死んでみて判る痛み



次の日は、都合よく土曜日で学校は休み。俺の足は、嘗て俺がよくいた場所に向かっていた。
ホームレスに近い生活をしていた俺は、公園のベンチで寝たりした事もあって。
その時知り合ったオヤジが、俺を自分の家?に招待してくれた。
訳ありの日雇い労務者だったオヤジは、仲間何人かで笹塚に小さなアパートを借りていたが。
家賃は皆が出し合った金で払い、一応住所なるものを作っているのだと言っていた。

俺は、其処に何度か泊めてもらった事もあり。その時、オヤジが借金を残し田舎から出稼ぎに来たまま、
家に帰れなくなったのだと聞いた。家具など何も無い、ただの空間のその部屋が、
なぜか居心地よく感じられて…俺は、そのアパートの側にある公園で、
オヤジが日雇いの仕事から帰ってくるのを待った。やがて、オヤジが帰ってこなくなっても…。
その公園は、いつか俺の居場所になっていた。

「こんにちは…」
俺が、公園のベンチに座っていた大崎に声をかけると、大崎が驚いたように振り向き、
声をかけたのが俺だと判ると、更に驚いたような顔をした。そして、
「! なんで、お前…此処が」
そう言って俺を見つめるその顔が、意外と間抜け面で…俺は少しだけ嬉しくなった。だから、

「はい、その先に用があって。そしたら、貴方が座っているのが見えたから、一応お礼をと思って。
昨日はありがとうございました。おかげで助かりました」
大崎に向かって、本当は下げたくない頭を深々と下げてやった。すると、俺の頭の上の方から、
「いいよ、無理すんじゃねぇよ。下げたくない頭は下げなくて良いんだぞ」
笑みを含んだ大崎の声が降り、俺は驚いて下げていた頭を上げる。 それから、

「えっ? そんな事…なんで?」
そう言うと、思わず大崎の顔をじっと見つめてしまった。
考えてみると、俺は生きていた頃でさえ大崎の顔を、こんなにもまじまじと見つめた事が無かったような気がした。
すると、急に恥ずかしいような気がして…俺は慌てて顔を逸らす。それなのに大崎は、
そんな俺の事など気にも留めない様子で、

「お前の顔に書いてある…嫌だ、頭なんか下げたくない…ってな」
憎たらしい事を言いながら、可笑しそうに声をあげて笑った。
その笑い声で、俺は見たくも無いと思いながら、なぜかもう一度大崎の顔を見てしまい。
大崎の笑顔が、それまで俺が一度も見た事の無い眩しいような笑い顔なのに驚いた。

それと同時に、何となく大崎に子ども扱いされたような気がして、少しだけ癪に障って。
「……。そんな事、思っていません」
俺は、拗ねたように言うと、今度はそんな自分がやけに恥ずかしい気がした。


「そうか? それじゃ、礼は有難く受けておくよ。
でも、そんな事の為に俺に声をかけて来るなんて、お前も変っているな。
普通、俺みたいな者とは関わりたくない…そんな顔で、みんな避けて通るぞ」
大崎は、そんな卑屈とも思えるような事を言い、それは…嘗ての俺自身が充分すぎるほど感じていた事で、
ろくでもない奴。社会のクズ。 いつも俺の胸の奥にあった思いでもあった。

だが、それをあまりにも快活に言われると、卑屈は消え失せ、取るに足らない小さな事。
そんなふうにも聞こえて、俺の胸の奥にあった何かが、さらさらと音をたてて崩れていくような気がした。
だから俺も、快活に言ってみる。

「そうですか? そうかも知れませんね。でも、気になったから…」
「俺がか? 一目ぼれでもしたのか俺に」
「バ!バカな事…どうしてそうなるんですか! 違います!」
俺は全力で否定しながら、隣でニヤニヤ笑いながら俺を見ている大崎の視線が妙に気になり、
大きく咳払いをすると、今度はむきになって言葉を続けた。

「貴方は僕を誰かと間違えたでしょう。それが、どうしても気になったんです。
い、いや…実は僕、事故に合って以前の記憶が所々ないって言うか、思い出せないって言うか。
あっ…でも、全部じゃないんだけど。ほんと、所々なんだけど。
だから…もしかして、貴方と知り合いだったのかな…とか思って。ははは…そんな事無いですよね」
苦し紛れの嘘ではあったが、強ち嘘でもなく…俺は、乾いた笑いで誤魔化した…が。

「そうか…お前、記憶がないのか。けど、心配するな。お前と俺は知り合いでも何でも無い。
よく考えてもみろ。お前が、俺のような不良と知り合いの訳がないだろう」
大崎はそう言うと、俺から視線を外し何処か宙に漂うような目をした。
そして俺は、その先にあるもの、大崎の見ているものが何か…それを知りたいと…なぜかそう思った。

「それじゃ、誰と間違えたんですか」
「お前とは、関係ない奴だ。全然似てない…けど、どこか似ていた。同じ匂いがしたんだ」
「匂い?」
「あぁ、今もする。お前から、あいつと同じ匂いが…」
俺の真剣?な問いに、大崎のバカが返してきたのはふざけたような答えで、俺は一瞬意味が解らず、

【匂い? お前は犬か! 俺が臭いなんて、とんでも無い事言いやがって。
そりゃ、風呂に入れない時もしょっちゅうだったけど、そんな臭いほどだったなんてあんまりだ。
それに、今も匂うなんて…。ん?待てよ。俺、昨夜は風呂に入ったぞ。なのに、臭いって……】
等とやはり意味不明な事を考えてしまったが、一瞬自分が死んでいた事を思い出して急に不安になった。

「あ、あの…今も臭いって事ですか? 僕、そんなに臭い…ですか? もしかして加齢臭とか、死臭…とか」
「はぁ? 臭いって…加齢臭?なんだ、それ。それに死臭とは穏やかじゃない事を言うんだな」
「いや、だから…今も臭うって…あんたが今…」
俺が言った途端、ブハ――ッ! 大崎がいきなり吹き出し、ゲラゲラと声をあげて笑い出し。
俺は、そんな大崎にめちゃくちゃムカついて、思わず大崎の後頭部を平手で張ってしまった。すると大崎は、

「痛いな…」 そう言うと、驚いたように俺を見つめ。
「お前が、人を笑うからだ!」 俺はブーッと膨れて、プイと横を向く。そして、
「………。お前…本当に、あいつじゃないんだよな」
そう言って俺を見つめた大崎の顔が…目が…俺の胸に錐のように突き刺さった。そしてその痛みは、
今まで感じたことの無い熱いものを胸の奥に生み出し、俺はそれを押し隠すように笑顔を作る。

「だから、あいつって誰の事ですか。そんなに似ているなんて言われたら、僕だって気になりますよ」
「……あいつは、俺の大切な…」
大崎は其処まで言うと口を噤み、「ところで、お前いくつだ?」 いきなり別の事を聞いた。
それなのに俺は心の中で 【聞いているのは俺だ!】 喚きながら素直に答えてしまう。
「えっ? あ、はい…17ですけど」
「17…か、年も同じだな。お前可愛いな。まぁ、あいつも顔は可愛かったが、性格が超最悪な奴でな。
口は悪い、俺を見る目つきも悪い…その上、天邪鬼で、喧嘩速くて……でも、いつも寂しい目をしていた。
優しい目をしていた…無垢な目をしていた。良い匂いがしていた。

赤ん坊みたいな、甘くて柔らかい匂い…それら全部、守ってやりたいと思っていたのに…守れなかった。
あいつは、俺の事が嫌いだったからな。いつも、歯剥きだして突っかかってきて…それが、可愛くてな…」
大崎は、本当に…ほんとう…に…愛しい。
そんな表情で、目の前の見えない何かを見つめているようだった。

でも…それが俺のことなのか…それとも、他に女がいたのか…俺はどうしても確かめたくて。だから、更に聞く。
「あ、あの…その人…今は?」
「死んだ…。 俺の命をくれてやるから、あいつを助けてくれと頼んだのに、誰も聞いてくれなかった。
医者も、神様も…誰も…。普段ろくでもない事ばかりしているせいか、神様なんて信じてなかったせいか。
困った時の神頼みじゃ駄目だったみたいでよ。あいつに、何もしてやれなかった…。

言いたい事も、してやりたい事も…何にも出来なくて逝かせちまった。
好きだって…幸せにしてやりたいって…言えばよかった。今になって死ぬほど後悔してる。
けど、まぁ…そんな事言ったら、あいつの事だ。目球ひん剥いて、「俺は男だ!」 って怒鳴るだろうけどな」
大崎の顔に浮かぶ 乾いた笑み。なぜか、それが痛くて…胸が苦しい。 まさか、大崎だったなんて…。
頭ではそう思いながら、なのに不思議と素直に、あぁ、やはり…そうだったのか…俺の心はそう思った。

「そんな事無いと思うよ。そりゃ、吃驚はしたかも知れないけど、
自分をそんなに思ってくれているって知ったら、嬉しいと思うんじゃないかな」
嬉しくて、嬉しくて…泣きたくなるほど嬉しいのに、死んでいる俺には、そんな言葉しか言えなくて、
それが悔しくて…俺は、目から零れそうになるものを、空を仰いで隠しとどめた。

「お前は、優しいな。お前にそう言われると、本当にあいつに言われているような気がする」
そう言って俺を見る大崎の目が優しい。そうだった…大崎はいつもこんな目で俺を見ていたのに
俺は、一度だってその事実を正面から見ようとはしなかった。いつだって変な敵対心でむきになって…。
素直に、大崎を見ていれば……声を聞いていれば……死んでから気づいても遅いのに。
それでも今は、この目と真っ直ぐ向き合いたい…俺は心からそう思った。

「あ、あの…もし、迷惑じゃなかったら、今度の日曜僕と付き合ってもらえません?
その人の、代わりにはなれないけど…でも、僕はその人に似ているんでしょ? 
だから、その人と一緒にしたかった事を僕としません? それで、その人を葬ってあげよう。
そうすればきっと、その人も喜んでくれる。僕は……そんな気がします」
俺の提案とも、デート?の誘いとも言える言葉に、大崎は一瞬目を丸くして俺を見つめ。

「お前…とんでもない事言い出すんだな。いいのか本当に…俺なんかに付きあってそんな事をしても」
言ってから、ふ〜っと息を吐き出すと、今まで見たことも無いほど嬉しそうな顔で笑った。
だから俺も、今まで一度も大崎に見せた事のない精一杯の笑顔で応える。
「うん、今までの後悔を全部帳消しにできるような、最高に楽しい一日にしよう」 
俺は大崎とそう約束をすると、互いの電話番号を教え合い別れた。

「見つけたのか? することを」 影が俺の肩の辺りで囁く。
「うん、見つけた…。
あんなに、側にあったのに気付かなかったなんて、俺はやっぱりどうしようもない大バカ者だったよ。
あの、想いに応えられるかどうか分からないけど、あいつにもらった優しさの、何分の一かでも返したい。
あいつに、笑って欲しいんだ。 あいつは、とっても優しい顔で笑う。
それなのに俺は、そんな事にも気付けなかった。だから、また…あいつにそんなふうに笑って欲しい。
これから先も、ずっとずっと…笑っていて欲しいよ」

言いながら俺の目からは、俺に不似合な程綺麗な涙がぽろぽろと零れ落ちて止まらなかった。
「そうか…笑えるといいな…」
「うん…必ず笑顔で送ってもらうよ。それで……」
そしたら俺は此処に留まる意味もなくなり、消えてしまうだろう
それでも、最後にあいつの笑顔が見たい…それが俺の最後の願い…そう思った。
それなのに…約束の日曜日。約束の場所に大崎は現われなかった。

【なんだよ…都合が悪くなったのなら、連絡ぐらいすりゃ良いのに…】
俺はぶすったれた顔で、約束の場所の見えるファミレスで、さっきから一人でドリンクの自棄のみをしていた。
それにしても、大崎の性格から考えてこんな事は想像出来なかった。よほど切羽詰った急用ができたとか…。
まさか…端からその気がなかったなんて事は…色々考えていると、ドリンクの呑み過ぎと重なったのか、
気分が悪くなってきて、俺は慌ててトイレに行き、せっかくのんだ物を残らず吐き出してしまった。

まぁ、ドリンクバーだからいいけど…と思いながら、なんか損した気分にもなり。
それでも、しょうがないから嗽をして、ついでに顔も洗い…もう一度席に戻ると、
俺の席と背中合わせの席に、朝帰りのような男が二人、だらけた様子で座っていた。
そしてそいつらの、人目も憚らない大きな声で話す会話の中に、聞きなれた名前を耳にした時、
俺の背筋が一瞬で緊張するのを感じた。

「しっかし、大崎の奴もバカだよな。黙ってうんと言えば良いのによ」
「ばか、うんと言っても、それで済む訳ないだろう。中村の奴は大崎が目障りでしょうがないんだから」
「なんで、あそこまで大崎を気にすんのか、俺には解かんねぇよ」
「此処だけの話だけどよ。中村の奴、前に市原にちょっかい出そうとして、大崎にボコられた事があったんだと。
その上、〇×会の中頭に取り入ろうとしたら、中頭に言われたらしいぜ。
「大崎も連れて来たら、考えてやる」 って…よ。
つまりだな、大崎がいたら自分はいつまで経っても日の目が拝めねぇ。
けど、その大崎をやっちまえば…自分の力を示せる…そう思ったんだろう。あいつもバカだからよ。
中頭が、大崎を気に入っているのは、他に理由があるのによ」

「他にって…なんか、あんのかよ」
「噂だけどよ、中頭は、なんでも普通にやるだけじゃ満足出来ねぇらしい。
相手を痛めつけて、のた打ち回る様子を眺めるのが一番興奮するって話だ」
「げっ! 真正Sかよ。そんじゃ、大崎を苛めたいとか?」
「さぁな…苛めてぇんだか、苛められてぇんだか知んねぇけど。
大崎の、あの無表情な顔が歪むのを見るのも、それはそれで一興かもな」

「じゃ、大崎をやっちまったら、反対に中村の奴がヤベェだろう」
「かもな…それとも、大崎を中頭への手土産にするとか。あいつの事だから、そっちを狙ってるのかもな」

【嘘だ…まさか、そんな事になっていたなんて。もしかして来ないんじゃなくて、来られない…。
それが中村のせいだっていうのか? 確か以前、中村とかいう奴にしつこく付き纏われた事があったが、
いつの間にかぱったりと姿を見せなくなって、ついぞ気にもしなかったが、あれも、大崎が…】
男達の下卑た笑いが頭の中で反響し、鳴り響く中二人の会話は更に続く。

「大崎は、市原にベタ惚れだったからな。あの鉄仮面男がよ、市原を見る時だけは、
別人みてぇな顔をしていたからな。まぁ、気付かなかったのは、市原当人だけだったろうよ。
市原を狙っていた奴は結構いたからな。なんせ、あの面だろう。男でも一回位は啼かせてみてぇ。
なんて気になっても無理ねぇって。それを、全部大崎が蹴散らしていたんだからよ。
その市原が死んじまって、大崎の奴完全に腑抜けたと思って安心していたら、
なんか最近、また復活したって話だろう…。そんで中村の奴、慌てて腹を決めたって事なんだろうよ」

「まぁ、そう言う事だろうな…しっかし、中村もえげつねぇ事考えるよな」
「だな。正直俺も、あいつに関わってなくて良かったと思ってるよ」
二人の話は続いていたが、俺の耳にはその先が入って来なかった。頭の中が真っ白になって、
【中村の…中村の処に大崎が監禁されている。 早く見つけ出さないと…どうすれば…どうすればいい】
それだけが、ぐるぐると回りながら…脳みそにぶつかりがんがんと鳴り響く。

こいつらを締め上げたら…とも考えたが、多分こいつらは大崎の居場所まで知らないだろう…と思った。
それに、下手に問い詰め中村に連絡でもされたら…そう考えると得策ではないように思え。
俺は、そっと店を出ると大崎の携帯に連絡を入れ…呼び出し音が鳴り、留守電に切り替わったのを確かめた。
【電源は入っている。これから、大崎のいる場所を探せしだせば…でも、そんな事ができるような奴なんて】
誰か、誰か…頭をフル回転させながら…その時俺は、天啓のように一人の男に思い当たった。

【あの人なら…探し出せるかも知れない。今日は学校も休みだから…家に行ってなんとか会ってもらおう】
俺は急いでタクシーを拾うと、一縷の望みを託し運転手にその人の名を告げる。すると運転手は、
「はい…」 信じられ事に、返事一つで車を発進させた。




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