ゆびきり   生垣透太(高校生)×里見理玖(高校生)

指きりは儀式。互いの小指を絆という名の糸で結び、呪文をかけ合う。
約束は契約。呪文をかけ、交した契約は決して破られることはない。


  生垣透太の戸惑い

サラリーマンの帰宅時間にはまだ早い午後四時。その時間帯、駅は買い物帰りの主婦や学生で占められる。
特に幾つかの線が乗り入れる此処は、外からの乗客よりも多い乗り換え客でいつも混雑していた。
そして今も、ホームへと続く狭い通路を脱兎の勢いで駆け抜けていく、高校生らしき二人の学生がいた。
先を走っているのは、通学用のバッグを肩に背負い小柄な身体で器用に行き交う人の間をすり抜けていく高校生、
生垣透太16才。

そしてその透太を追いかけているのは、透太とは違う制服を着た長身の高校生、里見理玖16才。
見ようによっては、小柄な生徒が大きな生徒に追いかけられ逃げている…そんなふうに見えなくもなかった。
だが一見有利そうに見える長身も、人混みの中では功を奏しないのか透太と理玖の距離は一向に縮まる気配もなく。
このままでは先に電車に乗られてしまう…そう思った理玖は、とうとう前を行く透太に向かって声をかけた。
「とうちゃん、待ってよ」
「とうちゃん! とうちゃんってば!!」

理玖の呼びかける声で周りの人間達が振り返り、中にはクスクスと笑っている人までいる。
だから…透太は自分を呼ぶ声が聞こえているにも関わらず、その声が聞こえないかのように無視を決め込み、
眼の前に迫った階段を駆け登る。耳には電車の入ってきた音が聞こえ、背中からは理玖の声が尚も追いかけ。
透太は益々足を回転させ、階段を上りきったすぐ横にあるドアが閉まる寸前で、電車に飛び乗った。

そして、透太の身体すれすれでドアが閉まり、電車は理玖だけをホームに残してゆっくりと動き出した。
ドア一枚隔てた中と外。二人の距離は徐々に離れていき…透太は里見理玖に向かってヒラヒラと手を振り。
それから、今まで見たことも無い情けない顔で透太を見つめている理玖に向かって…べ〜と舌を出した。


生垣透太と里見理玖は幼馴染で、幼稚園一緒小学校も一緒。
そのうえ家が近いのと母親同士が従姉弟というのもあって、互いの家も自分の家と同じようにして育った。
要するに兄弟のような関係。そのせいか中高校共に、透太は公立、理玖が私立にと別れても、
暇さえあれば二人は一緒にいる。そんな状況は、幼い頃と少しも変わりが無かった。
だからと言ってそれが嫌とか、そんなふうに思った事は無いのだが、ただ何となく…少しだけ、
お互い高校生だし…いつもべったりと言うのも…最近そんな考えが頭を過る事もあった。

そして今日も、理玖は朝早くから透太の家に押かけて来た挙句、透太が学校の友人と出かけると聞くや否や、
どうしても見たいDVDがある。欲しいCDがある。だから買い物に付き合って…等と言い出した。
正直、友人と出かけるという話は決まっていた事ではなかったので、理玖に付き合っても良かったのだが、
何となく鬱陶しい…なぜかそんな気がして、如何にも迷惑そうな顔で誘いを断ろうとした。
それなのに…知恵の差か性格の差か…良いように丸め込まれてしまい…結局理玖に付き合う事になった。

だが、不承不承の態で来たCDショップで、やはり二人でCDを視聴していたクラスの女子に出会った。
挙句にその内の一人が、密かに可愛いと思っていた宮坂真由里だった事もあり、透太の仏頂面が一転し満面の笑顔に変る。
学校ではそれほど親しく話す事も無かったのに、外で見知った顔に会うと妙に親しく思ってしまうのか、
互いにお勧めの曲などで話が盛り上がり、そのうえ 「これからカラオケに行くんだけど、もし良かったら一緒に」 
などとお誘いまで受けてしまった。そんな奇跡とも思える誘いに、透太は即行OKの返事をしようと…したその時。

「ごめん、僕たちこれから親と一緒に、入院している祖母のお見舞いに行く事になっているんだ。
だから…カラオケは次の機会って事で…。 じゃ透太、そろそろ待ち合わせの時間だから…行こう」
それまであまり話の間に入って来なかった理玖が、宮坂真由里に向かってニッコリ笑顔で言い。
なのに…透太にはこの上も無く不機嫌そうな顔を向けると、透太の腕を掴みさっさと歩き出した。

余りにも突然の理玖の言葉と行動。透太はそれに驚き何か言おうとするが理玖がもの凄い力でひっぱるものだから。
何も言えず引きずられるまま斜め走りの格好で…それでも未練たらたら顔だけ振り向くと宮坂真由里が…。
胸の辺りで小さく手を振っているのが見えた。そして気のせいか、宮坂の目が?の形をしているように見えた。
その?が決して自分に対するものでは無い…そう思うと、舞い上がった天上から一気に奈落まで突き落とされた。
そんな気分になり、嫌も応もなく連れ出された店の外で、透太は理 玖の手を振り払うと自分より上にある理玖の顔を睨みつけた。

「なっ、何だよ。母さんと待ち合わせなんて聞いてないぞ! それに、祖母ちゃんの見舞いって何だよ。
一体どういう事なんだ理玖! ちゃんと説明しろよ」
結構な剣幕でまくしたてる透太に対し、理玖は少しも動揺すること無く、平然と。
「だって…嫌だ、君たちと行きたくない…なんて言ったら、彼女たちが気分を害するだろう?
だから、親と一緒に祖母の見舞い。それなら、透ちゃんも行かなくて済む。断わる理由としては、一番良いと思っただけだよ」

と…信じられない事を言った。確かに祖母は、四国に住んでいるので日帰りで見舞いに行けるはずは無い。
考えれば解る事なのだが…それでも、そんな嘘を言う理玖と、それを見抜けなかった自分にも腹が立った
それに、好意を持っていた宮坂真由里と親しくなるチャンスを台無しにされたうえ、宮坂の?まで盗まれそうになり。
挙句にその張本人のが、ほんの少しも悪びれた様子を見せない…と言うより。
カラオケに行けなかった事を喜んでいるようにも見えて、透太の怒りは心頭にまで達した。

「ふざけるな! なんで、俺の事をお前が決めるんだよ!!自分勝手もいい加減にしろ!!!」
透太は大きな声で怒鳴ると、理玖をその場に残し後ろも見ず駅に向かって駆け出した。


電車は、透太だけを乗せて微かな振動と共に理玖から遠ざけていく。
ドアが閉まった一瞬、窓の外に見た理玖の情けない顔が目に焼き付き…ふん、いい気味だ…と思いながら。
それでも心に引っ掛り…透太は飛び乗った位置に立ったまま、ぼんやりと窓の外を眺めていた。

考えてみるとお互い別々の高校に進み、学校では新しく親しい友人も出来た。
それに、中学の時より興味の対象となるものが増え、従って行動範囲も広くなっている。
それなのに…透太は、その友人達と学校以外で付き合う事は滅多になかった。
それと言うのも、遼太のプライベートな時間は理玖に占領されて…自分の自由にならない。
正直、理玖が自分を私物化?しているのでは…理玖に拘束されている…そんなふうに思う事も無くはなかった。

【自分だって…俺の知らない友だちと出かけたり、連絡を取り合ったりしているだろう。
なのに、なんで俺は駄目で俺の邪魔ばかりするんだ? それって不公平だろう…自分勝手だろう。
けど、今日の事でもう頭にきた。もう二度と、あいつとなんか一緒に出かけねぇ。暫く口もきかねぇ】
そんな事を思いながら、透太は自分でも気づかないまま見るからに大きな溜め息を吐いた。

「あれ、生垣? 久し振り〜 元気だった?」
自分の名前を呼ぶ声に振り向くと、すぐ後ろの席に中学時代クラスメイトだった松野伸二の顔があった。
その顔が、数か月前と少しも変っていない…なのに、少しだけ大人びたようにも見え。
それがたとえ、眼鏡のフレームがノンフレームから紺色のフレームに変ったせいだとしても、
奇妙な寂しさと懐かしさとで、急に胸の辺りが…きゅっと縮んだような気がした。

「松野? うわぁ! ほんと松野じゃないか。久し振り〜ってか、お前…なんでこんなとこいんの?」
「吃驚した?」
「うん! 吃驚した。だってお前…親と一緒にシカゴに行ったんじゃ」
「そのつもりだったけど、止めた」
松野は笑いながら事も無げに言った…が、透太は中学を卒業する時、松野にはもう二度と会えないかも知れない…。
そんなふうに思って密かに涙を流した。なぜなら、松野は親と一緒にアメリカに行く事が決まっていたし、松野自身が、
『高校大学と向こうで学び、日本に帰ってくるとしても何年も先。もしかしたら帰って来ないかも』
そう言っていたから。なのに、その松野が目の前で笑っている。一体何があったのか…。
それでも一番仲の良かった懐かしい顔に、もう一度会えた事が透太はとても嬉しかった。

「折角、向こうで入学出来る事が決まっていたのに。お前の夢だったんだろう? 向こうの大学に入んの」
「うん、それは今も変わらないよ。でも…もっと大切なものを見つけたからさ」
松野は簡単にそんな事を言うが、透太にはその意味が解らず。だから、解らない…の顔で聞き返す。
「大事なもの? それって…夢よりも大事って事か?」
「そうだよ。留学はいつでも出来るけど…その大切なものは、後になったら手に入らないかも知れない。
だからそっちを優先する事に決めた。だから、俺だけ叔父さんの家に置いてもらって高校に通っているんだ」
松野はそう言うと、何の迷いも無い顔でにっこりと笑った。

「ふ〜ん…そうなんだ。やっぱり松野って凄いな。俺なんか何にも考えてないもんな。
ただ寝て、起きて、飯食って、学校行って…毎日がそれの繰り返しで、親には中学の延長だって言われてる」
「良いんじゃないかな、それで。今に、嫌でも考えなくちゃならない時が来るよ。
それまでは、ただ楽しく今を過ごす。周りの大人は、高校生になったんだから…って言うけどね。
でも…中学の延長は、自分にとって大切な何か見つけるための過程。それで良いと思うよ、僕は」

「そうかな…」
「そうだよ…俺が言うんだから、それで良いんだ」
松野は中学の時と同じように自信たっぷりに…当然だ…とばかりに大きく頷いた。そして透太はといえば、
「だよな! 松野が言うんだから、それで間違ってないよな!」
単純かも知れないが、本当にそう思った。

【松野が言う事で間違っていた事なんて何ひとつない。それに…関係ないけど、松野は超に3乗が付くほど頭が良い。
とても優しい。でも、優しいだけじゃなくて間違いは間違いとはっきりと言い、透太が納得できる答えを見つけてくれた。
だから…ある意味親や先生より頼りにし、心から信頼し自分と同じ中学生でも尊敬していた。
そんな松野が言うのだから…中学の延長でも良い…そ の言葉も信じて良い本当の事だ】
それは頑なと思えるほど、何の疑いも無い透太の真実だった。そんな透太に、松野が何か思いつい たような顔で言った。

「ねぇ、生垣。今度うちの高校で学校祭があるか らさ…来ないか?」
「学校祭? それって学園祭の事か? そう言えば、松野は何処の高校に行ってんの?」
「俺は、明鵬に滑り込んだけど…生垣は公立だったよな」
「うん、家の直ぐ側。俺、朝が全然ダメだからさ、進学するなら一番近くの高校って決めていたんだ。
だけど…松野が明鵬だなんて信じられないな。だって、松野は超に3乗が付くほど頭が良いんだからさ。
いくらでも上の高校狙えたのに…なんで明鵬なんだ?」

別に友人がどんな高校に入学したとしても、あまり気にもしない透太だったが、松野だけは別だった。
なにしろ、透太の頭の中で松野と超の3乗は切っても切れない関係で、松野だけは自分よりはるか先、
上を目指して進んでいくのが当たり前…そう思っていた。だから…明鵬と聞き、信じられないと言うのが本音だった。
それが表情に出たのか、松野が口元に笑みを浮かべ眼鏡の奥の眼を細めた。

「そんなことないよ。二次募集ぎりぎりだったし、それに…俺なりに考えて決めた高校だからさ。
たとえ何処に入っても楽しくなかったら、頑張って勉強して入った意味無いよ…そうだろう?」
「そっか…そうだな。じゃ松野は今、楽しいんだ」
「うん、最高…かな? あそこには、俺の大切なものがあるからさ」
松野はそう言って本当に嬉しそうに笑い。その笑顔は、透太が知っている松野の顔で一番幸せそうで…輝いて見えた。
そしてその時、松野がちょっとだけ大人に見えて…透太は、寂しいと言うよりちょっとだけ羨ましかった。

【そうか…大切なものを見つけると、こんな笑顔で笑えるんだ。
俺もいつか…大切なものを見つけたら…こんなふうに笑えるのかな】

たった何駅かの間でも懐かしい友人との語らいは楽しく、透太の鬱々としていた気分を晴らしてくれた。
そして松野と再びの再開を約束して、透太は自分の家へ帰る為電車を降りた。
さっき駅に残してきた理玖の事などすっかり忘れ、足取りも軽く…晴れやかな気分で…家の前に付くと。
玄関先に、むっつりと不機嫌そうな顔をした理玖が待っていた。

そして、あっ…あれ? 電車に乗れなかったのに、何で先に着いているの? 透太は不思議に思 い、 
理玖は、透太の疑問符もお構い無しで、透太の顔を見るや否や不機嫌そうな顔と同じ不機嫌そうな 声で言った。
「いままで何をしていたの? 誰かと会っていたの?」
何言っているんだよ、電車で真っ直ぐ帰って来たのに…。お前こそ何で電車より早く着くんだよ。空でも飛んで来たのか。
透太はそう思いながら、それでも理玖の無視を決め込み、玄関を開けると真っ直ぐに自分の部屋に向かった。
それなのに理玖は、透太の後にくっついて来ながら一緒に部屋にまで入り込んで…何度も同じ言葉を繰り返す。

「ねぇ、とうちゃん…答えてよ。何やってたんだよ。誰と会ってたの。ねぇ、とうちゃんってば」
そして理玖のしつこさにいい加減うんざりした透太は、今こそ積年の不満をぶちまけてやろう…そう思い、
「いい加減にしろよ! 俺は理玖の所有物じゃ無いぞ! 俺が何処で何をしようが、理玖には関係無いだろう。
それに…その「とうちゃん」って呼び方止めろよ! まるで俺が、お前のオヤジみたいに聞こえるだろう!!」
常日頃から嫌だった、理玖が自分を呼ぶ、呼び方にまで文句を言う。それは結構な剣幕で、透太自身驚くほど大きな声で。
そして、その勢いに驚いたのか…それとも…。理玖がぽかんとした顔で透太を見つめ、

「なんで、とうちゃんが僕のオヤジになるの? とうちゃんは、僕の旦那様になるんだろう?」
と、トンチンカンな…否、聞き違いと疑うようなとんでもない返事を返した。

「はぁ? お前何言って…なんで俺がお前の旦那になるんだよ」
「だって僕は、透ちゃんの嫁さんになるんだから…透ちゃんは、僕の旦那様になるだろう?」
冗談にもならないその答えに、透太は呆れるを通り越して声も出ない。
それなのに理玖の顔は…どういう訳か真剣そうで、それなのにニコニコと嬉しそうにも見えて。
それは透太にとって、理解の範疇を超える事に他ならず…だから思った。こいつ…絶対頭おかしい…と。

「……………。お前頭でもぶつけたのか。お前の言ってる事全っ然意味解んねし、変だぞ。
なんで俺が、自分より図体のデカイ嫁を貰わなくちゃならないんだ? って言うより、お前男だろう。
俺だって男だぞ。世界中何処を見回したって、嫁さんは可愛い女って決まっているだろう」
言いながら一瞬宮坂真由里の顔を思い浮かべ、そして心密かに思った。
たとえ自分の隣に並ぶのが宮坂真由里でないとしても、自分より大きな理玖よりは、女の子が良い…と。
そんな透太の心中にも気付かない理玖は、透太の理解から外れながらも真面目な顔で言う。

「なに言っているの? えっ…まさか、忘れてるの?」
「忘れてるって……何を」
「あーーー! やっぱり、忘れていたんだ。それって酷いよ。ちゃんと指きりまでして約束したのに」
そしてなぜか、寂しそう?…に肩を落した。

「は? 約束? 指きり? 何寝惚けた事言ってんのお前。俺はそんな約束……」
透太は其処まで言って…そして、唐突に思い出した。幼かった頃の、小さな約束とも言えない約束を。
「あ……うそ…まさか…あの時の事か?」
「そう…あの時、透ちゃんは僕に言ったじゃないか。僕を嫁さんに貰ってくれるって」
まさか…ずっと忘れないでいたなんて。それも…結婚の意味を理解できる年になっても、あの約束を守ろうなんて。
やっぱ…こいつ、頭おかしい。


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