死んでみて判る想い




タクシーから降りてその家の前に立った時、そのあまりにも立派な門構えに足がすくみ、
屋敷全体を取り巻く、何とも言いようのない空気に息が詰まるような気がした。
そして、情けなくもインターフォンのボタンを押す指が、微かに震えているのが自分でも判った。
だから、自分で押しながら音がしたのかどうかも判らないでいる俺の耳に聞こえてきたのは、
「だ〜れ……」
かったるそうな、投げやり口調の妙に甘ったるい声。そしてそれとは対照的に、
インターフォンに口をつけるようにして言った俺の声は、酷くしわがれて聞こえた。

「あ、あの…凛さんに……黒崎凛さんに会いたいのですが」
「凛は僕だけど…お前誰? 僕はお前なんか知らないよ」
やはり、どうでも良さそうに答える凛さんは、今にもインターフォンを切ってしまいそうな雰囲気で。
俺は慌てて答える…が、何を如何説明して良いのか判らず、
「あっ、あの、お願いです、助けてください。貴方にしか出来ない事なんです。
だからお願いします。助けて下さい」
ただ同じ言葉を繰り返すしか無かった。すると、インターフォンは切られないまでも、
聞こえてきた凛さんの声に、どうでも良さそう…に不機嫌が加わった。


「お前さぁ、いきなり何を言ってんの。大体、お前誰よ。人の家にいきなり押しかけて、助けてくれなんて。
なんで僕が、見も知らないお前を助けなくちゃいけないのさ、帰れよ」
そう言われ、断わられて当然と思いながらも俺は、この人以外今の俺を助けてくれる人はいない。
この人なら…なぜかそう思えた。だから、必死に訴え続ける。
「貴方にしか頼めないんです。 お願いです、会って、会って話を…聞いて……」
それなのに、インターフォンからは不機嫌オーラまで溢れ出し。

「………。もう…お前…しつこい!」
そう言うと凛さんの声はプツリと切れてしまい、後はもとの静寂。
それでも俺は、何度でも…会ってくれるまで…そう思って、何度も繰り返し押し続けると。
相手は出るどころかそのうち電源もきられたようで、うんともすんとも言わなくなった。
そして…目の前の大きな門が、内側からゆっくりと開き。
前にも増して、甘く匂うような空気を纏った黒崎凛が、其処に立っていた。

艶やかな、深紅のバラのような人だと思ったあの時の印象は、今もそのまま変らず、
濡れているような黒い瞳が俺をじっと見つめ、不機嫌そうに閉じた唇から、やはり不機嫌そうな。
どうでも良さそうな、それでいてそれに似合わない甘ったるい声が漏れる。

「お前しつこいよ…それに、お前…何者?」
「俺は…俺は、市原夕貴です、前に何度か貴方に会った事がある市原夕貴です」
俺は無意識に、死ぬ前の自分の名前をなのっていた。すると凛さんの顔に、ちょっと驚いたような色が浮かび。
それから、俺の頭のてっぺんから足の先まで視線を這わせると…ふふん…というような顔で笑った。

「お前、イッチーか…なるほどね。だったら、最初からそう言えば良いのに、名前も言わないで、
助けてくれの連呼はないだろう。ホント、おバカだね。でも…事情があるってことなのかな。
まぁ、いいや…僕に付いておいで…」
凛さんはそう言うとくるりと向きを変え、俺にお構いなしって感じでさっさと屋敷の中に入って行く。
そして、俺が凛さんに続いて門の中に入った途端、俺の後ろで大きな門が音も立てずゆっくりと閉じた。

俺は、学校とお寺以外、こんなに広くて長い廊下の家はみた事がなかった。
だって、横に並んで歩けるなんて…見た事も聞いたことも無い。
俺の今の家は普通の家庭だが、廊下はほんの少しで、もちろん人が横に並んでなど歩けない。
勿論、旅館など行った事もなかったので、テレビや雑誌で見たことのある、なんとか旅館とか、
なんとかホテルっていうのが、たしかこんなだったな…そんな事を考えてしまい。
思わず自分が何しに来たのか忘れそうになる程、黒崎凛の家はでかかった。

家の中は、シンと静まり返っていて、人の姿は見当たらない…が、
ピンと張り詰めた空気は、それ自体が凶器かと思えるくらい肌を突き刺してくる。
気配で人が殺せるとしたら、俺はこの家に足を踏み入れた途端死んでいるだろうと思った。
まぁ、俺は死んでいるわけだから、もう一度死ぬとは思えないが、それでもやはりこの家は恐ろしい。
間違っても、盗みになど入れないだろう…としか言いようがなかった。

決して誰も居ないのではない。ただ姿を見せないだけで、凛に何かあれば一斉にその姿を表し、
襲いかかってくるのだろうと思った。情けないが、俺は無意識に自分の腕を擦っていたらしく、
それを見た凛さんがくすっと笑ったのが判った。そして、誰に言うともなく言う。
「しょうがないね、別に何でも無いって言っているのに。 もういいよ、この子は僕の友達だから」
その声に、張り詰めていた空気が一瞬で和らぎ…俺の毛穴から閉じ込めていた緊張が噴き出すのを感じた。

凛さんに連れて行かれた部屋は、屋敷の中でも一番奥にあって、
俺の家の一階全部ぐらいもある窓のない箱のような部屋が、壁一面機械で埋め尽くされていた。
そしてその機械だらけの部屋と、ガラスで仕切ってある手前の少し狭い部屋には、
ソファーベッドとテーブル。それと、業務用かと思えるようなばかでかい冷蔵庫が置いてあり、
テーブルの上には、呑みかけのお茶と、不細工な、クッキーだかケーキだか判らないものが載っていた。

凛さんは、そのブサイクなケーキの載った皿を俺に渡すと
「食べる? これ、美味しいよ。今、お茶ぐらい入れてあげるからさ、其処のベッドにでも座りなよ」
と言って、ばかでかい冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出すと、それをそのまま俺に渡してよこした。

普通、こういうのはお茶を入れるとは言わないんじゃ…俺はそう思ったが、
緊張したせいか喉がひりひりしていた俺は、黙ってケーキをテーブルに戻すと受け取ったそれを飲んだ。
すると、ぺたりと床に座った凜さんが、俺の戻したぶさいくなケーキを指で摘み自分の口に放りこむ。そして、
「ケーキ、美味しいのに…お前って、面くいなんだね…」
と言って不満そうな顔で俺を見た。その表情が、嫌味な程艶やかなこの人からは想像もつかない、
拗ねて膨れている子供のようで、本当に…訳が分からない人だと思う。

それでもこの人は、パソコンを扱ったら他に類を見ない天才で、 巨大企業の情報管理を担っているのだと言う。
まぁ、俺は見たわけじゃないから、信じるには吝かではないが、本人が言うのだから本当なんだろう。
でも…こんなグータラそうな姿を見ていると、なんだか少し不安…な気がしてきて俺は押し黙ってしまった。
そんな俺に、凛さんは事も無げに、普通なら思いもしないだろう事を言った。

「お前…どうしてそんな姿になっているの? もしかして…死んじゃったのかな?
でも…取りあえず今は、生きているみたいだね…良かったじゃないか。
お前は、前も可愛かったけど、今のお前もなかなか可愛いよ。だって、本質は変ってないようだからね。
僕はどっちのお前も好きだな。だから、お前の頼みを聞いてあげるよ…僕に何を探させたいの?」
凛さんの言葉は、どう考えても普通ではないのに、俺にはとても自然で優しく聞こえた。

だから俺は、全部正直に話した…勿論、死んでしまったのに、チャンスとかを与えられ、
こうして別の人間として生きている事も、それが…大崎のおかげだったと言う事も…全部話した。
凛さんは、俺の話を黙って最後まで聞いていたが、俺が話し終えると真っ直ぐ俺を見つめて言った。
「そう…凄いな。人の想いは、時として神すら動かし…奇跡をも生み出す……か。
それで? お前はその男に何をしてやるつもりなの?」

「……ありがとうって…言いたい。大崎のお陰で俺は、救われたような気がする。
自分が産まれてきたのは…生きていたのは無駄じゃなかった…そう思えたのは、
大崎が、俺を大切だと思ってくれた事が判ったから。だから…大崎には、ずっと笑っていて欲しい。
俺にはもう、あいつを大切にしてやる事は出来ないけど、俺があいつの事を大切に思う分まで、
自分を大事にして欲しい。 俺が、一杯一杯思うから…あいつがいつも笑っていられるようにって。
幸せになれるようにって…そればかり願うから…幸せに……笑って…」
言っている俺の目から涙が零れてくる。格好悪いと思うのに、後から後から溢れてきて…。
俺はとうとう喋れなくなってしまった。そして…やっと気付いた…俺が大崎を嫌いだった訳に。

あいつは、いつも俺の事を安心させた。自分の殻を脱ぎ捨てても、あいつの側なら安心できた。
俺にはそれが不安だったのだと、あいつの前で無防備になれる自分を認めたくなかった。
大崎を好きになるのが怖かったんだ。だから、あいつを嫌いだと思う事で、俺は自分を守り続けた。
本当は、とっくに好きになっていたのに…俺って…どうしようもない……だ。
今更悔やんでも遅いのに、ただただ、自分の愚かさが悔しかった。

「イッチー……。いいよ、探してあげる。彼の携帯は電源が入っているんだね。
だったら、探せるから…心配要らないよ。あと、その変態とゴキブリもまとめて処分してあげる。
強力な殺虫剤持っているからさ。潰して二度と動けないようにしちゃおう」
凛さんは、とても優しい声でそう言うと、これから楽しい遊びでもする前のように目をキラキラと輝かせ、
二三電話を掛けると奥の部屋に入って行った。

俺にもう一度大崎に電話をかけさせ電源が入っているのを確認して、大崎の居場所を探すのだ言うが、
素人に、そんな事ができるのか。少しだけ不安になった俺に、
「此処だけの話だけど、世界は知晴の手の中だからね…。僕に探せないものはないんだよ。
でも、探しても手に入らないものもある。だから僕は、自分の為に何かを探す事はしない。
あ〜ぁ、イッチーが男だったら、僕がもらうのにね…残念だな」

等と、益々訳の分からない事を言う凜さんは…僕から見ればやっぱり謎の人に他ならないと思った。
でも、凛さんの言った事が、嘘ではなかった事が証明されるのに時間はかからなかった。
ほんの僅かの時間で、大崎の今いる場所が特定され、俺は礼を言うより先に部屋を飛び出していた。
廊下には、この家に入って来たときに感じた気配は無いものの、やはりドタバタと走るのは憚られ、
俺は、急く気持ち抑え出来るだけ音を立てないように玄関に向かうと、
きちんと揃えてあった俺の靴に、履くのももどかしく足を突っ込むと外へ出た。

すると俺の目の前に、大きな黒塗りの車がスーッと寄って来たと思うと、車から降りた人物が、
車の後ろから回りこみ、後部座席のドアを開いた。
そして、俺の後から出てきた凛さんが、俺を押すようにして車に押し込み、続いて自分も乗り込んだ。
それを待っていたかのようにドアは外から閉まり、動いた事も気付かないほど静かに走り出す。

「全く、しょうがないね…お前一人で乗り込んでどうするのさ。どうやら○×会の変態も一緒らしいよ。
そうなると、素人のお前には手に余る状況になっているからね。
助けるどころか、反対にお前も?まって、輪わされてお終いだよ」
凛さんが俺の隣で呆れたように言い、俺はその言葉に少なからず…と言うより多いに違和感を覚えた。
だから、一応凜さんの言葉に反論を試みる。

「輪わされる…って。俺、男だけど」
途端、運転席の男が、くすっと笑ったのが判った。
「馬鹿だね…僕やお前のようなタイプは、男でもある意味女より魅力的だって事。判った?」
そんな事を言われ、フェミレスで聞いた男たちの言葉が俺の脳裏を過ぎった。そして
「はぁ…あんま、良く解からないけど、なんか嬉しくない」
俺は、露骨に嫌そうな顔で言う。 すると、今度は凛さんが隣で腹を抱えて笑った。


凛さんが指定した場所は、以前俺も一二度入ったことのあるビルで、一階はネットカフェ。
確か二階が俗に言うサラ金で…と言っても闇金らしいが…その上三階四階は風俗の店になっていた。
そして、その四階の店が、俺が死ぬ直前に潰れたとかいっているのを聞いたような気がする。
普通の人間はあまり知らないかもしれないが、サラ金は勿論上の店も○×会の息のかかった店で、
少しでも、あのあたりの情報を耳にしている人間は、あまり近づこうとしないビルのひとつだった。

「そうか…あの潰れた店なら、人に知られないで大崎を監禁しておけるかも知れない。
だって、店の鍵は○×会の人間が管理しているらしいから、普通の人は誰も近づかない」
反対側に止めた車の中から、ビルの四階を見上げ其処にいるだろう大崎を思い、呟くように言うと。

「そうだね、この建物は○×会の物だからさ、入っている店舗も、ほとんどが奴等と何らかの繋がりがある。
何があっても、みなかった事になるし聞かなかった事になるからね。監禁には一番適している。
奴らはまだ中にいるらしいけど、どんな状況かまでは確認できなかった。
さっき、兄さんに連絡を入れたから、もう直ぐ指示があると思う。だから、ちょっと待っててくれないかな…」
凜さんの言葉が終わる前に俺の手はドアにかかり…勢いよく開く。そして、

「あっ!イッチー 待って!!!」
凛さんの声を背中に聞きながら、一目散に建物に向かって道に飛び出した。
待ってなんかいられない、だって、大崎が今危ないかも知れないのに…少しでも速く大崎の元へ。
その思いだけで、俺は狭い階段を一気に駆け上り四階にある店へと急いだ。


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