死んでみて判る意味



「大崎!! おおさきーーー!!」俺は大声で叫びながら、四階まで駆け上がる。
大声を上げて相手に気付かれるかも知れないとか、邪魔が入るかも知れないとか、
そんな事を考える余裕も無くて、ただ一秒でも早く大崎の側に、
あいつの無事な顔を…俺の頭の中にはそれしか無かった。

そして、目当ての店の前に付くと息つく間もなくドアを開け、中に飛び込んだ。
営業している時にはあっただろう椅子もテーブルも取り払われ、がらんとした店内は思っていたより広く。
それなのに白日の下では、享楽の残滓をこびりつかせて妙に薄汚く見えた。
その中で目に飛び込んできたのは…後手に縛られ、上半身裸で床に転がっている大崎の姿だった。
俺は、転がっている大崎の側に駆け寄り、ぐったりとしている身体を抱き抱えると。

「おおさき!!」
何度か大崎の名前を呼ぶ。すると俺の声が聞こえたのか大崎が少しだけ苦痛に顔を歪めた。
大崎の身体には、胸や背中と至るところに蚯蚓腫れのような傷がいくつもはしり。
そこから滲んだ血で俺の服は所々赤く染まった。それなのに俺は、大崎の歪んだ顔を見て、
変な話だが…大崎が生きていた…良かった。それだけしか頭に浮かばなかった。

だからほんの少しの間、その命を確認するように大崎の温もりを抱きしめる。
すると大崎が微かに目を開け…目に俺の姿をとらえると一瞬驚いたような顔をし、それから
「わりぃな…約束…守れなくて」 そう言って、唇をゆがめて笑った。
「バカ! 何言ってるんだ!! こんな目にあって約束も何もないだろう。
でも…もう大丈夫だ。今解いてやるから、しっかりしろ」
俺はそう言いながら大崎を縛ってあるロープを解こうとしたが、ロープはめちゃくちゃ固く。
ちょっとやそっとでは解けそうも無かった。

もたもたしていたら、いつあいつらが来るかもしれない。
だから今は一刻でも早くこの場から逃げる方が先。俺はそう決心すると、
「悪い。このロープ、なんか解けそうにないからさ。外に出て、それからゆっくり解いてやる。
だから、今はとにかく逃げよう。立てるか?」
大崎の縛られている腕を掴んで立たせようとした。だが大崎は俺の手から逃れるように身体を捩り、
床に転がると不自由な体制のままドアの方に顔を向けた。そして、
「いや、俺はいい…お前はさっさと此処から離れろ。もう直ぐ、またあいつらが帰って来る。
そしたら、今度はお前まで捕まっちまう。だからその前に、早く此処から出て行け」
そう言って俺に此処から立ち去るように促した。

大崎が逃げないと言う事は、逃げられない何かがあるのだろう。一緒に逃げると、俺に不都合な事が。
だから逃げようとしない。今だから判る…お前はずっと、そうやって俺を守ってくれていた。
いつだって俺の為に自分の身を挺して…俺は自分で気付かせないまま。
そして俺はそれに気付かないまま、ずっとお前に守られていた。だから、今は俺がお前を護りたい。
護れないならお前と一緒に……。俺は覚悟を決めると、大崎の顔を真っ直ぐに見つめ怒鳴るように言った。

「嫌だ…お前を此処に残して俺だけ逃げるなんて、そんな事出来ない!
死んでも嫌だ!! 逃げるなら一緒だ。そうでなかったら、俺もお前の側にいる」
「お前、何言って…」
大崎が言い終わる前に、誰かの声が背後から聞こえた。振り向くと入口に男が二人立っていて、
一人はすぐさま中村だと判った。そしてもう一人の男は…多分、○×組の中頭。

妙に、整えられた服装に、絶えず笑みを浮かべているような口元。手には気障ったらしくステッキを持って。
そのくせ、目だけは異様な光を帯びて…こいつは爬虫類だ。俺は思わず身震いをした。
その中頭が、音も立てず近づいてくる。その後ろに従うように中村が続き。
そして中頭は俺の側まで来ると、やはり舐めまわすように俺を見ながら、きもい口調で言った。

「おや、これはまた随分と可愛らしい子ネコが迷い込んで来たものだね。
大崎の知り合いのようだが、無駄だよ、そのロープは解けないだろう?
それはね、特殊な縛り方で…素人には解けないのだよ。
それに、もし解けたとしても、大崎は歩けないからね。君じゃ、大崎を抱えて逃げられないだろう」
愉悦を含んだ声と狂喜を宿した目が、俺の背筋に戦慄を走らせ、正直…こいつはヤバい…そう思った。
それでも俺は中頭を睨みつける事で、その恐怖に精一杯の抵抗で怒鳴るように言う。

「歩けないって、大崎に一体何をしたんだ!」
「可愛い顔に似合わず、威勢がいいね。でもまぁ、その強がりも、もうすぐ泣き顔と悲鳴に変るだろうけどね」
湿った声が、吐く息が、ちろちろと蛇に舐めまわされるようにまつわりつき、
俺は逃げ出したくなるのを必死に堪え、中頭を睨む事で萎えそうになる気力を奮い立たせる。
そして中頭の手が伸び、俺の顎にかかろうとしたその時、大崎の怒鳴るような声が聞こえた。

「やめろ!!こいつは関係ない!間違って入って来ただけだ。だから、頼む…帰してやってくれ。
俺の事は好きにしていい。だから、そいつには手を出さないでくれ。この通りだ…頼む」
大崎はもがくようにして俺の側から離れ、頭を床に擦りつけるようにして中頭に懇願する。
そんな大崎を見る中頭の目に、歓喜の色が浮かぶのが見えた。

「おや…君がそんなに顔色を変えるとは。そうですか…この子を酷い目に合わせるのが、
君に与える最大のダメージという事ですね? それじゃ、ちょっと試させてもらいますよ。
中村…この坊主を、ちょっと可愛がってやりなさい」
中頭の言葉に、中頭と並んで立っていた中村が俺を見てニヤリと笑い。
「此処で、やっちゃって良いんですか?」 と聞いた。

「出来るだけ、大崎に見えるようにして、可愛がってやりなさい」
中頭の言葉に、中村はゴクリと唾を飲み込むと俺に近づき、いきなり俺の腕を掴み胸に引き寄せた。
「やめろ! 触るな!!」
俺はその腕を振り払うと中村の脚にけりをいれ、怯んだ隙に鳩尾に膝をめり込ませる。
中村は、その痛みに膝を落し鳩尾を両手で押さえながら、形相を変え俺を見上げた。
「てめぇー! このくそガキ!!」
口元を腕拭いながら悪鬼のような形相で立ち上がり、ポケットに手を入れると、
再び出した手には折りたたみのナイフが握られていた。そしてそのナイフを開き刃先を俺に向ける。

「中村…そんなものを出したら面白くないだろう。殺しちゃだめだよ…いたぶらないと、効果がないだろう。
坊主、おとなしくしないと大崎を痛めつけるよ。足だけじゃなく、なんなら腕も仕えなくしてやろうか?」
中頭は大崎に近づくと腕を縛っているロープに持っていたステッキを捻じ込みそれを捻りあげた。
大崎の顔が苦痛に歪み、歯を食い縛った口許からツーッと一筋赤いものが伝った。
その一筋の赤に、声こそ出さないもののぎりぎりと歯が擦れる音が聞こえたような気がし…俺は、
人の苦痛が自分の苦痛にも勝る事があるという事を知った。

「やめろ!やめてくれ…抵抗しないから…それ以上大崎に何もするな」
中村が俺の頬を一発張ると乱暴に俺を引き寄せ、にやりと笑う。
「坊主…これからお前に、男の味を嫌と言うほど教えてやるから覚悟しな。
入れ代わり立ち変わりで寝る間もないくらい突っ込まれりゃ、そのうち男無しじゃいられなくなる。
自分から尻を付き出すようになるってものよ。そうすりゃ、立派なおとこ妾になれるからな…」
にやけた顔でそう言うと、中村は俺の服に手をかけた。

「やめろ! やめろおーーー!!!触るな! そいつに触るな!!」
大崎の悲鳴のような声が響き…中頭の狂気じみた笑い声がそれに重なる。
そして俺は、中村の手がシャツの中に滑りこむと同時に目を閉じた。
これから自分の身におきるであろう事がおぼろげに解っても、大崎がこれ以上酷い目にあうよりはずっと良い。
だから、どんな事でも耐えられる。ただ…大崎の呻くような声だけが頭の中で鳴り響き。
それなのに、シャツから引きちぎられたボタンが、床に転がる音がやけに大きく聞こえた。


「は〜い、そこまでにして欲しいね。正直、あまり良い見世物ではないからさ、なんかヘドがでそうなんだよね」
凛さんの不機嫌そうな声が聞こえ、俺は一瞬で全身の力が抜けて行くのを感じた。
「なっ、なんだ!テメェ!!」
中村が、ギョッとしたように声のした方に顔を向け、そこに立っている凛さんを見ると、
一瞬呆けたように口を開いたまま、俺の服の中に入れた手を慌てて引っ込めた。

それが不満という訳ではないが、中村のその動きは、何なんだ?こいつ…。
そう思えるほど間抜けていて酷く滑稽な動作に思え…俺は、中村を蹴飛ばしたいとも思った。
だが、中頭はと言えば、流石?余裕めいた表情で、凛さんに向かって笑みさえ見せて。
「これは、これは…また、随分と見目麗しい猫が、
こんな処に首輪も付けずに現れるとは、迷子にでもなったのですか?」

「ありがとう。生憎僕は、誰かの飼い猫というわけではないんだよね
反対に、そこの二人は僕の玩具だからさ、折角お楽しみの処悪いけど返してもらうよ。
楽しいんだよね、そうやって遊ぶと…でも僕は、自分の玩具で人に遊ばれるとムカつく性質なんだよね」
男の揶揄に怯むどころか、反対に中頭を挑発するような口調で言うと艶然と笑う。
だが、その目は笑みどころか、これ以上無いほどの不快な色に満ちていた。

凜さんは多分…俺と同じくらいか少し年上だと思う。
でも身体は俺より華奢で大凡喧嘩などした事もないのでは…そう思えるほどか弱そうに見えた。
それなのに口から出る言葉は、挑発的でめちゃくちゃ自信満々そうで。
こういう場面では逆効果なのでは…と、本当は心配になりそうなのだが、不思議とこの黒崎凛という人は、
この人なら……何の根拠もなく俺をそんな気にさせた。

それでも人を人とも思わぬ言葉には、大いなる感謝は別にやはり些かムッとしながら、
お、玩具? 俺はあんたの玩具になった覚えはないぞ。
俺は、凛さんのこの上なく不機嫌そうな顔を見ながら心の中で文句を言い、シャツをズボンの中に押し込んだ。
そんな俺に向かって凜さんは、今さっきまでの不機嫌そうな顔は何処へ…と思えるほどにこやか笑顔で、
「こっちにおいで…イッチー」 俺を手招きで呼ぶ。

【だから…俺は犬じゃないって】
そう思いながら、なぜか俺の足は素直に凛さんの方に向かい。側まで行くと凜さんは、
「駄目じゃないか勝手に飛び出して。
変な人に捕まったら、怖い処に連れて行かれて二度と帰ってこられなくなるよ]
そう言いながら俺の頭を撫で…俺は、飼主に叱られた犬のようにシュンとしてしまい。
「…すいません…」 小さな声で言った。

「おや、貴方の飼いネコだったのですか。それなら、きちんと首輪をつけて躾をしておかないとですね。
ノラに擦り寄って行く悪い仔になりますよ。今日の処は、飼主に免じて放してあげますが、
次に見かけたら容赦しませんからね、よく言い聞かせておくんですね」
中頭は薄笑いを浮かべ、凛さんの顔から脚の先まで舐めるように視線を這わせ。
途端に凜さんの表情は、さっきまでより一層不機嫌そうに変わる。そして、如何にも小ばかにしたような口調で言った。

「僕はそういう趣味は持ち合わせていないから、躾も首輪もしない主義なの。
それと…其処に転がっているノラ。うちの仔のつがいだから…それももらって行くよ」
如何にも小ばかにしたような口調で大崎まで連れて行くと言われ、あほ面で凜さんを見ていた中村も、
流石にこれは一大事と思ったのか、慌てたように中頭へのごますりを始める。

「はぁ? えらく美人の兄ちゃんよ、何ほざいてんだ? 黙って聞いてりゃ勝手な事ぬかしやがって、
それは中頭のもんだぞ。お前の勝手にできるもんじゃねぇ事を俺が教えてやろうか。
そのお高い鼻っ柱が折れて、ひぃひぃ泣く顔も見ものだろうよ」

「お前、本当にバカなんだね。僕がお前なんかを相手にすると思っているの?
そんな頭だから、土産付でもないとこんな虫唾のはしる変態にも相手にされないんだ。
言って置くけど、その腐れ外道は大した価値も無い男だよ」
凜さんのその言葉に、今度は中頭の顔がピクリと動き途端に目つきが凶暴な色に変った。
そして言葉使いまでも、如何にもヤクザ丸出しといった態度に変わる。

「いい度胸だな…俺に向かって腐れ外道とは。折角帰れるチャンスを与えてやったのに、
それをみすみす棒に振るとは、度胸が良いのを通り越して大バカ者だったようだな。
まともな姿で、生きて帰れると思うなよ。 纏めて繋いでやるから。おい!下から何人か呼んで来い!!」
と…凄んだ割には情けなくも、中村に向かって助っ人を呼びに行くように言った。すると中村が、
「はっ、はい!」
返事と共にニヤッと笑い、ネズミのような素早さでドアに向かう。

その卑屈そうな背中を目で追い、それこそ素人相手にヤクザが助っ人かよ…と、思いながらも俺は、
今度こそただでは済まないだろう…死ぬかも知れない…と思った。
そして、一度死んでいる俺がもう一度死ぬ。そう思った時死が俄かに現実味を帯びて目の前に迫り。
それでも不思議と、大崎だけは護りたい…その想いは確実に俺の中にあった。
たとえこの身を盾にしても大崎を護らなくては。その為に与えられたチャンスなのだ。
もしかしたら…俺はもう一度死ぬ為に生き直しているのかも知れない…そんな気がした。

だが…神さんという奴はやはり気まぐれなのか、俺の健気な覚悟も無意味と判断したのか。
中村がドアを開いた途端、そこに一人の男を用意していた。
何処からどう見てもこんな場所に不似合な、強いて言えばできるサラリーマン?ふうの男。
その男にぶつかりそうになった中村は一瞬怯んだ後、相手が一般人と見るや否や悪人面で脅すように言う。
「なんだ、てめぇ。ここは、立入禁止だ、帰れ!」

だができるサラリーマンふうの男は、そんな中村の剣幕にも表情ひとつ変えず。
「私の弟がじゃまをしているようだが、其処にいるのかね」
丁寧な口調で言った。そしてその声に一番反応したのは、凜さんだった。
凜さんは音がしそうな勢いで振り向くと、俺の事など忘れたかのように脱兎の勢いで男に駆け寄り。

「兄さん! なんだ、やっぱり来たんだ。もう、来なくても良いと言ったのに」
言葉とは裏腹に不機嫌もどこかに吹っ飛んだように顔を綻ばせ、其処に居た中村を押しのけ男に抱きついた。
すると男は、片腕で抱きとめた凜さんをこれ以上無い優しい目で見つめ、凜さんの頬にチュッとキスをすると。
「お前はいつも勝手に厄介事に首を突っ込むから、私の寿命は縮む一方だよ。
頼むから、一人で先走るのだけはやめてくれないか」
弟にと言うより愛しい恋人に囁くような優しい声で言う。そして凛さんも…。

自分より一回り以上大きな男の腕の中で、嬉しそうに笑うと。
「ごめんね、兄さん。でも、ちょっと急いでいたからさ。でもこれからは、兄さんの指示を待つようにする。
だから、今日だけはごめんなさい」
甘ったるい声を更に甘くして殊勝な事言い。俺は、やはり口を開けたまま頭の中で突っ込む。

【おいおい! ホモげぇーな世界を作ってんじゃないよ。
しかし、男同士でも絵になる二人だな。それに、ああして甘えている凜さんはメッチャ可愛いかも…】
等と…黒崎凛の別の顔を見ながら俺は一瞬大崎の事も忘れていた…が。
流石は兄弟。弟が弟なら兄も兄だと思い知ったのはその直後だった。

「ところで、凛…其処にいる二人はお前の知り合いなのか?」
「うん、こっちが僕の知り合いで、そっちに転がっているのがこの仔の知り合い。
だから、二人共連れて帰りたいのだけど、転がっている方が動けないみたいなんだよね
あんな大きなもの僕じゃ運べないからさ。誰か呼ぼうかと思っていたんだ」
こっちとか転がっている方とか…俺達は本当にあんたの玩具かよ! そう言いたくなるほど、
俺と大崎は凜さんに物扱いされているような気がしたが、凛さんの兄もそれは同じだった。

「そうか…あの大きさはお前では無理だね。
それじゃ、転がっている方は私が担いでいくとしよう…それでいいのか?」
「うん、ありがとう兄さん。じゃ、イッチー帰るよ…それは、兄さんが運んでくれるって言うからさ」
全く…運んでもらえるのは嬉しいけど、大崎は荷物かよ。
俺は感謝しながらも、正直この状況でそれはちょっと厳しいんじゃ…そんな心配をしていた。
と言うのも、いつの間にか中村が下に人を呼びに行ったらしく、
二人の後ろには、人相の良くない連中が何人か入口を塞ぐように立っていたから。

そのうえ中頭までも…加勢が来た事で気を良くしたのか今度は凛さんの兄に向かって。
「君の弟は、ひじょうに無礼な奴だな。少しお仕置きをさせてもらおうと思っているんだがね」
まるで水を得た水中蛇のように…嬉々としてそんな事を言った。


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