死んでみて判る事‐1      市原夕貴(柏原 一 いち)×大崎 元(はじめ)


「さて、困った。お前は、生きている間に、何一つ人の為になる事をして来なかったようだな。
これでは、とても上に行かせる事は出来ない。しかたが無いから、諦めて下に行くか?
それとも、もう一度チャンスを与えてもらい、何か一つでも良い事をして来るか…どうする?」
惚けたような爺が、俺の顔をみて言った。

チャンス…なんだ?それは。俺は、そう思いながら目の前にいる爺に一応は聞いてみる。
「チャンスって、何だよ」
すると爺は、徐に頷き大層もったいぶったような口調で言った。
「そうだな。チャンスを与えられた者は、暫くの間人間界に留まる事が出来るのだよ。
そしてその間に、善行を施す事が出来れば、今までの行状は許されて上に行く事が出来る。
ただし、心からの行いでなければ意味を成さないがな。どうじゃ判ったか?」

眼の前の得意げな爺の顔とは反対に、俺はあまりにも呆れてしまう話に、、
「はぁ〜? 死んでんのに人間界に留まる? 何言ってんだよ、爺さん。
死んだ人間が何ヶ月も歩きまわっていたら、腐ってどろどろになっちまうだろう」
どうでも良いような、気の無い口調で答えた。

「バカ者! 腐る訳がなかろう。生きている時と同じ状態なのだから、普通に動ける
だが…最長1年経てば其処で命はなくなり、魂だけが此処に戻って来るが、
それまでは、人として生きていられる。
もっとも、今までのお前と、同じ姿形と言う訳にはいかんぞ。

それでは、死人が生き返った事になるし、お前の身体も、既に灰になっておるだろうからな。
元の世界にはないだろう。だから、全くの別人になって、留まる事になるのだ」
爺は、さも是見よがしに説明をするが…なんだよ、その別人として生きるってのは。
そんな面倒くさい事をしてまで、生き永らえようとは思わない俺は。

「別に、良いよ。どうせ人の為になる事なんて出来っこないし、それに…めんどうくさい。
俺は、無駄な事はしない主義なんだ。だから、下でも地獄でもいいからさ、
さっさと、俺の行き先決めてくれよ」
俺は、やはりどうでも良さそうな口ぶりで言う。
すると、爺はほとほと呆れたといった顔で大袈裟な一息を吐くと。

「全く…どうしようもない奴だな、お前は。
ならば、わしが決めてやろう。お前は、これから数ヶ月の間人間界に戻り、
人として生きるとはどういう事か、もう一度考えて来なさい」
そう言うと爺は、手に持っていた扇子のような物で、俺に向かって一扇ぎした。

「えっ? おっ、おい! うわぁーーーー!」
真っ逆さまに落ちながら、俺は…神様?とは至極勝手な奴だと思った。
お人好し? なのか、お節介なのか。それとも単に暇なのか。
あまり有難くもない、チャンスを与えられ。
これから生きる数ヶ月を思うと、正直うんざりする思いがした。

落ちるスピードが早くなるにつれ、俺の意識は段々と薄れていき。
気が付くと、見も知らぬ部屋のベッドの上にいた。
何処だ? ここは…。見た限りでは、どうやら普通の家のようだが、全く見覚えのない部屋。
その部屋の中を、俺は目だけでぐるりと見回してみる。
窓にはカーテンが引かれ、其処から朝日が射しているところを見ると、今は朝のようで。
俺は、ゆっくりと起き上がると、床に脚をおろし。
もう一度見知らぬ部屋の中を、今度は首も回して見回す。

6畳ほどの洋室は壁に沿うように机と本棚、それにボードが置かれ。
机の上にはパソコンらしき物まで載っている。
それに本棚には、参考書だか読み物だか解らない本が並び。それらに混じって、
漫画本らしきものもあるのが、少しだけ身近に思えた。

そっと手足を動かしてみる。すると…脚が床を感じ、手がシーツの肌触りを感じる。
やっぱり、生きている…らしいが…どうも身体の動きがぎこちない気がした。
ぎしぎしと軋むような感覚は、何日かでも死んでいたせいで、
身体が、硬くなってしまったのかも知れない。
そんな事を考えながら立ち上がり、俺はドアに向かって歩いてみた。

少し不自然だが、思ったより普通に動ける事にホッとし、ドアノブに手をかけると、
ドアは簡単に開いた。目の前の廊下を目で追うと、どうやらこの部屋は二階らしく、
一間ほど先には階段があるのが見えた。
俺は、恐る恐るといった様子でそれを降り…一階の床に片足を下した時、
いきなり目の前に中年の女が現われた。一瞬の事で声も出ない俺に、女は。
「あら、珍しい。1人で起きてくるなんて、雨でも降るのかしらね」
幾分驚いたような口調で言った…が、驚いたのは俺の方で…。

「…あんた、誰だよ…なんで此処にいるんだ」
自分が侵入者にも拘らず、ついぞんざいに言ってしまったが、女は気にした様子もなく。
俺の顔をまじまじと見つめると、
「母親に向かって誰だ…はないでしょう。全く、何言っているの。
いつまでも寝惚けてないで、さっさと顔を洗ってきなさい」
そう言うと、女はあたふたと廊下の先にあるキッチン?に入って行った。

母親?嘘だろう…。あんな女見た事もねぇ。
なにかが変だと思いながら、一応顔を洗うために洗面所に行った俺は、其処で更に驚いた。
鏡に写っているのは、これもみた事のない顔。なんで? これは一体誰だ。
頭の中がパニックで、ヒートしそうになった俺の耳に声が聞こえた。

「どうだ?驚いたろう。自分の顔が、知らない人間に変っているのだからな。
此処は、チャンスを与えられた死人達が、別人になってやり直す為の家さ」
声と同時に、人の形をした影のようなものが、いきなり俺の後ろにいきなり現れ。
鏡に映ったその影は、目も鼻もないのに、口だけがニ〜ッと笑ったように見えた。

それなのになぜか、恐ろしいという気持ちは無くて…と言うより、
死んだ俺が生き返っているのだから、その方がずっと恐ろしい。
そう思うと、何があっても驚くには足りない…俺は、そう思った。だから、その影に問いかける。

「家? 此処が俺の家になるのか? やっぱり俺は生き返ったのか?」
「まぁ、正確には生きなおしだがな。そして、さっき会ったあの女が母親だ」
「母親までいるなんて、準備のいい事だな。そんで、俺は誰なんだ?」
「お前は、その器の少年になった。名前は、柏原 一(イチ)だ」

「なんだよ、一っていうのは、番号かよ。これじゃ、俺とは別人じゃないか。
そんなんで、俺だと判るのか? 神さんはよ」
「バカ者…判らなくてどうする。とにかくお前は、これから数ヶ月の間に、柏原一として、
何か人の為に役立つ事をしなければならない。もしくは、人に認められるか、人を幸せにするか。
なんでも良い、善行を施す事が出来れば上への道が開かれる。

せっかく、別人になったのだ、今までと違う自分を生きてみるのも悪くないぞ。
そうすれば、自然と道は開けるかも知れない。まぁ、それもお前次第だがな」
影はそれだけ言うと、ゆらりと揺れたと思ったら消えてしまった。

善行ね…。そんなもん出来るか、俺に。人に認められる? 人を幸せにする? 
親にさえ、生まれた事を疎まれたのに、できっこねぇだろう。
普通どんな子供でも、生まれると親はそれだけで喜んでくれるものだ。
ただ可愛いがられて、存在するだけで親孝行をしているようなものだと言われる。

俺のように、生まれた事が罪悪か何かのように言われ続けたら、親孝行なんて……。
たとえ、孝行した処で疎まれるだけだ。最大の親孝行は、子供であることを止める事。
そうする事が一番の親孝行。そんな俺に、人の為に何が出来るというんだよ。

あ〜ぁ、無駄な生き直しかよ。かったるいな…。
鏡の中の見知らぬ俺が笑った。だがその顔が、今の俺にはなぜか寂しそうに見えた。



俺は、生きていた時は一端の悪ガキきどりでいた。
勿論喧嘩は強かったが、見た目も、なかなかイケてる方だったと思うし根性も入っていた。
その辺で屯っている奴らも、皆一目おいていた位だったから間違いないはずだ。
高校は一年も行かないで止めたし、だからと言って仕事をするでもなく、
毎日ふらふらと街を屯って、女をひっかけたり恐喝したりと、要するにろくな奴じゃなかった。

それなのに、死んだ時は結構カッコ悪かった。盗んだバイクを乗り回していて、
トラックと接触転倒。その時反対車線に飛ばされ、対向車に引っ掛けられた。
確か、首が半分ちぎれていたと思う。
当然即死状態だから、痛いとか苦しいとか感じる間もなかった。

ろくでも無く生きていた俺が簡単に死ねたのは、苦しんで死ぬ善人からみれば、
十七歳という年齢を差し引いても、とてつもなく不公平に思えるかも知れない。
そんな俺に、どうして神さんは、チャンスなど与えようとしたのか。謎だ…。そう思わねぇか?
鏡に映る見知らぬ自分。柏原一、17才高校二年…に問いかけたが、返事は返って来なかった。
その代りではないが、

「イッちゃん。さっさとご飯食べないと、学校遅れちゃうわよ。ご飯でいいの?
それともパンにする?」 さっきの母親役?の女が、キッチンから俺に声をかけてきた。
【ゲッ…イッちゃんだって。高校生にもなったガキの呼び方かよ】 思いながら、
「うん、判った。僕パンでいいから」
口が俺の意志とは関係なく勝手に返事をした。何なんだ?俺のこの口は…気持ち悪!

生まれて初めて経験する、まともな親子の会話に、背中がむず痒くなるような気がする。
全く見覚えの無い両親と、妹の四人で食卓を囲みながら、
意識とは別の、無意識の自分が、家族としての自分を生きている不思議。

その奇妙な感覚は、学校に行ってからも同じで、俺は、俺の知らない自分を生きている。
それは、全く別の人間に、俺の魂だけが入りこんでいるような違和感で、
俺は、たった一日生き直しただけで、酷く疲れてしまった。


俺の新しい父親は普通のサラリーマンで、母親は近所のスーパーでパートをしているおばさん。
妹は、少し生意気だけどけっこう可愛い中学3年の受験生。平凡な、極々普通の家庭。
こんな家庭で育ったら、俺も普通の子供に育ったのかな…などと思ったりした。

生きていた時、俺は高校に入学はしたが何日も行かないで辞めてしまった。
街で屯っている方が俺には合っていたし、楽しかった…多分。
そして何より、疎外感を感じなくて済んだ。
今だって、中身は同じ俺のはずなのに、不思議な事に学校が結構楽しかったりする。

「イッチー、数Bのノート写させてよ、今日さされそうなんだ」
隣の席の女子が俺に向かって、拝むような仕草をする。俺は、笑いながら頷くと、
「いいよ、あまり綺麗じゃないけど」
そう言ってカバンの中からノートを取り出し、彼女にそれを差し出す。

「わっ、助かった。落合って日付で指すからさ。今日は、絶対うちが指されるって」
「そうだね、でも、判りやすくていいよ」
「確かに…だよね。バカじゃねぇと思うけど、助かる〜」
彼女は、俺のノートを受け取ると、それを広げ自分のノートに写し出した。

ブツブツ言いながら、懸命に書き写している彼女を見ながら…俺って結構真面目な奴なんだ。
などと感心しながら、この状況が楽しかったりもした。
あ! これって人助けになるのか? 善行その1  なんて事にはならないか。
そんな事を思いながら、それすら楽しんでいる自分に気づく。

そして、生きていた頃と正反対の自分に、イライラしたり感心したり、
毎日が新しい発見で楽しいなんて。 俺って、思ったより愛い奴かも。
そんな事を思う自分に、呆れてしまったりもした。


一週間も過ぎると、生きなおし?に少し慣れたのか、さほど違和感も無くたっていた。
そのせいか、俺は以前の自分がよくブラブラしていた辺りに行ってみようと思った。
学校は休みだし、少しだけ懐かしい気もして出かけて来たのだが、俺はすっかり忘れていた。
そんな場所が、今の自分にはとても似つかわしくない場所だという事を。

【あっ!マサルだ。懐かしい…けど…なんかヤバそう】
ゲーセンから出てきた奴の顔に、懐かしさと同時に、あまり関わりたくない。
そんな思いが頭を過ぎり、自分で自分に後ろめたさを感じた。
そして、マサルは…一瞬俺と目が合ったが、見知らぬ俺など全く気にも留めず行ってしまった。

【ゲッ、マジかよ。やっぱ気づかないんだ】
ホッとする自分と、ひどく落ち込む自分。今の俺は本当の俺じゃない。
気づかなくて当たり前だが、誰も本当の俺を知っている奴はいない。
此処に居るのに…死んでしまったけど、生きて此処にいるのに、俺は、誰にも見てもらえない。
そう思った時、始めて寂しいと思った。その時、俺の背後から聞き覚えのある声がした。

「お前…市原?」
声に振り向くと、やはり…大崎が不思議そうな顔で、俺を見つめていた。
【えっ? うそ!何で、俺の事が判ったの?】 驚愕に近い驚きで声も出ない俺の目の前で、
「な訳ないか…けど、一瞬あいつかと思った」
大崎は独り言のように呟くと、ちょっと遠い目をした。

【やめてくれよ…コイツにだけは会いたくない。死んでも俺だと見破られたくない】
既に死んでいるにも関わらず、俺はそんな事を心の中で喚きながら、
「人違いです…誰ですか?その人」
知らんふりでそう言うと、頭半分は上にある大崎の顔を見上げた。

死ぬ前もそう思っていたが改めてこうしてみても、やはりこいつはデカイ…と思っていると、
「いや、俺の勘違いだ…悪かったな」
大崎はそう言って、少し寂しそうな笑みを浮かべ、俺に背を向けた。
見破られたくないと思っていながら、勘違いと言われた事が何となく癪に障り。
でもそれだけでは無く、大崎の顔に浮かんだ笑みが心に突き刺ささったような気がして、

「あ、あの…」
又も俺の意思と関係なく、大崎の広い背中に向かって声をかけていた。それなのに、
【バカ! 何で呼び止めんだよ!!】 俺の天邪鬼な心は俺を止めようとする。
だが、脚を止めた大崎には、俺の心の声は聞こえていなかったのだろう。
「お前みたいなのが、こんな処をうろついていると、ろくな目に合わないぞ。
今この辺りは、ヤバイのが、うろうろしているからな。解かったら、さっさと帰った方が良い」
そう言うと顔を半分だけ俺に向け、片手を上げると今度は本当に去って行った。

【チッ 相変わらず様になってやがる。だから、余計ムカつく】
今の俺の外見には、ひどく不釣り合いな捨て台詞を吐きながら、
なぜか大崎の背中から目を逸らす事が出来なくて、その後ろ姿をいつまでも見つめていた。

俺が生きていた時には、見たことも無いほどに寂しげな大崎の背中に、鼻の奥がジンと痛くなり。
信じられない事に、涙まで出そうになった。そして、慣れ親しんだはずの場所が、
やけに居心地悪く感じるのは、今の俺には、とても不似合いな場所なのだろう。
そう思うと、俺は本当の自分が少しずつ消えて行くような気がして、寂しい気がした。


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