんに送ったのに、棄てるなんて酷いじゃないか」
そう言うと、太陽はいっきに西の空に傾き、翳りを落す。
広田は広田で、今更、自分の言った言葉を撤回するのも憚られ、
しょうもないと嘯き、無視を決め込んで聡に言った。

「…・それより、どうして君が此処にいるんだ?」
「えっ? だって此処俺の部屋だもん。 円ちゃんの真下、この部屋が俺の部屋なんだ」
聡のその声は、なぜか得意げに聞こえた。

「うそだろう…だってその部屋、内装工事中だったんじゃ。 いつからその部屋に?」
「今月から…。今までは親と一緒だったけど、今月はじめ此処に越してきたんだ」

「…そう・・なんだ。 同じアパートだとは知らなかった」
「じゃ、改めて…俺 三浦 聡。 宜しくお願いします…広田 円ちゃん」

「あ・あぁ…よろしく…って、その円ちゃんって言うの 止めてくれって言ってるだろう。
同じアパートの住人だから 顔を合わせれば、挨拶ぐらいはするけど、それ以上関わる気ないから。
それと、この花束も返す。 貰ういわれが無いのと…僕の誕生日は…来月だから」
広田は、花束を聡の手に押し付けると、足早に階段を上り、自分の部屋に戻った。

バタン・・ドアの閉まる音。 そして、ご丁寧に鍵をかける音まで聞こえ。
聡はというと、はぁ〜と大きく肩を落とし 自分の家に向かって歩き出した。

越したと言っても 食事は家に戻ってするし、洗濯も母親がしてくれる。
つまり 今まで二階にあった自分の部屋が、少し先にあるアパートに移っただけだから、
生活の基盤は、今までと変わりなく実家にあるわけで、以前となんら変わりもないのだが、
ただ…上と下では、今までのような 覗きは出来なかった。

あそこまで避けられると、互いの部屋を行ったり来たりしながら、やがて親密に…。
などという浅はかな計画は、到底実現しそうもないように思えた。
それに…広田は、自分の誕生日は来月だと言った。 そんなはずはないのに…。
たしか、今月…向日葵の季節のはずなのに…何であんな事を言うのだろう。

あ〜ぁ…なんか、またも不味ったかな…。
聡は、広田の部屋の窓を見上げ また一つ大きく溜め息を吐いた。


広田は部屋に戻ると、中断した夕食を続けるために箸を取ったが、
聡が、自分の下の部屋の住人だった事に、大いに驚き、少しだけ憂鬱な思いでいた。
まさか同じアパートだったなんて…。 これから、顔を合わせた時、どんな顔をしたら良いのか。
露骨に嫌な顔をするのも、大人げ無いと思うが、だからと言って親しくするつもりもなかった。
それでも、何処の誰か判らない…そんな薄気味の悪さは消えて、

あいつの笑った顔…お日様のようだったな。
あんな顔で笑われたら、そうそう邪険にも出来ないじゃないか。 なんか…憂鬱…だな。
等と思い…憂鬱の中身が、少しだけ変わってしまったような気もした。  
結局、夕食を続ける気も失せてしまい、箸をおくと、片付けもそのままにゴロリと寝転び、
何とはなしに…意味も無く大きな溜め息を吐いた。

そして、次の日から…
広田が階段を下りると、まるで待ち伏せていたように、聡の部屋のドアが開き、

「おはようございます…円ちゃん、今から会社?」 
妙に嬉しそうな声に…あぁ、やっぱり…そう思った。

「おはよう…行って来ます」
むっつりとそれだけ言うと、広田は、聡の顔も見ずに通り抜ける。

「あっ、待ってよ…俺も一緒に行く」
聡は、バタンとドアを閉め、鍵も掛けずに広田の後を追いかける。

「なぁ、円ちゃん・・駅まで歩くんだろう?」
「そうだけど、君はバスを利用するんだったら、僕に構わないでどうぞ」

「嫌だな、なんでバスなんか乗るのさ そんな距離じゃないでしょ!」
「まぁね…」  そう言うと、広田は黙々と歩く。

確かに、駅まで歩いて10分少々…たいした距離ではない。
その距離が、いつになく長く感じるのは、鬱陶しいこいつのせいだ…。
そんな広田の胸の内など お構い無しに 聡は嬉しそうに 隣に並んで歩きながら
今にも鼻歌でも出そうなほど、上機嫌な声で言った。


「円ちゃん、今日は何時に終わるの…仕事」
「なんで、そんな事…君に関係ないだろう」

「うん、そうだけど…知りたいから。 俺、まどかちゃんの事なら、何でも知りたいからさ」
まったく何だって言うんだ この男は。なんでそんなに僕に構うんだ?
広田は、聡を見上げると、にこりともせず言う。
「君は少し…いや、大分変だよ。 一度病院に行って、見てもらって来た方がいいよ」

それなのに…
普通なら 怒って当然な事を言われたにもかかわらず、聡は、

「あ〜ぁ 酷い言い方でない? 俺は、円ちゃんと仲良くしたいだけなんだけどな。
まぁ…最初の印象が悪かったから 無理も無いけど、俺…決めたら余所見しないタイプなんだ。
円ちゃんが 俺を見直してくれるまで、真面目に頑張るからさ、俺の事、白紙の目で見ててよ」 と、言った。

なに言ってんだ? こいつ…。 まるで、交際でも申しこんでいるような言い方をして…。
広田は、心の中で思いながら、それにすら無視を決め込み、

「白紙でも、色紙でもどっちでもいいけど…もう駅なんだけど。
僕は、今日予定があるから、帰りは遅い。 じゃ、そう言う事で」
良い加減うんざりした顔で、そう言うと、広田はポケットから定期を取り出し、改札に向かって足を速めた。

「そう、判った。 でも、できるだけ早く帰ってきてよ。
待ってるからさ。 じゃ、いってらっしゃい…気を付けてね」
ひらひらと手を振り、立ち止まったままの聡に、 広田は、えっ? と、言う顔で振り向いた。
改札を挟んでこっち側と向こう側。 広田は、思わず立ち止まり、聡と向き合ったままで…。

「君…大学行かないのか? 」  と、聞く。
「うん、俺は午後の講義だからさ…まだ、行かないよ」

「じゃ・・なんでここまで、一緒に来たんだ?」
「嫌だな…円ちゃんを送って来たんじゃないか。 本当は、会社まで送って行きたいけどさ。
それじゃ、円ちゃん嫌がりそうだからさ、此処までで我慢するよ。
駄目だよ 変な男にナンパされちゃ…絶対、無事に帰ってきてよ。 じゃ、いってらっしゃい」

そう言って、にこにこと笑って手を振る聡と、 まるで 別れを惜しんでいるかのように、
聡と向き合ったまま、立ち尽くしている広田に、くすくすと笑いながら通り過ぎる人達。

一瞬、我に返ると 広田の顔が 恥かしさで赤く染まり…逃るように、ホームへの階段を一気に駆け降りた。
それでもなぜか、人の目が気になり、人の目を避けるように いつもの乗車位置から外れ、
最後尾まで移動すると、思わず広田の口から、ぶつぶつと独り言がもれた。

なんなんだ あいつは…人に、恥をかかせることばかりして。
それなのに、広田の口元には、少しだけ笑みが浮かんでいた。

疫病神としか思えない聡の行動は、広田には理解の範疇を超え、
朝になく昼になく、はたまた夜までも…本当に、広田を見張っているのかと思う程、
気付くと、いつもさりげなく、側に聡の姿があった。

鬱陶しい…。 それでも、刻が過ぎ 季節が変わり・・心は移ろう。
あれほど鬱陶しかった 聡の存在が、今では、それに慣れたかのように、自然に思えて…
窓から見える、赤く染まった紅葉が 一際鮮やかに、
広田の嫌いな季節が、既に過ぎ去った事を告げていた。

聡に誘われ、久し振りに散歩に出る。
小さな水路のような、川べりのベンチに 並んで腰を降ろすと、反対側の遊歩道には、
同じ様に散歩をしている老夫婦や、子供づれの母親、ジョギングをしている中年男性と、 
休日の昼下がりは、まったりとした時間を刻む。

あまり綺麗ではない水面を、かすめるようにして飛ぶ、尾の白いトンボ
それを見ながら、隣に並ぶ聡にとも、自分にともつかぬ口調で、広田は言う。

「解からないんだ。 聡君は、なんでここまで 僕に付きまとうんだろう。
正直、僕には理解出来ないし、一時は真剣に、越そうかと思ったりもしたんだ」
広田の声は、穏やかで少しだけ笑みを含んで聞こえた。

「…俺、円ちゃんが好きだから。 ずっと、大好きだったから」
聡も、流れに目を向けたまま、やはり独り言のような口調で答える。

「…そりゃ、確かに僕は、君からみたら…ちょっとダサくて、 
からかって面白がるには、丁度良い人間かも知れないけど…」

「からかってなんかいない…本当に好きだから。
円ちゃんを愛してるから、一緒に居たい。 それだけなんだ」

「…そういう冗談は、あまり好きじゃないんだ」
「嘘や冗談じゃないよ。 冗談で、男に愛してるって言うほど、不自由もしてない」

「僕は…それでも・・」
「知ってる…。 円ちゃんが、誰かの事を思っているのは…。
円ちゃんの心の中には、此処に越してくる原因を作った人がいる。
俺は…何度も、まどかちゃんの涙…見たから」

その言葉に、広田は始めて聡に顔を向けた。
聡は、横顔を見せたまま、少し眩しそうに目を細め、じっと水面をみつめていた。

「知っていたのか。 君は、いつから僕の事見ていたんだ」
「円ちゃんが越してきた時から…ずっと、毎日」

「覗いて、いたんだ…」
「うん、覗いてた。 覗くたびに どんどん好きになって。 でも、卒業したら部屋を出て行ってしまう。
そう思って、半分諦めていた。 だから、就職しても此処にいるって判った時…決めた。
絶対、円ちゃんを捕まえるって…捕まえて離さないって」

「…・そう…なんだ…」
なぜか、半分予想していたような気もするし、そうでないような気もした。
それは、聡の言葉に対してなのか、自分の反応に対してなのか判らなかった。
心のどこかで、うすうす感じていたのかも知れない。 聡の中に潜む、自分への想いを。
気付いていながら、知らぬふりをする 自分の心の卑しさを。

そして…かつて 愛している…そう思っていた人の事を思った。
自分について来い…そう言ってくれなかった人。
貴方について行きたい…そう言えなかった人。

「円は大学があるから…円が卒業する時には迎えに来るよ」
笑いながら優しく…嘘の言葉を言ってくれた人。

その言葉を信じて待った。 嘘と判っていても、待ちたかった。 
待って…待って。
大学を卒業する少し前、その人に子供が産まれた事を知った。
そして…・あぁ、やはり…そう思った。

広田にとって、初めての男だった。
本当に好きだったのか…そう思っていただけなのか。
ただ、聡と一緒の時間は、彼と一緒の時間より、心が自由な気がした。

そして気付いた…。 あれほど好きだった人が、色を失っている事に。
それを 塗り替えてしまったのが、聡だという事に。
今、自分の心の中は、真夏の太陽のような、聡の笑顔で一杯になっている事に。
自分は・・ひたすら太陽の光を求める、向日葵になりたいのだと。

「俺は…絶対に、円ちゃんを泣かせるような事はしない。
円ちゃんの笑顔は優しいから、それを守るためなら、どんな事でもする。
だから、もう…暗い空を見上げて泣かなくて良いんだよ。 俺が、円ちゃんを守るから」

「参ったな…年下の君にそんな事を言われたら…僕は」
悲しいわけではないのに、頬が濡れるのはだれのせい…。

「ほら〜 泣かないの・・」
聡が、広田の頬の雫を指で掬い、それをぺろりと舐めた。

「少ししょっぱい。 でも…今にきっと甘くなるよ、円ちゃんの涙」

涙が甘くなるはずなどないのに、聡の側でなら、そうなれるような気がした。
太陽が一緒なら、ひまわりの涙も…未来に花を咲かせる。
広田は、聡の手を取ると、その温もりを確かめるように、そっと頬にあてた。