01.蒼天のオリオン

邂逅


「あなたは、緒方さん? 緒方 諒一さんですよね」
背後からかけられたその声に振り返ると、見るからに自分より年下と思える青年がほっそりとした身体を上等のスーツで包み、
口元に柔らかな笑みが浮かべながら、一際漆黒に見える瞳で緒方を見つめ立っていた。
彼は…確か半年ほど前、緒方の勤める会社の親会社から課長の肩書きと共に出向してきたエリートで、
二年も此処にいて戻れば今より上の役職が待っている。そんな人間に声をかけられ、緒方は戸惑いを感じながら、
それでも一応青年に向かって頭を下げた。
「あっ、おはよう御座います」
そしてその青年の顔に、おぼろげな記憶の断片を覗き見るような気がしていた。

「今日は早いのですね。なにか特別なことでもあったのですか?」
青年はそう言うと、屈託のない様子で緒方に連れ添うように歩き出す。緒方は、どう答えて良いか判らず
「はぁ…いえ、別に何も…」 言葉を濁すと、青年は
「何もなくて早く来たのですか?」 と、言って小さく笑みを浮かべた。

「はぁ…すみません…」

「別に謝る必要はありませんよ。僕だって何もないのに、この時間に来ているのですから」
言いながら青年が何処となく楽しそうに見えるのが、緒方には不可解でこの上も無く不快な事のように思えた。
だから 『だったら、いちいち言うなよ!』 腹のなかでそんな事を呟きながら、黙ったまま青年と並んで歩く。
すると、青年が突然何かを思い出したように緒方を見上げ、真剣な面持ちで聞いた。
「そうだ! 緒方さん、今日仕事が終わった後…何か予定ありますか?」
「はっ? 」
「もし、予定がなかったら、夕飯でも御一緒しませんか?」
何かと思えばそんな事を言われ 『はぁ? なんで俺が、あんたと』 と思っても口には出せず、
「ありがとうございます。折角ですが今日はちょっと…」
それとなく断りの言葉を口にすると、青年はちょっと残念そうな顔をし…それから、今度は期待を込めたように聞いた。

「そうですか…だったら明日は?」
「は、はい?」
「明日はどうですか?」
嬉々とした顔で其処まで言われると、流石に気味が悪い…と同時に何かあるのかと疑いたくもなったが、
そうかといって、緒方には思いあたる事もなくて…思わずまじまじと青年の顔をみてしまった。
すると青年はにっこり笑い…緒方から視線を外すと空を仰いだ。そして…
「明日が駄目なら明後日でも…その次でも…良いですよ」 まるで独り言のような口調で、そんな事を言った。
若しかしてからかっているのか? それとも、バカにしているのか? そう思ったら、何となく不愉快な気分になり、
「明日も明後日も…永遠に予定が積んでいますので、無理だと思います。では私は急ぎますから、お先に失礼します」
緒方はそう言うと青年を後に足早に歩き出した。
すると背後で、青年のクスクスと笑う声が聞こえ…緒方には、その笑い声がなぜかとても楽しそうに聞こえた。
『何なんだ、あいつは…意味わかんねぇ奴。明日から出社時間ずらそう』
そんな事を思いながら、緒方の足は益々早くなっていった。


「緒方君。君…蓮見課長と何かあったの」
直属の上司である係長の寺井が、何気ない様子で緒方側に寄ると小さな声で言った。
「はい? はすみ課長…ですか?」
言いながら緒方は一瞬誰の事かと思いを巡らせ、蓮見が先日の朝やりとりをしたあの青年だと思い出した。
そして思わず、あの変な奴ですか…と言いそうになって、口に手を当て言葉を呑み込んだ。
「実は昼飯の時に偶然課長と一緒になってね。まぁ、色々話をしたのだが…その時。
君を食事に誘ったら、永遠に予定が詰まっていると言って断られた。営業二課は同僚と食事をする時間もない程忙しくて、
深夜まで仕事をしなければならないのですね…そう言って、とても落ち込んだ様子だった。
君も解っていると思うが、あの人には二年間何事もなく勤めて頂いて、親会社の方に帰ってもらわないと困るのだからね。
あまり機嫌を損ねないようにしてもらわないと、困るのだよ」
最後の方の言葉は、ほとんど耳打ちに近いくらいで、それは子会社の卑屈…から出た言葉のようにも思えた。

緒方は内心舌打ちをしながらも、
「解っています…どうも、すみませんでした」 と、一応頭を下げた。

「しかし、課長もなんで君を食事に誘ったのかね…訳のわからないお人だ。まぁ、部署が違うから直接関わる事も無いだろうが、
仮にあったとしたら…その時は食事ぐらい御一緒してあげても良いじゃないか」
そう言うと、係長は本当に不思議だ…そんな顔で緒方を見た。
「…はい…申し訳有りませんでした…」
再度頭を下げながら…緒方もまた不思議でならなかった。なぜ蓮見が自分の事を知っていたのか。
なぜ、ああもしつこく?自分を誘うのか。そして、係長に先日の朝の事を言う必要があるのか。
もしかしたら、本当に変な奴なのかも知れない。だから…こんな所まで出向させられたのかも知れない。
緒方はそう思う事で、蓮見に対する不可解さが幾分軽減したような気がした。


得意先を何社か回り、そこで親しくなった友人と夕食の約束をして、緒方が会社に戻った時にはすでに六時を少しまわっていた。
そして二階にある営業部への階段を上ろうとして階段に足をかけたその時、まるで待っていたかのように声をかけられた。
「お帰りなさい…今日は遅かったのですね」
あまり関わりたくもないその声に 『なんで…まさか、待っていたなんて事無いよな』 等と勘繰りながらも、
緒方は階段にかけた足を下ろし、声の主に振り向くと取って付けたようなにこやかな顔で答えた。
「ただいま戻りました。課長はもうお帰りですか?」
すると、緒方の偽りの笑みを疑いもしないのか、蓮見はニコニコと笑いながら、
「はい、そろそろ帰ろうかと思っていたのですが…緒方さんは?」
話しかける様子がやけに嬉しそうで、まるで飼い主を待っていた子犬のようだな…などと思ってしまう。
だからと言ってこれ以上蓮見の相手をする気など無い緒方は、早々に切り上げる為の口実を探した。

「はい…私はもう少し残務が…」
係長に釘を刺されていた手前無下にも出来ず…緒方が言葉を濁すと、蓮見はちょっと思案するような表情の後、
「待っていましょうか?」 と、予想もしていなかった言葉を口にした。
「はい? 待つって…私をですか?」
「えぇ…そうです」
「い、いや…それは…まだ伝票の整理がありますし、その後御得意さんと打ち合わせもありますから…申し訳ありません」
あながちいい加減でもない理由を並べ立て誘いを断ると、蓮見は見るからにガッカリした顔で、
「なんだ…また、ふられちゃいましたね…」 と言った。

『はぁ…振られたって? 別に、恋人でも何でもないだろう…あんたは!』 はっきりそう言ってやりたい…と思いながらも、
何とか表情を取り繕い、曖昧な笑いを浮かべる緒方に、蓮見は…
「しかし、緒方さんはよく働きますね。そんなに仕事ばかりしていたら、恋人とデートする時間もないでしょう」
そんな事を言って帰る素振りも見せない。緒方にしてみれば、友人との約束の時間が迫っていると言うのに、
デートだの恋人だの言っている蓮見が流石に鬱陶しくなり…これ以上構っていられないとばかりに、
「いや、今は仕事で手一杯ですから、そんな余裕ないです。あっ! 時間ないんだ…それじゃ、失礼します。お疲れ様でした」
そう言うと、まだ何か言いたそうにしいる蓮見に対し、急いでいるかのようにわざと足早に階段を駆け上った。


「それでさ、正直参っているんだ。意味も無く懐かれてもな」
グラスを手に、目の前に座っている石田に向かって緒方が大きな溜息を漏らす。すると石田は、ちょっと大きめの目に笑みを浮かべ、
「それって…緒方さんに気があるって事じゃないですか?」 そんな事を言った。
「おい、おい…止めてくれよ。たとえどんな美人でも、会社の上司となんて…それだけは願い下げだよ。
なんかあったら、会社に居られなくなる。考えただけでも、勃つどころか、縮み上がっちまうよ」
「そうですね。社内恋愛は破局した時悲惨ですからね。それが男相手では…ね」
「そういう事だ」
緒方はそう言いながら…なぜか蓮見の顔を思い浮かべながら手にしていたレモンサワーを呷り、皿の上のシシャモに手を伸ばした。

酒の席で会社での出来事を話すなど滅多にある事では無いなのだが、それでも思わず愚痴になって出てしまったのは、
緒方にとって蓮見の言動は不可解な事に他ならず、はた迷惑にしか思えなかった。
「でも…その上司…そっち系の人なんですか?」
「さぁな…部署も違うし、親会社から出向してきた人だからな。この前話しかけられて、始めて口をきいた。
だから、そんな事俺には解る訳ないよ。仮にそうだとしても、あの面だったら…相手なんていくらでもいるだろう」
どうでも良さそうな口調の緒方に反して、石田は興味深そうな顔で今度は口元にはっきりとした笑いを浮かべた。

「そんなに、綺麗な人なんですか? 緒方さんが美人と言うくらいだから、相当綺麗な人なのでしょうね」
その言葉を不快と思った訳ではないが、ただ何となく…自分の心の襞を覗かれたような気がした。だから、
「なんだよ、その言い方。まるで俺が課長に興味を持っているみたいに聞こえるじゃないか」
冗談のように…そして幾分不満げに言う。すると石田はグラスを目の高さに翳し、そのグラス越しに緒方を見つめ…言った。
「だって…そうじゃないですか。緒方さんは、並の女や男の事は絶対に褒めないでしょう」
笑みを含んだ声が緒方を揶っているようにも聞こえ、それでいてどこか咎められているようにも聞こえた。
「……。だったら…お前にも興味があるって事になるな。最初呑みに行こうと誘ったのは俺の方なんだからさ…そうだろう?」
「それって、どういう意味ですか? でも…緒方さんにそう言われるって事は、僕も満更じゃないって事ですか」

お互い冗談めいた口調で言ってはいるが、事実石田は今時の若者らしい甘いマスクとスリムな体型でかなりの美男に属する。
そんな石田が轢く手数多の女性たちには見向きもせず、緒方と飲みに行ったり食事をしたりする方を優先する。
それを考えると、もしかしたら…と、思えなくもなった。そして、生粋のノーマルと言う訳ではない緒方は、
石田にその気があれば…等と思ったりもしたが、幸か不幸か石田の方からそういう素振りを見せた事はなかった。
だから、単なる友人として長く付き合うのも悪くないのかも知れない…そう思っていた。
そして、そんな石田相手だからこそ蓮見の事も気軽に話せたのかも知れない…そんな気もしていた。


酔っ払いというのは、どうしてこうも小便が近いのか。特にビールを飲むと、トイレに立つ回数も半端じゃない。
それなのに一つしか無いトイレは満員で…止む無く緒方は店を出ると階下にある共有トイレに向かった。
そしてドアを開けようと手を伸ばしたその時、予想に反して先客がいたのか…中から人の言い争うような声が聞こえた。
「何をするんですか! 止めてください」
「今更とぼけなくても良いじゃないか、あんただってそのつもりで来たのだろう」
「違います! 何を言っているのですか、僕は…」
その言葉の端々から、交渉決裂という間の悪いところに来合わせた気もしたが、引き返そうにも尿意はそろそろ限界に近く、
緒方はそ知らぬ振りで用を済ませて帰ろうと…トイレのドアを開けた。そして、
「すいません、おじゃまします…」
顔を背けながらも、なぜかそんな声までかけてしまい…中にいた二人の男が同時に緒方の方に顔を向けた。その時…

「あっ!緒方さん!! 遅かったじゃないですか。あまり遅いので、お店を間違えたかと思いましたよ」
その聞き覚えのある声といきなり自分の名前が出てきた事に驚いて、意識的に背けていた顔を声のした方に向けた。
すると、図体のでかい中年親父に壁に押し付けられていた蓮見が、何とも情けない顔で緒方を見つめていた。
「へっ? か! 課長!! 何をしているんですか? こんな所で」
「あ、あの…緒方さんの言ったお店がよく分からなくて…地下の店に行ったら、どうも違っていたみたいで…すみません」
言いながら今にも泣きそうな笑みを浮かべた。話の様子から蓮見が咄嗟の機転で、緒方に助けを求めているのは直ぐに判った。
どうせ地下にあるノーマルでは無い人間達が集まる店に足を踏み入れ、相手を探しに来たと勘違いされたのだろう。
偶然此処に来合わせたのか、それとも緒方の後を付いて来た挙句間違えて店に入ったのか…どちらにしても馬鹿な奴。
そう思っても…だからと言ってこのまま放って店に戻る訳にもいかず…緒方は小さく舌打ちすると。

「だから、一緒に行きましょうと言ったじゃないですか。課長は、こちらに来て日も浅いのですから気をつけないと…。
迂闊に知らない店に入ったら、とんでもない事になりかねませんよ。でも、良かったです。
課長があまりにも遅いから、探しがてら来て見たのが正解だったようですね。さぁ、上で皆が待っていますよ。
俺はついでに用を足してから行きますが、課長は先に行っていて下さい」
そう言うと蓮見に向けて手を伸ばした。すると蓮見は男を押しのけ、緒方の差し出した手を握る。
そしてその腕に縋るように緒方に寄り添うと安堵の表情を見せた。そして、小さな声で言った。
「う、うん…あ、はい。心配かけてすみませんでした。それじゃ、先に行っていますから…ごめんね、諒ちゃん」
だが最後の言葉は…余りにも声が小さすぎて…緒方の耳に届く事はなかった。

取りあえず蓮見をトイレの外へ出すと、後に残ったのは緒方と中年男性の二人。だからと言って男に対し何の感情も無かったが、
一応蓮見の知り合いと判った以上、文句の一つも言わなくては…と思った。だから、
「お客さん…あのまま騒ぎになったらみっともないだけじゃ無く、下手をすると暴行で訴えられる…って事にもなりかねませんよ。
だからきちんと相手の意思を確認したうえで、それなりの場所でじゃれあうようにしたほうが良いですよ」
言いながら、緒方は男の方に顔も向けずに徐に用を足し始めた。
すると男は憮然とした顔でそっぽを向いたまま返事もせず、、そのくせこそこそと緒方の目を掠めるように出て行った。

まったく、何を考えているんだ…あの人は。地下の店に行ったらしいが、一体何をしに行ったのだ?
まさか一人で酒でも呑むつもりで…とか。あそこがどんな店か知っているのか? 全く、訳の解からない奴だ。
用を足しながらぶつくさと独り言を言い、それでも出すものを出してしまうと、緒方は幾分気分も軽く店へと戻る。
と…店の入口の前に、蓮見が少し不安そうな顔で立っているのが見えた。途端、軽くなった筈の気分が一気に重くなった。
たしか…帰ったはずじゃ。まさか自分の言った事を真に受けて待っていた? 嘘だろう。等と思いながら、
「こんばんは…妙な処でお会いしましたね。課長も、飲みにいらしたのですか?」
緒方はそ知らぬ振りで蓮見に声をかけた。すると蓮見は上目遣いに緒方を見上げ…小さな声で籠るように言った。

「…だって緒方さん…上に居るって…」
「あれは、あの場を取り繕う方便ですよ。そんな事も分からないんですか? 俺は今、仕事先の人間と一緒ですから。
課長が一人で店に入られるのでしたら別に構いませんが、そうでなかったら…もう帰られた方が良いんじゃありませんか?」
緒方が口調は丁寧に、気持はつっけんどんに言うと、蓮見は酷く心元なげな顔で緒方を見つめ、声が更に小さくなった。
「緒方さん…一緒に…」
「ですから……」 何度言えば分かるんですか! 緒方が続けようとしたその時、蓮見の少し甲高い声がそれを遮った。
「どうして緒方さんは、僕を避けようとするのですか。そんなに僕の事が嫌いなのですか!」 
思いがけない蓮見の強い口調と、耳にした…嫌い…の言葉に緒方は一瞬驚き答えが問いに変った。
「は? 何を言って…」 すると、またも蓮見が緒方の言葉を遮る。
「だって、そうじゃないですか。いつも僕を避けてばかりで…今日だって仕事でもないのに仕事だなんて嘘を言って。
そんなに迷惑なのですか! 僕の事、そんなに嫌いなんですか!!」
言いながら今にも泣きそうな顔で緒方に詰め寄る蓮見の瞳の中で、デコレーションライトの明りが今にも零れそうに揺らめいた。


端から見たら、まるで痴話喧嘩にしか見えないようなこの状況が、緒方には降って湧いた最悪の災難のようにも思えて、
階下に下りた自分を恨めしくさえ思った。それでも、どうにかして蓮見を宥めようと気の利いた台詞を探すのだが、
適当な言葉も策も見つからず、歯切れも悪く言い淀んだ。
「いや…スキとか嫌いとか、そういう事じゃなくて…」
そしてそれが裏目に出たのか、蓮見は結構な勢いで緒方の真意を追及するような事を言った。
「それじゃ、どういう事なのですか!」 その時、まるでタイミングを見計らったように中から数人の客が出てきた。
すると蓮見が怯えたように緒方の背広を掴み、人の眼から隠れるように緒方の背後に回った。

その様子から、さっきの事がよっぽど怖かったのだろうと思い、こんな事をされたら…振り払うのも可哀想か…等と思ってしまう。
そして店員が、開いたドアの合間に緒方達に目を留めると 「いらっしゃいませ!」はりきった声で中へと促した。
それでも蓮見は緒方の背中に隠れたままで…緒方は、諦めたように大きく息を吐くと、
「しょうがないですね。それじゃ一緒に来ますか? 多分課長は初対面だと思いますが、K・I物流の石田という人も一緒です。
それでも構いませんか?」 蓮見を振り返るようにして言うと、
「K・I物流の石田さん…ですね。大丈夫です…なるべく邪魔にならないようにしますから…一緒に…」
蓮見は緒方の背広の裾を掴んだままそう言うとホッとしたように頷き、それから嬉しそうに笑った。

『全く…この人には参るよな。そんな顔で笑われたら、もう帰れとは言えないじゃないか』

蓮見を促し席に戻ると、石田が緒方の顔を見るなり笑いながら言った。
「もう、遅いですよ。何処まで用を足しに行っていたんですか?」
「悪い…遅くなった。 ちょっと混んでいたから下まで降りたんだが…其処で会社の上司と会ってさ。例の…上司。
それで合流する事になっちまった。もし嫌なら、今日はお開きにするけど…どうする?」
侘びるように片手を上げ少しだけ声を潜めた。すると石田が、緒方の背中に隠れるように立っていた蓮見にチラリと視線を向け。
「僕は構いませんけど…緒方さんは良いんですか?」 やはり声を潜めるようにして言った。
「もう、しょうがないよ。帰るように言っても帰らないんだからさ」
其処だけは蓮見に聞こえないように耳打ちすると、自分の後ろに居た蓮見を振り返り石田に引き合わせた。

「うちの蓮見課長だ。課長…彼は、K・I物流の石田君です」
緒方に言われ、蓮見は掴んでいた緒方の背広から手を放すと、顔で緒方の隣に並んだ。
「始めまして、蓮見と申します。無理に押かけてしまいました。申し訳ありませんが同席させて下さい」
少しだけ不安そうな顔でそう言うと、石田に向かって丁寧に頭をさげた。すると石田も、不自然な体勢ながらもその場で腰を上げ
「いえ、こちらこそ。KIの石田です。宜しくお願いします」 と蓮見に頭を下げた。それから三人で腰を下ろす。
蓮見はどこと無く不安そうに…それでも、緒方にひっそりと寄り添うように座る。そんな蓮見を目の前にした石田が、
「へぇ…緒方さんの言った通りの方ですね。」
蓮見の顔をマジマジ見つめてそんな事を言い出した。すると蓮見が、ちょっとだけ意外そうな顔をし。
「えっ? 緒方さんが僕の事を、何か言ったのですか」 やはり、意外そうな声で聞いた。

「えぇ、まだお若いのに既に課長さんで、その上大変綺麗な方だと」
爆弾発言のような石田の言葉に、緒方が慌てて何か言おうとしたがそれより早く。蓮見が断固とした口調でそれを否定する。
「うそです! 緒方さんが、そんな事を言う筈がありません」
蓮見の勢いに、石田が驚いたように蓮見と緒方の顔を交互に見…それから蓮見に問いかけた。
「どうしてですか?」
「それは…緒方さんは僕の事が嫌いなようですから…そんな事言う筈…無い…」
そう言うと蓮見は俯き、悔しいとでも言うようにキュッと唇かんだ。

「そうなんですか? 課長さんは緒方さんにそう言われたのですか?」 石田が更に聞くと、蓮見はキッと顔を上げ、
「言われなくても判ります。緒方さんの態度を見ていると、絶対僕と関わるのを嫌がっているとしか思えません。
それと石田さん…僕の事を課長と呼ぶのを止めていただけますか。僕は課長なんて器ではありません。
ですから、蓮見で結構です。その代わり僕も貴方を石田さんと呼ばせていただきます」
まるで開き直ったかのような蓮見の勢い?に、緒方は驚いたように蓮見の横顔を見つめ、石田は反対に笑みを浮かべた。
「そうですか? それではこれから親しくなるためにも…先ずは乾杯でもしましょうか」
石田は何処か楽しそうにそう言うと、卓上の呼び鈴で店員を呼び蓮見の為に飲み物とつまみを追加した。
蓮見は思ったよりすぐに石田と打ち解け、やがて話が弾んでくると本当に楽しそうな顔で石田に笑いかける。
そんな蓮見の顔を横目でみながら、緒方は係長に言われた言葉を思い出していた。

課長、もし次があったら…今度は喜んでご一緒させて頂きます。






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